寄稿・論文



自主日本の会

掲示板

コラム

イベント

リンク

 topページに戻る


鼎談 塩見孝也・足立正生・市田良彦

〈帝国〉から振り返る〈共産同赤軍派〉の論理

2009年 3月 26日

塩見孝也


 塩見、足立正生、市田良彦の鼎談を掲載いたします。

 これまで、赤軍派の理論、論理につきましては、ほとんど振り返られていません。しかし、赤軍派が、あのように闘えたのは、しっかりした革命理論上、思想上の論理、理論があったからです。この点で、いわゆる、赤軍派の「過渡期世界論」が、どんなものであったかは、今、過渡期世界の対峙段階の終焉、攻勢の段階が現れてきつつある段階で、しっかりと、振りかえっておくべきと思います。

 これまで、この分野はある面では、最高度の分野で、ほとんど、誰も手がつけ切れず、野ざらしにされてきた面があります。僕から見れば、誰も、討論するに値する人が存在しない情況も存在していました。しかし、僕は、立場上、あるいは、自己史の問題としても、この理論の分野でも、この30年間、ずっと孤独に向かい合わなければなりませんでした。

 赤軍派には、第一次ブント、関西ブント、第二次ブントから受け継ぎ、発展させてきた、それなりに、どっしりした革命理論、論理がありました。しかし、このほど、市田さんの設定で<帝国から振りかえる共産同赤軍派の論理>と題して、パレスチナ体験を持つ、元「日本赤軍」のリーダーの一人、足立さんを迎え、ネグり研究家の市田さんを迎え、理論上の総括論争が、きわめて高いレベルで出来ることとなりました。

 これは、僕にとっては、望外の喜びとするところでした。ありがたいことです。二人とも理論家にして、実践家ですから、僕の言いたいことは、ほぼ理解されており、かつ、僕が留保していたり、突き詰めが弱く、あいまいにしている問題も、突き出され、正に語るに足る人を得た感じです。 僕にとって、大いなる刺激でした。おそらく、お二人もそうだったでしょう。

 この鼎談は、市田さんが、きれいにまとめられましたが、紙面の都合上、割愛せざるを得ないところが多々ありました。特に後半部分、論じつくせない部分、諸論点もありました。これは、鼎談者としての僕としては、残念な事ですので、このウェブサイトに掲載させていただくにあたり、僕の裁量で、僕が発言した部分につきましては、手を入れ、校正−構成しなおしました。僕としては、僕の発言について、根本的踏み込みがなされ、読者にも、僕の意図するところが、より正確に、誤解なく伝えられてゆくものと確信いたしました。

 皆さんに、お読みいただけたら、幸甚とするものです。

 よろしく、お願いいたします。   塩見孝也



▼塩見孝也 足立正夫 市田良彦 鼎談

〈帝国〉から振り返る〈共産同赤軍派〉の論理

目次

1. 赤軍派「過渡期世界」論とネグリ〈帝国〉論

2. 資本主義の第三段階か〈帝国〉か?

3. 【塩見氏の“グローバリズム資本主義論”とは?】

4.過渡期世界論の陥穽 

5. 「対峙段階」は存在するか?

6. 攻勢の戦略における〈一国〉の問題、時間的“同時”について。

7. 前段階蜂起は戦略だったか?

8. 再び「前段階蜂起」を問う。

9. 政治−軍事闘争と経済闘争の結合:「労働の拒否」

10. 何を清算するか? 

11. 「軍事」の理念と現実


1. 赤軍派「過渡期世界」論とネグリ〈帝国〉論

市田:この鼎談が掲載されるのは「六八年のスピノザ」というタイトルのネグリ特集号でして、お二人との議論を通して、日本とイタリアの新左翼に当時存在した同時代性のようなものを浮かび上がらせることができないか、と期待しています。僕なりの仮説では、赤軍派がもっていた世界認識、塩見さんが提起された「過渡期世界論」ですね、これはどこかネグリたち「オペライズモ(労働者主義)」派や「アウトノミア」派の時代認識と相通ずるものがあるような気がしています。

 前提となることを若干お話させていただくと、『〈帝国〉』はネグリにとって、六〇年代から自分が属していたオペライズモの中で共有されてきた問題意識の集大成であるという側面をもっています。見過ごされがちですが、『〈帝国〉』はイタリア新左翼の歴史的産物です。共有されている基本認識は、とにかく古典的帝国主義の時代は終わった、というもの。帝国主義本国における恒常的な過剰生産−過小消費を解決する場所として植民地を確保し、そこで剰余価値を実現するというやり方は、ロシア革命によって不可能になってしまった。革命の脅威が資本の蓄積体制に転換をせまり、その結果ケインズ主義が導入されたわけですが、ネグリよりも前にマリオ・トロンティという経済学者が、この点にかんするオペライズモ特有の解釈を与えています。

 国内総需要を重視する、つまり労働者を購買力として位置づけるというのは、要するに「階級闘争」を資本蓄積のモーターとして蓄積過程内部にビルトインすることじゃないのか。過程のなかに、過程の動因そのものとして日本の「春闘」のような「階級対階級の対峙」を組み込む。これはまさに社会的総生産を社会的に――つまり個別資本と「市場」を通じてではなく――調整する「資本の社会主義」であろう、と。

 これを資本の側に強いているのは、国内に強力に組織された労働者階級であると同時に、社会主義圏の存在そのものでしょう。言い換えると、労働者国家群に支援されるかたちで、先進国では国内の労働運動が資本主義のあり方を強く規定するようになった。ちょっと日本の社会主義協会のような認識ですが。

 それに加えて、第三世界のほうでは、先進国向けの安価な輸出品の生産に特化するよう求められ、いびつな産業構造ととんでもない剰余価値率が、貧困から革命へ、そして国際分業体制からの離脱へという道を一般化します。古典的帝国主義の時代とは異なり、植民地解放闘争が直接的に社会主義を目指すようになります。

 このような世界的構造をネグリやトロンティなどイタリア・オペライストたちは、階級闘争の「攻勢」と見たのです。国際プロレタリアートの側が世界的レベルで資本主義の構造を規定している、と。先進国における労働者の賃上闘争と後進国における反植民地闘争の両側面が資本の側をかつてなく追い込んでいる。両者の同時進行に世界階級闘争史上の新段階を読み取ったわけです。

 そしてその背後には社会主義圏の存在があり、世界は後一歩のところで一挙に社会主義化する同時代性を獲得していて、だからこそ「運動」を急速に左旋回させることが鍵になる、と考えていたようです。

 これって、形をソフトにした「三ブロック・テーゼ」みたいなものじゃないでしょうか。ネグリたちは世界同時革命とは言わなかったですが、アウトノミア運動のなかからイタリアの外に飛び出していった活動家は少なからずいたようですし、世界的なプロレタリアートの攻勢が、後一歩で世界史を決定的に押し上げるところに来ているという意識を強烈にもっている。しかしこの一歩を、ネグリはその後〈帝国〉の形成として理論化することになります。労働者の攻勢に押されたブルジョワジーが、まさに受動的に世界を再編した結果が、〈帝国〉です。世界の同時的社会主義化の前に、国際プロレタリアートの攻勢が、ブルジョワジーの側に国民国家を超えさせた、という認識ですね。いわば「世界的反革命」が〈帝国〉を招来させた。

