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格闘技通信」 373号 (5月23日号:4月23日発売)

元赤軍派議長がたどりついたサムライ精神とは・・・

武道待望論 其の七 後編

堀辺正史  x  三次敏之  x  塩見孝也
(全局面打撃制Koppo創始師範) (格闘技通信編集長) (今回のゲスト)


塩見
 『戦争論』を書いたクラウゼヴィッツという有名な軍事哲学者がいるんだけども、その本の中に「武徳」という言葉が出てくるんだよね。「武人が徳を持っている」ということだけど、これは日本の言葉ですよ。武を持っている人こそ、隣人を愛し、集団を愛する。つまり、すぐれた武人ほど、その武を発動しないんだよ。

堀辺 発動しないで相手を制する。これは最高の極意、武の極地ですよ。侍たちがつくった武とは何だったのか。そしてなぜ、それが人間を向上させることにつながったのか。その答えも、そこにある。武道が今日まで残っているのも、鍛錬の中で暴力が侍としての人格形成に役立つように仕組まれているからなんですね。たとえば、ある剣道の流派では、極意のことを「非切」というんです。

三次 ヒセツ?

堀辺 非を切る。つまり、自分の中にある動物的な欲望とか、心の中に生じてきた悪い心を一刀両断できる境地。それを剣の中に求めていくということですね。日本の武士は暴力を肯定しながらも、どこかで暴力を超えようとする意向を持っていたということです。

三次 敵に勝つのが究極の目的ではなかったということですね。

堀辺 それが日本の武の特色で、だから、「神武(神聖なる武道)に殺はなし」「柔に殺なし」なんていう言葉も生まれた。明治維新で活躍した山岡鉄舟は、一刀流というのを学んだんですけど、自分は「一刀正伝無刀流」というのを新たにつくった。剣術なのに無刀。つまり刀がないというんだから、矛盾してますよね。でも、彼は剣という暴力を使いながら、刀を使わなくていい社会、刀を使わなくても人と付き合っていける人間、そういったものを剣の中に求めた。だから剣術でありながら、無刀という世界を推し進めたんです。


塩見 山岡鉄舟は、西郷隆盛と勝海舟を談合させて、江戸城を火の海にしないで明け渡す調整役もやった。その時は、敵軍の中に一人で行って「西郷に会わせろ」と言ったわけですよね。

三次 殺されるかもしれませんよね。

塩見 山岡はそういう覚悟を持っていた。その覚悟は、文に優れていることと一体に、師範のおっしゃる武それ自身とその求道を介した自己超脱に立脚してるところもある。その武というのは無刀剣。つまり、殺さないで活かす活人剣ですよ。そういう信念を持って、「西郷に会わせろ」と行くわけだよね。西郷と同じぐらいの巨漢だったらしいけど。

堀辺 あれは、お互いに死ねる男同士がぶつかったわけでしょ? 武徳と武徳がぶつかったから、平和解決ができたんですよ。


塩見 西郷も、山岡について「命もいらない、金もいらない、名も要らない。こういう男は始末に終えない」と言ってるわけだよね。だけど、「大事」を成すためには、こういうヤツしか役に立たないと。

堀辺 人間には様々な欲求がある。でも、それを自ら抑制する。それを克己と言いますよね。

三次 己に克つ。

堀辺 己に克てないヤツは、人に克つこともできない。これが侍文化の中枢にあったもので、だから侍たちは人を斬るという訓練を通しながら、自分の中の欲望をコントロールすることを目指していたわけです。敵という外面に向かいながら、同時に自分の内なる動物的・本能的欲求を抑制するということが、侍の武芸の基本の中にあった。これが他の地域に見られない日本の武の独自性なんですよ。塩見さんも、つねづね「非暴力」ということをおっしゃってますよね。


塩見 そう! オレもそこに話を持ってこようと思ってたの(笑)。

堀辺 インドのガンジーがイギリスの植民地支配の中で、非暴力主義で徹底抗戦した。誰にでもできることじゃありませんよね。もし、日本人が非暴力を実行しようとしたら、やっぱり侍の文化が必要になる。

塩見 うん。日本流に言えば、活人剣、無刀流でいくということね。

堀辺 信念のために、家族を守るために、国を守るために、命をかけて死ぬというだけの人間が形成されていれば、暴力を発動しなくても、相手に暴力をふるわれても、ニッコリ笑って撃たれながら死んで果てることも可能になる。

