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*「暴力」について

Aさんの質問に答える


 Aさん  初めまして。率直な御質問ありがとうございます。
 僕は貴方とその内容が違うかも知れませんが、1996年頃から非暴力を宣言してお ります。二年ほど前上梓した拙著「幸福論」(オークラ出版)でも述べております。 成人する頃まで親や社会から「如何なる場合でも人を殺してはならない」と教えら れ、そう思っていました。

 大学生になって、悩みましたが「社会の矛盾、社会正義から、反民衆的な「悪人」は 矢無をを得ないが、殺さざるを得ない場合もある」と思うようになりました。これ は、マルクス主義に代表される「暴力論」の影響でした。

 連合赤軍事件の経験の後、この問題はずっと整理つかずでしたが、人間自主思想を 確立する中で、マルクス主義を超克して行く中で、「階級至上論」を卒業し、「人間 の本性である自主性を伸ばし、開発して行くのは道理に従った話し合い、協同の中で の相互理解、関係性の変革が必要であり、強制による暴力、殺しは人間性に最も反す る反人間的方法であり、人間は決して暴力に屈しない存在である、そこに人間性の本 性がある」と思うようになりました。

 このマルクス主義の否定については「赤軍派始末記」(彩流社)に簡潔に書いてお ります。

 僕の「人間自主思想」は「非暴力思想」と表裏一体とご理解願います。

 非暴力の否定の否定の肯定といった軌跡です。

 しかし、この思想的営為は辛かったし、その分だけ僕は「革命的暴力」を越えた、 「超暴力としての非暴力」者を任じているだけに、焼き入りのウルトラ非暴力者で、 個人の自主を最大限尊重する非暴力の直接行動者と思っております。

 喜納昌吉さんとは長い友達つき合いをする中で、民族論等極めて重なりますが、 「非暴力思想」では随分教えられました。

 タダ、「自衛の為の暴力は肯定されないが、許される」とも思っており、絶対非暴 力論者ではありません。

 自衛の概念は論争になりますし、それが今後の課題と思っています。

 何故「白船」となるか、ですが、これは一般に「平和の船」を意味しますが、僕の 場合「非暴力」に裏打ちされたものですし、近代日本を暴力的こじ開けさせたペリー 等帝国主義、植民地主義者の暴力船「黒船」に対抗する、人間中心、民衆主義、人類 主義、侵略否定・自主のパトリティズム(源郷主義としての民族主義) を方法論的にまとめた非暴力思想の象徴としての「白船」であるわけです。

 赤軍派は他の問題多いがある程度は役にたつ行動もやり、その思想、哲学は連合赤 軍とは質の違うものと思っております。しかし僕自身は具体的に関係はないが、赤軍 派の一部が「連合赤軍」事件の一端を担っていたことは紛れもない事実であり、僕に 最終的にこの件で責任有りと任じてきました。

 この「おどろおどろしさ」をどう考えるか、このイメージをどう払拭するかで悩ん できたわけですが、そこから人間自主思想と非暴力思想が救い出してくれた、と思っ ております。

 又この見地に立ったとき、「連合赤軍事件」にかぶせられ、当時武装闘争を果敢に 闘った仲間達を、「連赤」と一緒に全否定して洗い流してしまう風潮に対して、その 未熟性を押さえつつも、それはそれとして評価しつつ救い出す方法も獲得していまし た。

 長くなり、個人的色彩が立ちこめておりますが、今回の運動を成功させるには、一 度はこういったことも表明しておくべきかと思い、意見を述べました。悪しからず。  これ以上の立ち入ったことは、場を変えてお話しましょう。 

 なを、この僕の思想は僕の思想であり、団の中には僕と違う、様々な思想の持ち主 がいらっしゃいます。それを、画一化しませんし、それは出来ない相談です。但し参 加者は全員、戦争に反対し、平和を求める人であり、「訪朝趣意書」がその共通基準 となります。そうであることによって運動は活き活きと発展して行くと思います。

                 近い内お会いしましょう。 塩見孝也