 塩見さんの過渡期世界論が何より強調したのも、一国革命の積み上げ方式、あるいは、その総和としての世界革命ではなくなってきている、ということですよね。

 革命は最初から世界革命としてしか展望されなければならず、革命戦略は一国家の転覆を媒介にしては立てられないということを強調されています。あくまでも直接的な世界革命。直感的な把握としては、実に似ているのではないでしょうか。

 大雑把な言い方をすれば、過渡期世界論が想定するプロレタリア世界革命を、ネグリの理論では、資本が受動的に先にやってしまった。しかしあくまで「受動的に」ですから、潜在的には〈帝国〉の形成も世界プロレタリアの事業には違いない、となるわけです。世界反革命は世界革命の第一段階のようなものです。いずれにしても、一国革命という契機をすっとばしている点で、過渡期世界論と〈帝国〉論は相似的な時代認識をもっているのではないでしょうか。



塩見:市田さんが、イタリア新左翼を研究され、日本とイタリアの両新左翼の共通性を解説された視点と内容について、基本的に賛成いたします。市田さんの解説に従えば、僕らの「世界同時革命」認識とトロンティーやネグリの「帝国」認識は近いように思えます。

 『〈帝国〉』については、なぜ「帝国主義」と言わないのか? という疑問がまずありました。〈帝国〉とは植民地を持たない、あるいは市場再分割戦の対象であった植民地を失ったポスト・モダン的資本主義(帝国主義)のありようだと理解していましたが、下部構造の問題として、ほんとうにちゃんと分析されているのか。「生政治」などいろいろなことが言われており、納得するところも多かったのですが。産業資本主義、独占資本主義としての帝国主義、そしてその次の段階の資本主義としての<グローバリズム資本主義>という形で言っていてくれていたら分かるのですが、こういった、<資本主義の第三段階論的視点>がないと、どうもすっきりしません。

 ヨーロッパ諸国はアフリカやアジアの植民地を失っているからネグリが言っていることも妥当するのでしょうが、植民地体制の消失は、第一次世界大戦、第二次世界大戦を経て、最終的に、というか、厳密には、ベトナム戦でのアメリカ帝国主義らの敗退の、1975年が画期と考えます。

 アメリカは、ヨーロッパ資本主義と違って、そうではない。まさに、レーニン「帝国主義論」的な「植民地的なもの」を持っているし、そのための軍事力、軍事経済の体制を内に持ち、年から年中、戦争をしています。

 そして、新植民地主義的なことをやっている。

 ネグリはたぶん、アメリカもだんだんヨーロッパと同じようになっていくという見方をしているのでしょう。僕も、アメリカはイラクとアフガンでの戦争を経て、ヨーロッパ的構造に変わりつつあると思う。というか、巨視的に見ると、「南北」問題という形で位相を変えてきているにせよ、植民地なき、単一の世界資本主義の蓄積構造に近づきつつあるではないか。

 資本主義の第三段階としての<グローバリズム資本主義>ともいえる資本主義の段階です。

 ベトナム戦争の敗退以降、植民地体制は基本的になくなり、植民地だったところは社会主義ではなく資本主義の方向に向かった。

 そして歴史上見たことのないような単一世界市場が生まれた。その中で金融資本は戦争に投資していた資本を発展途上国や中国や旧ソ連に投資することを通して、直接的生産過程における国際分業を実現しています。

 マルクスが言っている、工場内での分業や協業は一国内のものですが、そして、彼は「社会的分業」と直接的生産過程としての<工場内分業>を、概念的には、厳密に、区別して、使っていますが、この、<工場内分業>が、国境を越えて世界化しているわけです。
これが、最大のメルクマールだと思います。

 自動車産業で言えば、ある国でエンジンを作って、別の国でタイヤを作って、また別の国でボディを作るという構造ができている。「資本の多国籍化」と言われていますが、本質的には生産過程が変わって来ていて、それに見合う蓄積構造が金融的にも産業構造としても作られている、というところに一番の基本ポイントとして押さえられておかなければならないのではないでしょうか。



2. 資本主義の第三段階か〈帝国〉か?

市田:塩見さんは今日の単一世界市場にあっても、帝国主義は依然として帝国主義であると思っておられるのでしょうか。


塩見:「帝国主義」についての、マルクス主義概念とは別にして、一般に、古来から誰もが認める通念とは、圧倒的軍事力を駆使し、弱小の民族や国家を侵略、支配し、抑圧する、と言う意味だと思います。この通念からすれば、アメリカ資本主義は典型的な「帝国主義」といえます。

 しかし、世界の民衆、被抑圧民族対帝国主義勢力の力関係も変化し、アメリカ帝国主義以外、他の資本主義列強は、このような帝国主義政治をアメリカ帝国主義と提携せずしてはなせなくなっていることも事実です。

 この意味では、アメリカ以外の帝国主義は----中国やロシアは留保しますが、―――ヨーロッパ資本主義、日本資本主義らはネグリ言うところの「帝国」に近くなっていると言えます。

 アメリカ資本主義も、イラク、アフガン戦争の結末如何では、そうなってゆく趨勢にあると考えます。

 しかし、そういった趨勢は、見通うせはしますが、後ほど、述べますが、この問題は、ベトナム戦以降も恒常的に持続している「局地戦」の展開如何と深く関連している問題です。

 アメリカ帝国主義や欧州列強が、これに、提携してゆく限り、帝国主義と言って、良いと思います。少なくとも、アメリカ資本主義は、今も、イラクーアフガンでこれを実行しているのですから、間違うことなき「帝国主義」と言えます。
 
 しかし、「帝国主義」なのか、「帝国」なのか、と言う問題設定自身が、僕には、本当は、すっきりしないのです。なぜなら、ネグリの「帝国」論そのものが、明確な方法論における規定性がないように思えます。

 原理論としてのマルクス「資本論」、産業資本主義としての資本主義、帝国主義、独占資本主義―金融資本主義としてのレーニン「帝国主義」論というマルキストの資本主義発展認識を踏まえ、その継承、展開として跡付けられ、展開されてゆく方法論を持っていないからです。非常に鋭い、現代資本主義の特徴の指摘など無数にあるのですが、僕からすれば、非常にとりとめも無く、トリビヤルな感じを受けるのです。

 例えば、「正戦論」など、きわめて、あやふやで、良くわからん、です。




3. 【塩見氏の“グローバリズム資本主義論”とは?】

塩見:このことを、資本主義発展の段階性との関連で、多少とも整理して述べて見ましょう。

 マルクス「資本論」を、資本主義原理論ではなく、段階論として読めば、重商主義を継承した「征服・略奪の戦争の延長として植民地帝国主義」の産業資本主義と言えます。

 この、「産業資本主義」論を継承しながら、独占資本主義、金融資本主義として、資本主義の次の発展段階を捉えたのが、レーニン「帝国主義」論ですが、これとまったく無関係なところでグローバリズム資本主義が成立しているとは考えられません。

 しかし、明らかに、資本主義は、レーニン「帝国主義論」とは違う新しい段階に達したことは確かです。

 であれば、この資本主義は、マルクス「産業資本主義」、レーニン「帝国主義」を継承し、これを「過渡期世界」の新しい階級関係の中で、ブルジョア的に超克しようとしている資本主義と捉えなければなりません。

 この、同一性の上での、違うメルクマールは何か、かつ、その基本特質は何かを明らかにしてゆくことが必要と考えます。

 僕は、以下のように考えています。

 a,資本主義は植民地体制を失ったこと、
 b,マルクスが「資本論」一巻の「相対的剰余価値論」の章などで展開している「工場内分業や協業」が国際化したこと。

 この二つが、基本メルクマールと言えます。

 これに見合って、資本主義はこれまでの、社会的分業構造を変革し、市場、蓄積構造−金融構造やそのテクニックも変化させました。こうした構造的変化の中で、新たに植民地体制にとって替わるものとして、資本主義は「南北問題」を、その生命力の特殊な源泉として位置づけ、ここで、新たな質の搾取と収奪を展開して来ていたこと。