塩見 しかも、そういうところまでいくとね、向こうは撃てないんだよ! 最初は撃ってくるかもわからんけど、向こうの方が乱れる。必ず乱れる。だから、これからは武徳を持った非暴力が世界を領導する、という信念を持たないといけないと思うね。

堀辺 新しい時代が求めてる非暴力を達成するためには、日本人が作り上げてきた武の本質というものが何だったかということを、もう一度真剣に考え直さなきゃいけない。これは日本にとってプラスになるだけじゃなく、世界にも大切なヒントを与えますよ。

塩見 徳を持ったら、争いはなくなる。だから自衛の問題も、活人剣、非暴力を基本にして展開するべきだと思うのね。今みたいに作戦、駆け引きだけで、どっかの国が攻めてくる、どこかの国が核武装した、それ、こっちもそうするか、で右往左往してたら、大混乱するだけでよ。相手がこうだからこっちもこうだ、といった1対1の唯軍事主義的な、ちっこい問題の立て方ではダメだということだな。

三次 内面の方が、大きな問題ということですか。

塩見 仮に1億2千万いる日本人が武徳を持って非暴力を貫いたとしたら、世界にものすごい影響力を与えるよ。これだけ密集していて、和もあれば自主性も持ってる民族が、戦争体験とか原爆体験なんかも活かして、世界の軍拡の嵐の中で全然違う原理を展開して、覚悟を固めたらね。オレはそれを期待してるの。

堀辺 ところが、今までの憲法擁護派とか、平和運動をやってきた人たちは、インチキばかりなんですね。切腹する覚悟もなく、自分が死ぬのがイヤだから平和、平和って言ってるんだよ。アメリカに守ってもらって、とりあえず痛い思いをしたくない。自分の欲望を全うしたいがための平和。それは、奴隷の平和ですよ。

塩見 異議なし!しかし、師範も民衆の素朴な命を大切にする気持ちは大切と考えられているでしょう。これが、原点で、そのためにその大切なものを自主、自尊で意識的に捨てて、隣人、集団のそれを守る、こういった関係ですよね。「自主憲法派」の中にも、覚悟、武徳をもった人が何人居るでしょう。大東塾のような人がもっと沢山居れば、責任逃れの保身でアメリカの懐に逃げ込んだようなみっともない指導者は生まれず、戦後日本はもっと筋道たったものになったでしょう。若しかしたら、反米愛国のゲリラ戦が起こったかもしれませんね。

堀辺 平和主義というのが、利己主義の美名になってるんですね。

塩見 もちろん、民衆は平和を望んでる。だけど、今の為政者はアメリカにくっついて守ってもらうというのが基本になってる。これが一番悪いとこだよ。これがあるから庶民もインチキで、弱腰でさ。オレなんかは、時には「過激派の親玉は来ないでください」なんて言われるけど、冗談じゃないっての! オレは民衆のためにやってんのに、“自分らは(僕より)もっともっと税金も払い、法律を守っている市民”で“いい子ちゃん”でございますと、こういう感じになってるんだね。このへんはもっと執拗に論争してね、わかってもらうようにせんといかん。

堀辺 その通りです。

塩見 今、アメリカの映画がつまんないのも、むちゃくちゃ人を殺すんだけど、武徳が全然出てこないからだよ。だから寒々として、げっそりする。こういう映画はやめてくれ!

三次 やめてくれ(笑)

塩見 『アレキサンダー』も『プラトーン』の監督がつくったっていうんで、期待して見に行ったらさ、全然ダメ。たしかにペルシャのダリウス軍と戦うシーンなんか、200億円もかけて迫力は出してるんだよ。だけど、アレキサンダーの人間が全然出てこない。彼は世界帝国とか諸民族の融合とか、スケールの大きな理念を持ってたらしいんだけど、映画の中ではマザーコンプレックスで、おとっつぁんとおっかさんがいつもケンカしてて、疎外されたことが世界制覇の夢につながったとか、そんなフロイト的な分析をアレキサンダー像に入れてるんだよ(笑)。あれだけのことをやったヤツなんだからさ、おとっつぁん、おっかさんの問題じゃなくて、もっとちゃんとしたものを持ってたと思うんだよ、オレは。

