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格闘技通信」 372号 (5月8日号:4月8日発売)

元赤軍派議長がたどりついたサムライ精神とは・・・

武道待望論 其の七 前編

堀辺正史  x  三次敏之  x  塩見孝也
(全局面打撃制Koppo創始師範) (格闘技通信編集長) (今回のゲスト)


堀辺 塩見さんを知らない読者もいるかもしれませんので、まず簡単にご紹介しましょう。60年代から70年代の日本が荒れていた時期に、学生運動を経て、赤軍派の政治局議長としていろいろな戦いをしていたんですよね。

塩見 一般によく知られているのは「世界同時革命」ということですかね。日本の革命っていうのは一国では解決しない。世界的規模の革命の中で日本の革命ができるという、そういう考えで活動していたわけです。まあ、大風呂敷を広げれば「世界同時革命」ということなんだけど、二度と侵略もしなければ他国に侵略されもしない、そういう国にしなければいけないという思いが根本だったんですよ。

堀辺 赤軍派を結成したのは69年でしたか。その後、「大菩薩峠事件」(※1)とか「よど号ハイジャック事件」(※2)の共謀容疑などで逮捕された。

塩見 大菩薩の軍事訓練は、首相官邸を占拠しようということでやった。それから僕らは「国際根拠地」(※3)をつくろうということで――キューバが根拠地だったんだけど――飛行機を乗っ取って、朝鮮を系由してキューバに行こうと考えていた。「よど号」の時は、僕は監獄にいたんですけどね。

堀辺 それ以降、20年間、監獄の中で闘争していたと。20年間って、大変なことですよね。


三次 乳児が成人するわけですからね。

堀辺 『監獄記』という最新の本にも書いてありますけど、ある時、新聞で「塩見、獄中転向」っていうデマが流されたんですよね。その時に奥さんが面会に行って、「あなたが転向するなら、離婚します」とタンカを切った。

三次 すごい奥さんですねぇ。

塩見 オレも「デマに惑わされるな。オレは、しゃれこうべになって野ざらしにされようとも転向はしない。これを同志に伝えてくれ」って、ズバッと言ったの。それでカミさんも覚悟を決めたんですね。

堀辺 結局、離婚しないで20年間、学校の先生をやりながら子供を育てて、塩見さんのこともずっと支えてきたわけですよね。これは武士の妻だと思いますよ。夫をここまで理解してくれる奥さんは、なかなかいないでしょう。


三次 獄中の20年を支えたメンタリティーというのは何だったんですか。

塩見 なんだろうな……やっぱり、責任感かな。

堀辺 塩見さんを信じて従ってきた仲間がいたからでしょ? 侍というのも、命の奪い合いの中で味方のために犠牲になった仲間の姿とかを見て、「この人たちの信頼をオレは裏切れない」という気持ちになったと思う。実際、そういうところから武士道っていうのは生まれてきたんですね。だから、塩見さんが武士道に惹かれたのも、塩見さん自身が武士と近似した体験をしてきたからだと思うんですよ


塩見 まあ、そうでしょうね。70年安保闘争というのは66年頃から74、75年まで続きましたけど、言ってみれば、あれは日本の内戦だったんですよ。戦争体験として、オレは仲間に苦しい思いをさせた。だから裏切れないという思いはありましたね。

堀辺 塩見さんの戦いは、格闘技の試合とは違った意味で、本当に命のかかった真剣勝負だったわけですよ。でも、マルクス・レーニン主義という思想の中でやってきた塩見さんが、なぜ武士道にたどり着いたんですか。


三次 そこは、ひじょうに興味がありますね。

塩見 僕らの真剣勝負である戦いの“敗北”の結果、世界の民衆に奉仕する、は全く良いんだけど、実際的には、先ず「抽象的な世界の民衆」ということでなく、先ずは足元の日本民衆をよくすること、そうして、世界の民衆をよくしよう、そうしないと世界の民衆にも奉仕できない、という考えに至った、ということですね。そこで日本人民衆、日本人を歴史的、文化的に考えてゆくと、どうしても侍というか、“もののふ”の問題にたどり着くわけです。日本の民衆の歴史、日本人の本質は何かと考えた時、一語で言ったら「もののあはれ」と「サムライ精神」というかね、それが日本人のエキスだと思うんですよ。

堀辺 そうですね。「もののあはれ」というのは、別な言葉で言うと「みやび」。


塩見 みやび。なるほどね。

堀辺 あるいは「やさしさ」ですね。

塩見 そう、やさしさですよ!!

