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この1年間の「政権交代」を中心とする政治流動、政治劇を
アメリカ帝国主義、日米安保条約の関連で捉えよう。

2010年 7月21日

塩見孝也



 この1年間の「政権交代」を中心とする政治流動、政治劇をアメリカ帝国主義、日米安保条約の関連で捉えよう。


 民主党は、マスコミが書き立てるほどの「大敗」とは思えませんが、今回の参議院選で、これまでの議員数を維持できませんでした。政権交代前の公約、マニフェストを実行できず、これを投げ捨て、変節してしまったことが最大の原因と言えます。

 菅政権は、もっと右旋回してゆくものと考えられます。

 党内的に小沢グループが如何なる動き方をするか、どのような連立の仕方をするか、「政界再編」の渦中にあります。いずれも、右旋回してゆくことは確かです。

 このような事態を産み落とした、基本原因は、アメリカの圧力にあったと言えます。

 古くは、片山、芦田内閣、田中角栄政権、金丸政治、そして細川―羽田政権、日本の政権がアメリカから自立して、自主的な動きをやろうとした際は、常に猛烈な圧力が懸けられ、崩壊の憂き目に晒されてきました。

 今回の、政権交代後の鳩山政権へのアメリカ帝国主義の動きは、きわめて意識的で、凄かったと思います。

当のオバマが、10分位しか鳩山と会わない仕打ちをやり、鳩山を徹底的にイビリ、恥を掻かせ、ゲーツらは、正面から恫喝の挙に出てきました。防衛省官僚、自衛隊軍事官僚、この勢力に囲い込まれた防衛省長官北田、外務省の岡田、国土国厚省(?)の前原らは、民主党内の頑強な現状維持の「県内移転派」として、鳩山を苦しめました。

「たちあがれ日本」などの「公党」の他に、「保守系市民団体」を標榜する手合い達は、別の立場、角度から、「民主党は共産主義者の集団」といった攻撃をやり、そのような趣旨のビラを国会周辺で撒き、民衆が居ない時を狙いながら、国会周辺を徘徊し、このキャンペーンは全国各地でやられて行きました。そして、「政治と金」の問題が、日本の未来を決定するかの様にマスコミは連日騒ぎたてました。

 極め付きは、黄海における韓国駆逐艦の「撃沈」事件である。この「突然」の事件に対して「北朝鮮の仕業」と、韓国―米国は一斉に言い立てました。これは、御馴染みの「朝鮮国」へのキャンぺーンではありましたが、狙いはそこにあるだけでなく、アメリカが、極東を緊張させ、「外から」、日米安保条約、米軍駐留と米軍基地存続にを批判的、否定的な、小鳩政権を「それ見ろ、抑止力は必要ではないか!」と自作・自演の大芝居を打った可能性すらあります。

 このように、アメリカ帝国主義は、「右するか、左するか」、日本の根本的針路を選択する岐路に立たされてきている日本民衆、社会、政治状況に対して、鳩山政権攻撃に全体重を懸けて来たのです。

 この圧力は、彼らが、是が非でも、これまで反共、反革命の基地、東洋―世界の「不沈空母」に仕立て上げてきた(日本従属ブルジョアジー、従属帝国主義勢力は、従属という苦杯をのみつつも、それを、積極的に利用して来たのだが)日本を、何が何でも失ってはならない、という危機感、壮絶な決意の下になされて行ったことを我々は忘れてはならず、しっかりと意識しておくべきです。

 いうまでもなく、朝鮮戦争の只中で生まれた、米軍駐留、米軍基地の維持、占領継続を核心とする日米安保条約は、それは既に60年近く続き、「日米安保体制」と、言われるようになり、極東―アジア・太平洋―中東・アフリカら世界のアメリカ帝国主義の世界覇権の死活の根幹、「キー・ストーン」になっています。

 このような、従属覇権の第二バイオリンを吹き鳴らす、自民党体制が崩壊し、一応、自らから自主・自立せんとする政権が登場したことは、アメリカ帝国主義にとっては全く驚異で、我慢のならない事態でした。

 沖縄の人々の「県外移転」という要求は、全く自然で、正当なものでありましたが、それが、日米安保体制の根幹に食い込んで行き、それを揺るがすものであり、先ず何よりもオバマアメリカ帝国主義の政治干渉、政治介入を呼び覚ましたということです。

 同時にそれが<日本従属帝国主義>の体制に突き刺さって行くものであったがゆえに、自民党ら、日本従属勢力の頑強な反撃を招きました。

 沖縄の人々の要求に、政権交代以前は、一応に受け止めようとした小鳩政権は、まさに四面楚歌の集中攻撃に晒されたわけです。

 我々、「9条改憲阻止の会」も、その重要翼に含んだ、ウチナンチュウを始めとする民衆側の反改憲勢力は、安倍政権の「改憲攻撃」を跳ね返し、カウンター・パンチを浴びせかけました。

 それが、既に構造的に醸成されて来ていた、日本の政治、経済、文化の全方面での行きつまりから生ずる民衆の怒りを噴き出させ、一転して政権交代を生み出すこととなりました。それほど、日本社会に溜まっていた矛盾は、根底的で、無尽蔵とも言えるエネルギーを孕んでいたわけです。

 わけても、鳩山政権の公約破棄に怒ったウチナンチュウの闘いは、この政権の死命を制したと言えます。

 ウチナンチュウの怒りは、アメリカ帝国主義と日本従属帝国主義、そして戦前からの日本人の差別、抑圧という三重の頸木から生まれたもので、半端なも尾のではありませんでしたから。

 しかし、このような事態が、今度は、全体重をかけた、「主権」否定のアメリカ帝国主義のプレッシャー、本質的言葉で言えば、本格的【政治介入】を誘発させたといえます。

 アメリカ帝国主義が、小鳩民主党政権も含んだ民衆の前に、立ちはだかってたわけです。

 日本民衆、民族の本命の敵アメリカ帝国主義が日米安保条約、日米安保「体制」を介して乗り出して来たといえます。

 そして、民主党は、しっかりした安保条約破棄の綱領も持たず、脱安保の体制も整備していなかったがゆえに、この政治介入に耐え切れず<君子は豹変す>であっさりと豹変したわけです。

 この過程を、民衆側から捉えれば、 反改憲→「県外」移転・沖縄闘争・沖縄闘争連帯→そして「反安保条約」として、段階的、永続的に展開してきた政治過程と捉えられます。

 そして、菅民主党政権が右旋回を開始している現情勢では、そうであるなら、我々は、今一度、我々の闘いの過程を振り返り、その原点を確かめ、構えなおして、再進撃を開始して行かなければならないこととして、現段階は捉えられなければなりません。

 であれば、憲法―沖縄―安保について、今一度、戦後直後から、実質は明治維新からの日本近代史を含むわけですが、戦後史を振り返りつつ、捉え返して置く必要を痛感します。


塩見孝也