 労働、生産の管理も情報革命に立脚し、フォードシステム、テーラーシステムを超えたような管理システムに変革してきました。管理以外の労働は、きわめて単純化され、非正規の流動的、つまり非正規の不安定雇用の労働者達でやれるようにしてきました。これが、全世界共通の格差化現象をもたらしました。

 さらに、一国ごとに成立していた相対的過剰人口も、国境、国家の壁を低くすることによって、発展途上国の相対的過剰人口を起点に、先進資本主義国が、巧みに自国労働者と分断しつつ利用出来るようにしました。

 これらの要因と特徴的な諸現象は明らかに、レーニン「帝国主義論」とは、違う段階への資本主義の到達を示しています。

 この、分析を押し進めてゆくと、次のような「戦争と革命」の問題に至ります。

 第一次世界大戦、第二次世界大戦のように、植民地の分割と再分割、これが動因になっての先進資本主義、帝国主義本国間の帝国主義間戦争には行ききれない要素が非常に増大していること。

 世界核戦争とか、地球破滅の環境破壊とか、直接の経済外要素を、この際、除外しても、利潤追求第一の経済的ビジネス、経済プローパーな分野からしても、先進資本主義間の「帝国主義間戦争」、「国民国家間戦争」のビジネスは、資本にとって、割りに合わない、ということです。
それでは、グローバリズム帝国主義は戦争をやらないか、と言えば、全くトンでもないことで、資本主義の帰結、生命力は戦争と言えますし、必ず、戦争をします。

 僕は、これが、先に挙げた恒常的「局地戦」だと思います。

 この局地戦は、植民地から巻き上げる、膨大な超過利潤の搾取・収奪とは違いますが、主権を獲得したとはいえ、先進列強との資本主義「発展途上国」との「南北格差」は圧倒的で、ここから吸い上げる利潤は、「新植民地主義」という概念はあたりませんが、これとは、別の意味ではありますが、やはり圧倒的です。国際グローバリズム資本主義としては、自らの、植民地に取って代わる、自らの基底として、犠牲にしうる<犠牲的基底部>を「南」に固定的に装置しておきたいわけです。

 「別の意味とは」どういうことでしょうか。

 民族民主主義革命から連続的に社会主義に向かう道は選択しませんでしたが、その代わりとして、資本主義への道を選択した主権を持つ<発展途上国>は、先進資本主義へ従属する、「従属(周辺)資本主義」となったことです。

 世界に直結する市場もあり、資本家もいますし、プロレタリアートもいます。つまり、資本主義生産関係が育っていること、この関係が、これらの国の経済、生産を牽引してゆくように変わって来ているわけです。 

 それが、丸ごと先進資本主義列強に従属化させられているわけです。

 こういったものとして、列強、アメリカ帝国主義は<南>の途上国をグロ−バライズしてゆくべく「局地戦」を恒常化してゆく必然性があります。

 時には、と言うより、いつも、限定的地域とは言え、圧倒的軍事力を発動する、死者も多く、大量殺人の兵器も洗練され、しかも残虐な濃密きわまる侵略戦争をやります。

 それで、他の「南」諸国を威嚇し、睨みを利かせつつ、自己のグローバライゼーションを「南」に貫徹してゆきます。あるいは、その産軍複合の軍事経済で持って、総体としてのグローバル化した資本主義経済を浮揚させてゆくわけです。

 戦争の恒常化は、アメリカ国際独占体の軍事的・政治的要である産軍複合体制、つまり軍事経済を、常に稼動させた置かなければならない、という欲求と一体です。

 こういうわけで、グローバリズム資本主義を市場原理至上の甘ったるい「民主主義万歳、自由と平等、博愛」の等価交換−価値法則の世界とだけ見てはならないのです。

 この恒常的「局地戦」によって、「南」世界を発源基地として展開されてゆく、民族解放―社会主義の闘いの押さえ込み、封じ込めがあってこそ、ベトナム戦争敗北以降のグローバリズム資本主義世界の存続、繁栄が維持されてきたと見るべきです。

 この恒常的「局地戦」が、1975年以降、どのように展開してきたか、を歴史的に見てゆきましょう。

 先に述べた「従属資本主義」の構造は、中南米、アジア、アフリカ、中東で一般的でした。

 各地域ごとに、「従属と反従属」の闘いが、それぞれの特質を持って、時代ごと、個別地域毎に展開されてゆきました。

 1975年以降の独立後のアフリカは、未だ<宗主国>によって操作され、部族間ごと、地域ごとの悪無限の泥沼から未だ抜け出せていません。

 中南米では、ベトナム戦争以降、ペル−・アジエンデ政権成立とか、アルゼンチン、ペロン政権ら民衆運動で盛り上がりましたが、その後、ピノチェットらの血の弾圧、「戒厳令国家」の現出などで巻き返され、一進一退でしたが、この4〜5年、ベネゼラらで、逆に盛り返して来ています。

 アジアは、従属資本主義ながら、資本主義発展の好例とされています。最も、ここでも<途上国>の局外にいる国々、民族もいます。

 ベトナム戦以降の「局地戦」は、最初、バルカン半島、チトーの「ユ−ゴー社会主義連邦」の解体からの泥沼的「民族」間戦争を、恒常化してゆくことから始まっています。この種の戦争は、ソ連崩壊後、中央アジア一帯で起こっています。 

 しかし、典型は、中東―アラブです。第二次世界大戦後のイスラエル「建国」以来の、シオニズム・イスラエルとアメリカ帝国主義のパレスチナ人掃蕩、掃滅の残虐極まる侵略<局地>戦が、一番長く、根が深い、と言えます。

 その後の、<湾岸戦争>、そして、現在のアフガン、イラクへの侵略戦争としての「局地戦」です。

 このような、アメリカ帝国主義は、帝国主義侵略の鋭い「槍先」として、発動して来た、この恒常的「局地戦争」でもって「南」世界の支配、抑圧、搾取、収奪を行い、「南」世界に睨みを利かせつつ、これを「培養源」にして、全般的な、先進資本主義国、中国、ロシアを、黙らせ、引き込みつつ、ネオリベラリズム−市場原理至上のグローバリゼーションを展開していった、と言えます。

 いわく、「市場原理に経済を任せよう」「規制緩和、自由化、門戸の開放」、これが、ケインズ経済学派を追い落とした、ハイエク−フリードマン−ミ−ゼスらの「新自由主義経済学」派の合言葉でありましたが、彼らは、市場原理至上主義、ある面での、国際価値法則に身をゆだねたような格好を取りつつも、この軍事的、政治的保証としての恒常的な「局地戦」を、しっかりと展開し続けて来たのでした。
 
 この恒常的「局地戦」の、資本主義にとっての、帝国主義的性格、その意義をしっかり見ておくべきでしょう。
 
 親ブッシュの時は、アメリカは、対イラク「湾岸戦争」としてあった「局地戦」に、欧州資本主義の協力を取り付け、PKF− PKOを組織し、フセイン・イラクを撃破するほどに回復します。このように、80年代後半から、90年代にかけて、いわゆる「アメリカ一人勝ち」時代が展開してゆきます。