堀辺 人の苦しみとか、自然の移ろいとかに敏感に反応するやさしさ。そのやさしさの中に、凛として物事を断行していくという強さ。そういうものが武士道という形でまとめられていたんじゃないのかなと。

塩見 うん、うん。「もののあはれ」の基層がつくられたのは、僕は縄文時代だと思ってるんだよね。低生産力の中で、組織的な争いもなく、自然の中でのんびり、グルメに生きていた。それが1万年も続いて、日本人のやさしさとか大らかさを育んだと思うんですよ。

堀辺 『甲陽軍艦』という、江戸時代初期にまとめられた軍学書というか武士道書がありますけど、その中に「猛き武士は涙もろし」という言葉があるんですよね。猛き武士というのは、荒々しくて強い武士ということでしょう。それが涙もろいというわけです。


塩見 情けがあるということですね。


堀辺 そう。そういう矛盾したものを持ち合わせているということに、単なる戦闘者ではなかった日本の武士の特性が出てる。私なんかは、そういうところに惹かれるんです。

塩見 やさしくあろうとしたら、強くならなきゃいけないんですね。で、強さをどう活かすかと言ったら、やっぱり人にやさしくする。やさしくするために強くなきゃならんと、
僕は思ってるんですよね。


堀辺 武士の生き方、死に方、戦い方には一流の文化がありますよね。塩見さんも、そういう内面的な部分に惹かれていったわけでしょう? 

塩見 武士は「悪人」だとか、裏切り御免だとか、勝手放題やるとか、そういう見方もありますよね。それから日本人っていうのは、和の精神が強くて、全体に巻き込まれるとか、いろいろ言われてる。だけど侍っていうのは、自主自立した人間たちなんだよね。だから、ただ和があって集団に巻き込まれるだけの連中だという日本人論には、オレは断固反対なんだよ!

堀辺 日本人は権威とか組織の中に入った時に、“右へならえ”になってしまうと、そういう日本人論が外国には強くありますよね。そこに順応性を認めることはできるけれども、個人の自己主張とか、独特の意見というのをつまんでしまうと。


三次 そういうイメージが定着しているように見えますよね。

堀辺 でも、そういう海外の論評に反して、侍はかなり強烈な自分というものを主張していった、歴史上初めての人種なんですよね。

塩見 “初めての日本人”というかね。

三次 初めての日本人!

塩見 簡単に言ったら、独立自尊の精神ですよ。歴史的に見ると、武士っていうのは関東から生まれてる。まず平将門が反乱してるでしょ? 将門は自分が天皇だって言ってたぐらいだからね。オレたちは自分らで畑を耕して自分らでメシ食ってると。その土地を守らなきゃいけないし、家族、人間関係を守らなきゃいけないと。そこに、「武」というものが出てきた。で、これは先生も強調されてることだけど、その独立自尊って何かと言ったら、最後は命をかける覚悟なんだよね。

堀辺 そういうことです。

塩見 具体的には、腹を切ること。自決するということ。なぜその覚悟があるかと言ったら、命を捨てられるだけの自分の信念、プライドを持ってるからだよ。腹を切ることによって、己のプライドを守り抜いて、己が単なる私的なことで戦っているんじゃないということを示す。そうすることによって、オレは高い人間だということを自覚したんだと思うんだよね。世界を見ると、腹を切るということ自体は、けっこうあるんだよ。

堀辺 だけど、制度化されてない。

塩見 そう。思想化されてない。

堀辺 腹を切るということは、武士道の中核ですよ。なんでそれが大切かというと、物事の真実というのは、自分の命をどれだけかけられるかというところにあるからなんですね。

塩見 自分の一番大切なものをね。

堀辺 これは現代の話ですけど、二人の男が、一人の女を奪い合っていたんですね。一人の男は「君がいないとオレは生きていけない」と言って、小指をズボっと切り落としてしまった。もう一人の男は、「君、そんな野蛮なことをやってちゃダメだよ」と非難した。でも、それを見ていた女性は、指を切った男を選んだんです。その女性の告白を聞いてみると、選ばなかった男の方が教養もあって、社会的地位も高いから、本当は90l心を惹かれていたと。でも、指を切った男は「もし結婚してくれないなら、本当に死ぬ」と命をかけて迫った。それだけ愛してくれてるんだったら、と結婚を決めたと。