堀辺 ハハハハ(笑)。

塩見 あれじゃアレキサンダーがかわいそうだよ。

三次 かわいそうですか(笑)。

塩見 しょぼいんだよ。やっぱりブッシュがイラク侵略やったりしてね、アメリカの価値観がガタガタになってるから、軍人のいいところがスカッと純化されないような構造になってる気がしますね。だから映画の水準も低くなってるんじゃないの。

堀辺 そういう監督たちには、一年間ウチの道場に通って来いと言いたいですね。一年間オレと過ごせと。そしたら最高の映画が作れるから(笑)。

塩見 むしろ日本の映画は、だんだんよくなってきてると思うね。高橋判明の『火火』とか、崔洋一の『血と骨』とか、足もとに立脚したいいものをつくりはじめてる。これから日本映画は、アメリカより上にくるんじゃないかという気がしてますよ。

三次 実際、世界的に評価される映画が増えてますよね。

塩見 格闘技というのは、オレは詳しく知らないんだけど、K-1とかさ、おもしろいから時には見てんだよ。日本人の体力とか背格好からすると、外国人には負けるもんだとばかり思ってたんだけど、けっこう日本人も強いんだよね。魔裟斗とか、武蔵とか、あと柔道やってた…。

三次 吉田秀彦ですか。

塩見 そう。みんな五分以上でやってるんだよね。ああいうデカい外国人とか体鍛えたヤツにぶつかっていくというのも、自分によりどころというか、信念がないとできないと思う。

三次 たしかに、自分を持った選手が多くなってきた気がします。

塩見 力道山(は朝鮮人だが、日本人として)何かもそうだけど、外国に行って武者修行やってるでしょ。向こうの国際精神をくみ取ろうとしたら、己の根本を見つめないといかんわけよ。そこで自己確立して、もう一回国際的な舞台に出て行くというね、これをやらないといけない。サッカーもそうじゃない? 昔はナヨナヨしてたけど、いろんな国際試練の中で、スピリチュアルな意味でものすごくタフになった。今の世代は、こういう鍛えられ方をしてきてる。格闘技も、そういうふうになってるんじゃないかな。

三次 それはありますね。

堀辺 閉じられたところでやっていては、人間は鍛えられないんですね。文化も違う、習ってきた格闘技も違う、そういう人たちが世界中から集まって戦えば、人間は成長せざるを得ない。

塩見 しかも、己が何者であるかを理解しながら成長していくということだよね。無国籍だったらダメなんだよ。自分の根本を見つめ直しながら、根本に還えりながら、国際化していかないと。これは今の資本主義社会にも言える。アメリカを軸にグローバル社会が生まれて、アメリカの文化が流入してきた。世界市場という点では便利な世の中かもしれないけど、日本人の文化、生き様が解体していくということだよ。国を開くためには、まず己に帰る。己の歴史に帰る。そして、己を見つめ直しながら開いていく。そうすると新しいナショナリティ、アイデンティティが出てくると思うんだよ。

堀辺 今求められているのは、まさにそこだと思いますね。

塩見 格闘家は、たかだか1対1の闘いっていうけど、やっぱり徳を積まんといかんと思う。仮に格闘家が軍人になった時、軍隊の中でリーダーになるとか、あるいは一兵卒でもいい役どころを果たさなきゃいかん。そういう人材でなければいかんと思う。

堀辺 そこが単なるスポーツ格闘技と武道の一番の違いですよ。武道は試合だけで終わってはいけない。

塩見 でも、格闘技で一流になろうと思ったら、そういう徳の部分も考えるんじゃないですか。違うんですか?

三次 そういう人もいるでしょうけど、一般的ではないと思います。

塩見 やっぱ考えていかないとさあ!オレが見たかぎり、格闘技でも日本人は最前線でやってるという気がするんだよ。頼みになるような連中がゴロゴロいてさ。こういう連中と同志になれば、オレは、日本は本当に変っていくことができると思うよ。

堀辺 格闘技で武徳を体得した人たちが、いろんな分野で活躍してくれたら、日本の文化としての武道が本当の意味で花咲くんじゃないかと、私も期待してるんですよ。日本人がつくり上げてた洗練された暴力の流儀を、リングの上でも、社会の中でも活かしてほしい、という信念でやってるんですけどね。

塩見 いいねえ! こういう師範のような武道家がいるからよ、オレは人間不信にならずに済んでるんだよ(笑)。


 (おわり)



※この対談は、「格闘技通信」編集部様のご厚意により、掲載しております。

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