カーターの時代、アメリカ資本主義は、ベトナムで敗退し、植民地体制を失い、自信を失って行ったのですが、その後、どうっやって延命するかで活路を模索する過程に入った後、レーガンの時代、新自由主義のグローバリズム資本主義は、サッチャー、中曽根の連携を持って確立してゆきます。

 しかし、なぜ、カーター時代、アメリカ資本主義は自信喪失から立ち直ることが出来たのでしょうか。

 それは、ベトナム戦争時代、発達した生産力、戦争敗退で過剰化した資本を中国や中国に従っていた「第三世界」に投入して、その主権を認めつつ、資本主義への道を軌道付けたこと。この戦争の過程で発達した軍事技術を民間に転用し、IT−情報革命の技術的基礎としたこと。このことによって“重厚・長大・粗放”のソ連社会帝国主義の覇権主義的膨張戦争に打ち勝ったわけです。この決着はアフガニスタンへのソ連の侵略の頓挫で決着がつきます。

 しかし、その前に、金融−貿易システムを整備、洗練したことが大きいと思います。

 ここでは、1975年ごろは、OPECが石油値上げ攻勢に出て、「北」帝国主義を苦しめつつも、最後は列強「円卓会議」・G6の成立や中国路線転換という情勢の中で、「反米」から「親米」に転換し、そのオイルマネーをアメリカ資本主義は世界金融体制の整備に役立てて行ったこと、このことも大きいと言えます。

 しかし、何よりも重要なことは、中国が、中国社会の内的発展段階からして、「革命(−戦争)継続」よりも、「現代化」を望んでおり、中国(党)自身が、米中同盟、ソ連社会帝国主義打倒の「反ソ親米」路線を採用したことです。

 これは、1978年、中国共産党・三中総において、ケ小平の「白猫であろうと黒猫であろうと、鼠を捕る猫は、良い猫である」として、毛沢東らの「継続革命」路線を投げ捨て、徹底した唯生産力主義路線を確立したことを画期としています。

 中国は、アメリカ帝国主義の中東での、恒常的「局地戦」を、黙認してゆきます。

 この米中同盟が、先述した資本主義の側の経済路線と合体して、世界経済、政治を決定、牽引していったわけです。

 この米中同盟は、既に1972年頃より、中国指導部によって展望され、ニクソン−キッシンジャーによって準備されて行ったものです。

 これらの諸要因、諸条件によって、アメリカ資本主義は、自信を回復し、巻き返し、先述した、レーガン、サッチャー、中曽根によって、ネオリベのグローバリズム資本主義は花開いて行った、と言えます。そして、それは、これを、最も安定したものとして展開したクリントン時代、親ブッシュ時代として引き 継がれてゆくわけです。

 しかし、子ブッシュの時代ともなれば、アメリカ資本主義は「ユニラテアリズム」として、この局地戦―グロ−バリズム路線をヒートアップさせ、昇り詰め、次第に、各方面で、綻んで行き、最終的に破綻しました。

 確かに資本主義における「世界性と一国性」は矛盾していますが、世界性を一方では保持し、それを追求しつつも、他方では一国性も保持する、その葛藤の現象、プロセスそのものが、新しい<段階化>なのであって、資本主義は、一元的に、世界単一の資本主義世界へと世界化しきることはできない。なぜならそれを阻む国際プロレタリアートと被抑圧民族、国家が居り、それを抑圧、反革命する侵略戦争は、必ず常勝ではなく、大局は敗退してゆくからです。そうすると、アメリカ−世界経済は回らなくなってゆき、だからこそ、恐慌も勃発してゆくわけではないでしょうか。


 このことを、マルクス・エンゲルスの見地に立って巨視的に見れば、「資本主義の基本矛盾としての、生産の社会化と所有、所得の私的、資本儀的性格(エンゲルス:<空想より科学へ>」が、資本の世界性と一国性の矛盾として発現してきている、と言えます。この矛盾は、「生産の社会化と国際化」の主体、国際プロらタリアートの世界プロレタリアートとしての階級的形成によってのみ、唯一止揚されてゆく道筋>を見出すと言えます。


市田:『〈帝国〉』に対してクラシックなマルクス主義者から「やはり帝国主義概念の方がいいのではないか」という反論がよくあります。確かに歴史の段階規定としては、「帝国主義段階から〈帝国〉へ」となりますが、〈帝国〉段階に移ることによって、従来とは違った格好で「帝国主義的な」争闘が強化されるということをネグリ自身も言っているのです。今回の金融危機がまさに典型でしょう。サブプライム・ローンは一面「革命的な」仕組みでした。住宅価格が上がり続けるかぎり、アメリカの貧者は住宅をもてるようになって、貯まった負債にかんしては世界中にばらまいてうやむやにする、なんてことを実現したんだから。負債の最終処理をどうするか、言ってみればその押し付け合いを、今世界中でしているわけです。どうやって債務処理をするのか、誰がそれを引き受けるのか、と資本は国家を媒介に悪戦苦闘している。負担を求められるのはまずは実際に住居を奪われる貧しい人たちですが、それで処理しきれるわけもなく、債務の押付け合いのネットワークが世界中で機能しており、各国は鍔競り合いをしています。これは帝国主義時代には考えられない事態だけれども、「帝国主義争闘戦」的ではある。


足立:サブプライム・ローンがうまくいっているかぎり資本全体が利潤を得ることも可能だったけれど、それがダメになったから、今度は問題が「負債」に転換している。これはネグリの言うように資本主義に「外部」がなくなったことと関係しているんじゃないかな。基本的には塩見さんが言っているように、資本は世界性という性格を持ちつつ国民経済の側から発展してきた尻尾をもっているんですが、多国籍企業の資源及び市場争奪戦が展開されている国際資本主義の姿から見ていくと、グローバリゼーションは資本主義システムそのものをグローバルに純化していっている段階としてある。これを第三段階と言った場合にどこで時代区分するかという問題はあると思いますが、中心的に考えたいのは、世界性を持った資本にとってシステムの外側がなくなったということです。つまり帝国主義が植民地を資本主義そのものの外部に置いて、資本主義に内在する矛盾をこの「外」に押し付けて解決する形ではなく、今は収奪をぜんぶ内部化してしまった。外部があればどこでも潰してしまう。一国の中でもそれをやるし、国際的にもやる。その結果、資本主義システムが世界を覆い尽くしたから、外を収奪して得ることができなくなった利潤を、なんとか内部から手に入れないといけない。それが上手くいかなくて、資本は負債を貯め込んだんじゃないか。


塩見:足立さんの「内部―外部」関係の捉え方は全く賛成です。

 非資本主義生産関係無き、グロバ−リズム資本主義では、指摘されているような関係となります。

 そして、このような、資本主義の第三段階は、既に述べましたように、過渡期世界の対峙段階、プロレタリアートとブルジョアジーの階級関係での世界的、世界史的階級関係の変化と一体としてあった、ベトナム戦の敗退という1975年が画期だと思います。



市田:このような現代と、塩見さんが過渡期世界論を考えられた時の世界性との間に、違いを感じられますか。


塩見:違いが、大いに考えられます。考えても見てください。当時の世界性、国際連帯は、アメリカ帝国主義らの非道な帝国主義列強らの資本家としての共同利害に根ざす連合したベトナム反革命・侵略共同戦争に対する国際プロレタリアートの世界性だったと思います。資本主義は、いまだ、一国ごとを基本とし、プロレタリアートもその経済的基礎からして、一国的制限を受けていました。物質性といえる限りでは、キューバやスターリン主義の中国、ソ連を背景とする、間接的なものでした。中国の継続革命、プロレタリア文化大革命、民族解放闘争支援は、その中でも大きな比重を占めていたとはいえ、本質的には外在的でした。だから、国際主義の世界性は、理念的、主観的要素が第一でした。