三次 命をかけるという行為は、人の心も動かしますよね。

堀辺 まあ、今のは極端なたとえですけど、武士の自立っていうのは、究極としては、たった一つしかない命を潔く捧げられるかどうか、というところに存在していたんじゃないかと思いますね。日本の武士たちが使った暴力というのは単なる暴力ではなくて、自分の身を犠牲にしつつ物事を実現しようとする、高貴なる精神に支えられていた暴力なんですよ。

塩見 吉田松陰がね、黒船に乗り込もうとして投獄されて、「かくすればかくなることと知りながら、やむにやまれぬ大和魂」と詠んだ。これなんかも、まさに自決の覚悟を持った戦いだよね。坂本龍馬も、薩摩と長州を同盟なんかさせたら、自分の命が狙われるのは覚悟の上でやってる。西郷隆盛だって最後は城山で自刃してる。

堀辺 近代兵器を揃えた政府軍と戦ったら負けることは、西郷もわかってた。それでも、命を落としてでも、いい社会をつくろうということで戦ったんですね。幕末の人間たちが武士道を最も体現したというのが私の持論なんですよ。はっきり言って、武士道が歴史上最も輝いていたのは、武士の時代が終わる時ですよ。

塩見 ラストサムライだ(笑)。幕末と、平安末期から鎌倉期の侍の勃興期。僕が注目してるのは、この二つ。戦国大名は中途半端だし、江戸時代になると支配する人間と家来ということになる。明治維新以降は、みんな天皇の子分だということを言いながら、自分らの特権を活かしていくような形になる。

堀辺 だんだん変質していくんですね。

塩見 自分にとって一番大切なものを、自分の主張のために、何かを実現するために捨てる。結局ね、そこが動物との違いだと思うんですよ。「人間集団」、つまり社会と「群れ」が違うのは、自分が集団に寄与できる、あるいは集団から必要とされて愛される、そこに至福がある、そういうことを自覚しているかどうかなんですよ。ただ、エサを取って外敵から身を守るためだけの集団じゃない。侍っていうのは、それを自覚した個なんだよね。

堀辺 共同体と個との関係性が、動物と人間では違うんですね。


三次 その一つの象徴が切腹ということですかね。

塩見 自己意識を持って、自主的に集団に尽くすことによって、自分も自己実現できるっていうことを自覚した時に、「群れ」から「人間社会」になる。だから、要は「自主的な精神」ということだと思うよね。

堀辺 今、世の中はそういう武士道的なものを待望してると思う。まだ表面化してはいないけど、潜在的には絶対あると思うんです。そういう中で、塩見さんは武士の文化に触れないでも、真剣勝負という体験を通じて、武士の気持ちに入ることができた。

塩見 それは日本人として育って、頭の中に習慣・文化としてインプットされてたからでしょう。そういう部分がないと、みんなついてこないし、オレも論理化できないからね。それが、いざ何かにバーンとぶち当たって、仲間を守ったりするという状況になると出てくるんだよ。オレが武士道を言いはじめたら、いろんな批判が左翼の間であったけれども(笑)、民衆の基盤はどこにあるかと言ったら、やっぱりその社会、民族なんだよね。

堀辺 左翼のトップだった塩見さんが、「民族派左翼」になられたということが、武士道のすばらしさを物語ってますね(笑)。命をかけて社会を変えようと戦ってきた人が、最終的に日本古来の侍文化にたどり着いたわけだから。


 
(後編につづく)


※1 
69年11月5日、首相官邸の襲撃を目的とした軍事訓練のため、山梨県の大菩薩峠の「福ちゃん荘」に集まっていた赤軍派の兵士53名が逮捕された事件。

※2
70年3月31日、田宮高麿をリーダーとする赤軍派のメンバー9名が、羽田発福岡行きの日航機「よど号」をハイジャックした事件。9名は福岡、韓国を系由して北朝鮮に亡命。

※3
労働者国家内部に武装根拠地を建設し、そこから軍事的・政治的支援のもとに世界同時革命を推し進めようというのが「国際根拠地論」。塩見氏が提起。



※この対談は、「格闘技通信」編集部様のご厚意により、掲載しております。

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