 このように理念から現実、経済に近づく要素はあれど、現実、経済が、世界性、世界同時革命に向かう要素はすくなかったと思います。しかし、今は格段に違います。資本主義の生産過程がグローバル化し、それゆえ、プロレタリアートは、経済過程からして直接的に、国際プロレタリアートとして、登場せざるを得ないのです。現実のほうが、理念をかってとは違って引き寄せてゆく、理念に近づいてゆく構造になっているわけです。この、国際プロレタリアートを、ネグりはマルティチュードと命名しているのでしょう。僕は国際プロレタリアートの世界プロレタリアートへの階級的基礎が、成熟してきていると、ネグり認識とは方法論は違いますが、内容は同じように捉えています。

 当時はレーニン「帝国主義」論に立脚していました。これで、基本的には良かった、と思っています。なぜなら、その頃は、だんだん減少、弱体化、崩壊化しつつあったとは言え、植民地体制は現に存在し、資本主義は、その生産過程においては、国際化してはいず、基本的には、一国主義的でしたから。その、世界性は、経済と政治のモーメントにおいて、比重がどこにあったかといえば、政治、つまり、国際反革命における協調性にあったと思います。

 レーニン「帝国主義」論は、マルクスの『資本論』における国民経済分析の延長で考えています。「資本は集積・集中され、過剰化するから、必ず外部に出ていく。市場を分割し合い、それが帝国主義戦争になる。」−−−僕もこういった市場問題、「帝国主義と植民地問題」として、「過渡期世界」、その「防御」段階を考えていました。

 しかし、今の第三段階では、この基本構図で、世界経済が動いているのではない、ということです。


 1975年のベトナム解放によって帝国主義は植民地体制を護持できなくなり、もう帝国主義はアカンだろうと思っていたら、最初に述べましたように、中国が路線転換をして弟三世界が社会主義に行かずに資本主義に行ってしまった。市場は金融資本の力でボーダレスになり、植民地はもうなくなっている。 世界資本主義は各国資本主義の総和だけども、その全体を一国の資本主義として見れるような構造が、1975年から拡大していった、わけです。潜在的にはブレトン=ウッズ体制なりIMF-GATT体制によって、すでに戦後直後から“世界性”志向はあったわけですが。

 もうレーニンの不均等発展論だけでは見れない。単一の世界市場、世界金融機構、世界貿易機構らを前提とした上での不均等発展になり、世界戦争に行かない構造になりかかっている。

 中核派はずっと「日米帝国主義間戦争」と言ってきて、それを今でも改めていない。清水丈夫さんから見れば、われわれがグローバリズム資本主義と言っているのは修正主義だと言うでしょう(笑)。僕は、もうそういう形で世界を見てはいけない、と思います。 彼は、資本論をどれだけ、理解しているか知れませんが、レーニン帝国主義論を残しつつも、その資本の集中集積が、その下のベース、直接的生産過程で変化したこと、このことが、帝国主義論的な資本の動き方、法則を変化させていっていることが理解できないのです。資本蓄積の構造が変わってきていること、それを基礎付けるには別のモーメント、分野あり、それが変化していることを見ていないのです。レーニン帝国主義論を生み出した、その基礎の「資本論」から、現代資本主義を基礎付けて場合、これは、ぜんぜん修正主義ではないのです。それどころか、マルクス思想、経済学の創造的発展であるわけです。

 生産過程における変化から、事態を眺めると別の資本主義像が出てくるのであり、「帝国主義と植民地問題」ではなく、「南北問題−生産過程における分業の世界化」、こう言ったところから世界を見るべきでしょう。

 金融資本の働きなどによって、工場内分業を、世界的な社会的分業と結合化し、その全体が国際化し、それが土台となって世界経済は成立する、という構造なわけです。

 だけども、国民経済がそう簡単にこのような資本の運動法則の中へ解消されてはいかない。つねに、そこで、その葛藤でもがいています。

 レーニンは『帝国主義論ノート』の中で「実験室の中では、世界資本主義はあり得る」とはっきり言ってます。トロツキーは世界性と一国性が交じり合う帝国主義と言い「世界性と一国性の間で“死の苦悶”をし、“痙攣してゆく”資本主義」と、その矛盾を象徴的に表現しています。

 EUを見てみましょう。確かに通貨、貿易、経済のほうは、国民経済の壁を越えつつあります。しかし、軍事、外交はEU連邦政府に委譲されず、しっかりと「国民国家」が握っているわけです。

 とはいえ、 世界性と一国性の矛盾の中で、基本的には世界市場を土台にするなかで、ヘゲモニー争いが行われる、資本主義の「結託と闘争」という関係で言えば、<結託が主で、闘争が従>という構造段階が来ている、ということです。

 これが、市田さんが、紹介された、「帝国」世界を前提にした、「帝国主義」的な、金融、貿易、恐慌の「付け」の「後始末」の熾烈な押し付け合い現象の意味なのではないでしょうか。

 しかし、資本主義は植民地を獲得すべく戦争をやらない限り生命力がないというのが僕の資本主義への基本認識なのですが、植民地がない中で、利潤追求戦をやるだけでは利潤率は、マルクス「資本論」が指摘するごとく、傾向的に低下して行って資本主義は生命力のないものとなっていき、寄生的、投機的になって行きます。世界の民衆が国際主義で連帯し、他民族排外主義、国家主義に陥らなければ、恐慌が勃発し、それはなかなか克服できず、長期停滞に陥ってゆきます。

 しかし、前述しましたように、戦争がまったくないかと言えば、明かに「局地戦」を恒常的にやっている。「局地戦」をやりながら、世界資本主義的な性格が濃厚になってくる。「局地戦」ではい上がることができなければ危機になる。

 ところが、この「局地戦の恒常化」という帝国主義的モーメントとネオリベラリズムのグローバル化のモーメント、あるいは、そういうものとしての資本主義の世界性と一国性は、微妙な均衡を持ちつつ、アメリカ帝国主義の基軸的実力性において、統一されていましたが、その統一力が喪失してきた、ということです。

 サブプライム・ローン問題や金融恐慌、世界恐慌を金融分野プローパー、あるいは、経済過程だけで見ることは、一面的で、このことは、イラク・アフガンでの軍事、政治情勢の展開と深く関係しているのです。

 ブッシュ・アメリカ帝国主義は、この6年間のイラク・アフガン戦争で、後半戦、敗勢を強め、アメリカ民衆も厭戦気分を強め、戦争ビジネスが立ち行かなくなり、それまで潜在的に在った金融恐慌−過剰生産恐慌を爆発させて行っている、と見るべきです。

 今回の危機を、サブプライム・ローンによって引き起こされたとみなさんおっしゃっていますが、それよりも前にIT産業が牽引した好況期があり、これが過剰生産に陥って恐慌になったという経緯があります。イラク戦争で産軍体制が機能する状況の中では、アメリカ資本主義は、それを乗り越え、好景気を持続しました。IT景気の後、住宅景気が続いていたのです。これを、当て込んで、サブプライム・ローンは発動されたわけです。
ところがイラクで旗色が悪くなって反戦運動が起こってくると、産軍複合体制を軸にする戦争ビジネスが回らなくなり、この問題が起こったんです。

 概括すれば、アメリカ資本主義は恒常的な局地戦争による景気維持と帝国主義間戦争を回避するグローバリゼーションを、車の両輪として、資本主義の世界性と一国性を統一していこうとして来たのだけども、片方がうまく回らなくなって、ネグリ流の〈帝国〉に近づいてきた、ということでしょう。



市田:70年ぐらいのときには、世界はまだレーニンの図式の中にあるという認識だったのですか。


塩見:基本的にはそうでした。


市田:最初は「世界一国同時革命」と言い、そこから次第に「一国」が取れて、「世界同時革命」というスローガンになっていったわけですよね。この「同時」性の根拠はどこに見ておられたのでしょうか。レーニンの図式のなかにはそうした同時性は見当たらないようにも思うのですが。


塩見:そんなことはありません。

 その前に、事実関係で、一つ、指摘しておきます。

 第7回大会では、始めから<世界同時革命>という名称で採用されたこと。「取れて行った」のではありません。

 「帝国主義間戦争を内乱へ」という限りでは、「同時革命」、と言っても良いと思います。レーニンはヨーロッパ革命との「同時革命」、「結合」をロシア革命の成功、成立、成長の要においています。

 又、1971年の普仏戦争の際のパリ・コンミューンの革命も「同時革命」です。マルクスは「ドイツ・イディオロギー」でも、欧米の「一挙の、世界同時」の革命を説いています。

 革命に勝利しようとすれば、主体的に「同時革命」であるべき、と言うのは全く真理です。

 しかし、今の議論は、そういう事ではなく、帝国主義間世界戦争の前段での、「世界同時革命、前段階決戦」の物質的根拠のことでしょう。問題に、しなければならないのは、世界戦争、勃発以前での、つまり戦争『後』での<同時>ではなく、戦争『前段』での<同時>のことで、それについては、レーニンの中には、<見当たらない>と言うべきです。

 レーニン「帝国主義論」に立脚した、と言いましたが、岩田弘の「世界資本主義」論を批判しながら考えてはいたんです。しかし、はっきり言って、当時は、僕には岩田弘と違う、今、僕が、展開しているような、「グローバリズム資本主義」論を展開する能力がなかった(笑)。だから、とりあえず、レーニン「帝国主義論」の原則を持ってきた、というわけです。

 実際、前述しましたように、未だ、植民地体制は存続し、ベトナム戦争は、その「護持か、解体化」をめぐる世界史的闘争であったわけですから、「<帝国主義−不均等発展−市場分割戦の法則>は貫徹しているが、当面、各列強は、資本主義・植民地体制護持の反革命勝利という共同利害のために、それを押さえ、団結する」、こういった、政治力学的常識の原則論を言っている限り間違っていなかった、と思います。

 だけど、感覚的には当時の段階でも、世界的な資本主義は有機的な統一的関係にあるということは感じていました。



市田:その感覚のところを聞きたい。


塩見:感じてはいたが、理論的、論理的には展開できなかった。論理的には『赤軍』No.4で言っているように、「世界性と一国性の矛盾」が立脚点であるということです。  

 しいて言えば、「NO4」では、過剰資本が、民族解放戦争の前進の中で、慢性化し、先進資本主義国内部でも、<革命戦争が持続してゆく>とは、触れています。これは、その後、深められないままでした。

 それよりも、僕らは、主体的な陣形、資本がその一国性と世界性の矛盾を解決できないのに対して、生産の社会化、世界化の主体たるプロレタリアートは、この矛盾を、「世界プロレタリアート」として解決できる、と言う確信、主体の側の戦略的認識の方を強調したわけです。

 それを、<逆制約の能動のテーゼ>とかで、理論化したわけです。

 つまり、資本主義が、植民地体制護持のため、アメリカ帝国主義を中心にして、反革命・侵略戦争として、擬似的に連合するのに対し、ベトナム−インドシナの「民族解放−社会主義」の革命戦争は、このことを通じて、国際的にプロレタリアートを連帯、団結させ、先進資本主義国内では、「前段階決戦」、「社会主義革命戦争」を成長させてゆく、という認識です。

 この前、重信さんが『図書新聞』で書いているのを読んで、彼女もそこをズバっと強調して言っており、「良くぞ、赤軍派の基本立脚点をしっかりと守っていてくれているなー、やはり重信さんは赤軍派なんだなあ」と思いました。

 僕たちは、この鼎談でも、幾度も強調しておきましたが、資本は世界性を持っているが、一方では国民経済を基礎にしているから世界性を確立できないようになっており、それを乗り越えるのが生産の社会化の担い手であるプロレタリアートである、プロレタリアートは国民経済に規定されていないから、世界性をもともと持っている、と。世界性はプロレタリアートの方にある、と。



市田:その世界性が帝国主義段階をすでに一歩越えているというのが、オペライストたちの基本認識だったと思います。資本の側はまだ世界性と一国性の矛盾の狭間の中にあるとしても、七〇年代にはすでに生産過程での世界性の方が国家を超える段階にあり、そのことが資本主義の現状を逆規定している、と彼らは考えた。もっとも彼らとて、それが「どのように」であるかはあまり分析できていたとは思えませんが。だからこそ、ネグリは、後で、『〈帝国〉』を書かなくてはいけなかった。

足立:そうですね。過渡期世界論と結び付けて言えば、人民主体の側が資本の持っている限定付き世界性を乗り越えて、全体構造を逆規定するというところが共通している。


塩見:赤軍派の立脚点はそこです。


市田:とすれば、世界資本主義の分析はさておき、主体の側の力量に関する状況認識という点で過渡期世界論とイタリア・アウトノミア系の人たちの間には共通性がある、と言えそうですね。足立さんはいわば遅れて過渡期世界論に触れられ、日本で蜂起戦がはじまる前にアラブに行かれたわけですが、向こうから振り返ってみた赤軍派の状況認識はいかがでした?

足立:前段階蜂起とか過渡期世界認識などはパレスチナにおいてはいわば当たり前の話になっている、と感じました。だから、そこから先の話が重要だと思いました。パレスチナでは直面するイスラエルという敵がいて、彼らはそれと戦っているけれども、イスラエルを作り、使っている欧米帝国主義との闘いの前段をやっているという意識だから、前段階蜂起と言ったら毎日やっていることにすぎない。だから逆に、日本で前段階蜂起というものをどういうふうに捉えているのかに興味があった。

 パレスチナの解放闘争は、実はすでに反植民地闘争の姿を越えていた。だから、「一向(塩見孝也のペンネーム)過渡期世界論」の言っていることは当たっていると思えました。中ソ論争があり、毛沢東やホーチミンが言っていることは結局、過渡期世界の中でどう革命をやるのかということであろう、と。

 塩見さんはレーニン主義を原則論的に適用していたから、僕たちはそれを進めて、これから現代帝国主義論をやろう、という意気込みでした。僕たちは「人民主体」という言葉を使っていましたが、人民主体が世界を制約していく側から捉えていくことについては塩見さんも非常に明解だし、何の異論もなかったのですが、帝国主義分析は今一つだったかもしれない。前段階蜂起は当たり前の日常すぎて、これからどう革命をやるかについては進路を示していない、というか。



塩見:「前段階決戦」は、先進資本主義国のプロレタリアートの戦略的課題で、第三世界のパレスチナでは、現に革命と反革命の戦争が展開しており、ここでは、民族解放・民主主義革命を連続的に社会主義革命に転化してゆく<民族解放−社会主義>革命が課題と思います。この「連続革命の追求」が、中東で唯一のマルクス主義政党、政派といえるPFLPや日本赤軍の課題だったと思います。つまり、民族解放闘争の中で、プロレタリアートのヘゲモニー、社会主義のヘゲモニーを強化してゆくことだったと思います。



4. 過渡期世界論の陥穽 

塩見:過渡期世界論について少し説明させていただくと、マルクスから直観的に採用したのは、「人類の自然史から真の人類史への世界的規模での移行、つまり、資本主義から社会主義への移行」の「過渡期段階」が「過渡期世界である」という点です。

 このことが僕の頭の中にずっとあり、ベトナム、文革、チェコ、フランス、アメリカ、ドイツ、日本などで世界同時的にことが起こっている諸民衆闘争を、その本質を“どう総合的、統一的に捉えるのか”、といった時に、マルクスのこの命題をもってきて、すっきりとしたわけです。

 しかし、それをどう肉付けするのかについては紛らわしい点があったということをここで言っておくべきでしょう。
藤本進治は『革命の哲学』の中で、人民が能動的になったのは、たとへ、スターリン主義に変質して行ったとはいえ、ソ連「労働者国家の存在」があったからだ」「プロレタリアートは、根拠地(国家)を持った」と言っており、関西ブントもそれに依拠していたのですが、レーニンが死んだ後、すぐにスターリン主義になってしまって、「ではスターリン主義が、プロレタリアートの能動性の根拠地か?」という疑問が、いつもつきまとっていた。今から、整理してみると、確かに人類史的に見たらロシア革命で人類の経験は高い段階に来たことははっきりしています。

 しかし高い段階に来た途端にスターリニズムが出てきて、主体どころか客体、資本主義の方がヘゲモニーを取る。それが、国内的には、国家独占資本主義、ケインズ政策、対外的には帝国主義植民地体制の維持と再分割という構造となっていった。

 そうすると能動性はどこにあるのか。ロシアの労働者国家にあるのではなく、搾取・収奪されている植民地での民族解放闘争を牽引する労働者の中に、ロシア革命の革命性が、ロシア革命そのものは変質しつつも、転移して行った、こう、言っておれば、もっとすっきりしていたと思うのです。

 実際、ベトナム−インドシナ民衆、民族の戦いが、逆に、世界とスターリン主義を覚醒させて行っているわけです。

 ソ連・スターリン主義の功罪を言うならば、「罪」の方が圧倒的に多いのですが、民族解放―社会主義を支援している側面は評価すべきと思っています。毛沢東も一定の時代にそういう能動性を「抗日統一戦線が世界革命の最前線」「中国が世界革命の大後方となる」と、表現したし、ベトナム解放闘争やパレスチナ解放闘争は、一貫してそれを具現しています。

 だけども、それは、帝国主義と植民地国での労働者−民衆の闘いという視点で見たら、基本的には自分たちの能動性を防御する段階、あるいは主体性の防御において、能動性を発揮する段階、過渡期世界に入った時点での防衛戦じゃなかったか。こういった観点で、当時<過渡期世界、世界革命戦争での防御段階>と言っていたわけです。

 この防御の戦いがベトナムで打ち破った。

 打ち破ったら、一気に攻勢に行くんだ、と思っていました。ベトナムからアメリカ資本主義心臓部に向けて、世界革命の波が一挙に進む、という非常に楽天的な認識を持っていました。



市田:つまり主体の側から見た歴史過程と、資本主義分析が教える対象のあり方や実際に目の前にある現実の間に、どうも齟齬というかズレがあったのではないでしょうか。勝っているはずなのに、どうして負けているのか……


塩見:一貫してそうでした。このことを、ずっと考えてきたのです。

 この<防御から攻勢>のプロセスの間は、短期間で、「対峙は、一瞬、短期間で、すぐに攻勢の段階に移ってゆく」、こういったものでした。つまり、「対峙」は、“結節点的段階”だ、と。
 
 “こういった認識は、改めなければならないのではないか?「防御」から「攻勢」への間には、極めて、長期の段階が横たわっている、のではないか。”

 “「対峙」段階は、当時の僕(ら)が予想もしていなかったほど長く、複雑で、その間、主体とその戦略―戦術を鍛え直さなければならない。”

 言い換えれば、「一方では、敵の延命化の全陣形の敷きなおしを対象化してゆける能力、他方での、それを、可能にしうる主体の未熟性を克服しつつ、成熟に至る長い段階を経てしか、攻勢の段階は現れてこない。そういった主体の成熟の度合いに応じてしか現れない、それまでの、期間、段階が、“対峙段階”であると。」と僕は捉えなおして行っているわけです。



市田:やはりそうでしたか。


塩見: 対象の側からと、それに照応する民衆、プロレタリアートの側から、両面、総合で、統一して捉えてゆくことが要請されていたわけです。

 そして、市田さんも賛同され、一致していますように、対象側からは、資本主義の第三段階、としての「グローバリズム資本主義」、ネグリの「帝国」段階、主体の側では、<主体の未熟から成熟という試練的期間」として、措定してゆけば、「対峙段階」論は、しっかりしたものとして、確定されてゆく、と思います。

 対象分析につきましては、詳しく先述しました。主体の<未熟から成熟へ>の事柄につきましては、この30数年間、それは、圧倒的に不利な状況であったといえます。

 だが、敵の側で墓穴を掘るようなことが起こり、対峙段階が有利に展開する状況が開けてき、対峙段階そのものが、何であったか、が見えて来、今や、攻勢の情況が展開し始めていると見ます。  

 過渡期世界の展開は僕たちが単純に直線的に描いていたようなものではなくて、資本の側がいったん後へ下がって体制そのものを作り変えたわけです。  

 これに対抗できないまま、この三十年間、僕たちは追い込まれてきた。だけど、向こうがいろいろな綻びを見せはじめ、対抗が可能になる時期が来ている。イラク−アフガン侵略戦争での敗勢、格差問題、金融資本と生産過程の国際化、そして、その総合的帰結にして、どん詰まりとしての、29年恐慌を超える世界過剰生産恐慌の爆発、これらの諸現象を統一的に捉えて「攻勢」の段階の陣型論、戦術・戦略を打ち出していけばいい。しかし、あまりにも長かった。三十年もかかってしまった。




5. 「対峙段階」は存在するか?

足立:「防御」の段階から「攻勢」の段階に至る間に「対峙」の段階があるという発想は非常にユニークであり、そのことは他の人は誰も言っていません。しかし「対峙」段階の性格規定は非常に難しいんじゃないか。もっとはっきり言うと、人民の側の主体性が資本を逆制約しているという関係のなかで、塩見さんの言う「対峙」段階が実体的にあるのかと言うと、ないんじゃないか。「防御」から「攻勢」へは瞬時に流れるからです。ベトナム解放後「対峙」段階へ至ったという認識はあまり聞いたことがない。


市田:しかし、「対峙」段階がネグリの言う〈帝国〉なのではないか、と考えていいかもしれません。最初にも言いましたが、〈帝国〉は世界的な階級闘争の進展に押されて出来上がったようなところがあるからです。この点は、塩見さんの言う、「資本の側がいったん後へ下がって体制を作り変えた」ということと符号するでしょう。ベトナム解放から一直線にアメリカ心臓部における革命へ、さらに世界革命へと至らなかったのは、〈帝国〉が出来たからだと言えるかもしれない。国家を間に挟まずに、資本の世界権力とマルチチュードが直接「対峙」している、これも『〈帝国〉』の基本構図ですし。


足立:「対峙」を闘いの大きな過程のなかの「段階」として捉えることはできないんじゃないですか。ネグリが『〈帝国〉』で言っているのは、社会全体が工場になっており、世界中が工場でありマーケットであると言うことですよね。これは闘い方にかんする「主義」や「力量」を語っているのではなく、資本主義を今どう捉えるのかということです。主体の側から見て、状況はどうなのか、と。力関係が拮抗して「対峙」してるとかいうことではない。もっとはっきり言うと、一向過渡期世界論に描かれたような「能動的な攻勢」が、ネグリにおいては一貫して続いている。人民の持つ能動性にとっては、敵との対峙は「ずっと」なのであって、防御の次にはあくまで攻勢しかない。対峙しつつ闘いをどうするのかと考えるときには、対峙そのものを「期間」のように捉えないほうがいいだろうと思ってきました。


塩見:ベトナムで勝利したと思ったら、構造が切り替えられてしまったわけです。「対峙」段階への移行はグローバリズム資本主義の登場がメルクマールであり、プロレタリアートは、最初は、それを認識出来ず、それに負けている。しかし徐々に状況を分析しなおしながら、三十年間しのいできた。今は向こうの手の内が見えてきた段階にあり、ようやく攻勢の段階がやってきた。これまで僕は攻防の弁証法のようなものだけで問題を捉えていましたが、ハーヴェイなどの分析が出てきて、マルクス資本主義批判を習得した上で、それを参考にグローバル資本主義を捉えれば全体の「対峙」関係とその推移、終結点、つまり、攻勢段階の開始とそのあり方が見えてきます。

 向こうが破綻していく中で、こちらが攻めていく時代が来ている。

 足立さん、足立さんの<対峙段階は存在しない>とい見解は、われわれの周り、日本、あるいは、パレスチナ関係だけでの後退、被弾圧情況で見れば、のことではないでしょうか。

 僕は、アラブにおけるPLOやイスラム勢力の戦い、キュ−バの不屈な闘い、らを評価します。サパティスタらの闘いも。足立さんら「日本赤軍の戦い」もその一部であった、評価しています。

 僕らマルキスト、コミュニストの主体の側から見れば、不十分性が目に付きますが、僕ら自身の見る目が曇っている場ラム勢力による反米闘争は、僕は、“イスラムの衣をかぶった民族解放−社会主義の闘い”ではないか、と思うようになって来ました。

 こういった闘いが、持続的に続けられてきたことがはっきりと見えてこない場合もあります。

 90年代には、「世界社会フォーラム」の戦いも始められてゆきました。
先進資本主義国では、60年から70年代革命的に闘った勢力は、めちゃめちゃに弾圧され、地下に追い込まれ、無期や死刑の判決を受け、超長期の投獄攻撃を受けました。

 しかし、決定的なことは、根絶やしにされず、はじめは、ネオリベのグロ−バリズム資本主義との対決方向、対決陣形がわからず、―――特に思想上、理論上の―――後退戦を続ける一方で、70年闘争を闘った人々も、なりふり構わず生きるところがありました。

 しかし、赤軍派、先進的部分では、獄中でも、連赤事件らも、事実関係−責任関係もはっきりさせ、70年闘争の反省の基本テーマである「プチブル革命主義をプロレタリア革命主義へ」と設定し、きちんと自己批判的に総括し、非転向で闘い、出獄しても戦っています。あなた方、パレスチナ支援にいった部分は、今でも、パレスチナ国際連帯を維持しています。


 僕らは、主体が、思想的、政治的、組織的にも鍛えられ、この対峙段階の試練を徐々にクリアーし始めてきている、と思っています。

 つまり、対峙段階とは、煎じ詰めれば、世界的に、国内的に、資本主義、かつ、その現代的存在であるネオリベのグローバリズム資本主義と、共に天を抱かない、批判的な、抵抗する変革主体が存在し続け、過去の未熟性を総括し、未来を展望し、この陣形変えを徐々に、思想的に批判し続ける主体へと存在し、進化し続けて来たこと、これが、「対峙」と言える、基本モーメントだと考えるわけです。

 市田さん、ネグリにおいてはそういうことがきちんと捉えられているのでしょうか。


市田:資本は「(世界)主権」を必要とするとネグリ言っていますが、それはその通りです。人民がそこへ自らの能力を委譲する主権があってはじめて、資本は機能する。世界資本主義がちゃんと動いていくためには「世界的主権」が要る。アメリカがいくら強大な国であったとしても、「人類の政府」を名乗ることはできない。それぞれの国民国家、国民経済を「人類」に依託する、民衆、諸国家が、法曹的にも、納得しうる「主権委譲」をしなければ、資本が世界的に正当なものとして機能する法律的な論拠が出てこない。

金融資本などは今後、強いアメリカに従え、などという幕藩体制のような形とは違ったやり方で規制していかなければならない。



足立:世界的「主権」による資本主義のコントロールは、すでにやっていると思う。だからこそ、サブプライム・ローン問題のようなものが起こってしまう。そういう姿をとりながら、闘いは発展したり後退したりするのでしょうが、いずれにしても、世界的な主権委譲があればもうそれでよいとか、闘いはお終いだ、ということではなく、そこからさらに次のステップで「対峙」があったりする。


塩見:足立さん、それは、急場しのぎの各国ブルジョアジーの「円卓会議」のようなもので、行ってみれば、徳川氏や幕府勢力が、「日本の主権者」を僭称するようなものではないでしょうか。

 正当なる、世界民衆、人類が認める、「世界政府」などではありません。そもそも、僕らは、彼らが、そういうことをなしえない、と言う認識から出発していると思います。おっしゃっているのは、僕からすれば、「攻勢」段階での、小段階としての「対峙」ではないでしょうか。僕はこれからここで勝負だと思っています。(笑)。




7. 前段階蜂起は戦略だったか?

市田:今回塩見さんから『赤軍』パンフを全部お借りして、三十年ぶりぐらいに読み返してみました。改めて強く印象に残ったのは、前段階蜂起を過渡期世界における「戦略」であるということを強く打ち出されていることです。


塩見:民族解放−社会主義革命および「社会主義」継続革命と連帯するものが、「前段階決戦」戦略で、「前段階蜂起」は、基本的には、戦術です。


市田:前段階蜂起を「戦略」だと強調されているのですが、これは一体「戦略」なんだろうか、という気が読んでいるうちにしてきたんですよね。No4を経てNo5、6ぐらいになると、考え方も整理されてきて図式的で分かりやすくなっているのですが、こう読めるんです。すなわち、「明日勝つための戦略」、本当の蜂起において勝つための戦略として前段階蜂起をやらなければならない、と。ということは、明日勝つための戦略が今日勝つことだ、と言ってることになる。 

 それをもって「逆規定」と言っていると思わせるようなニュアンスがだんだん強くなってくる。下からの積み上げ式で反乱が蜂起に至り、一国における権力転覆に至るというようなプロセスと、権力奪取としての革命の方から出発して、上から下を規定していくようなプロセスを同時に重ねなければいけない、と言っている。「下から上」と「上から下へ」が同時なんだということを強調しています。「規定と逆規定の同時性」とか「二重の規定」という言葉がたくさん出てくるようになる。ちょっと引用してみますね。「階級形成と党形成を下から捉えると同時にそれを未来から捉え直す二重の規定を行なうことによって、大衆を極限まで闘わせる」。「一個二重の準備がいる」。「直接的な蜂起の準備(下から上に行く蜂起の準備)とともに、蜂起の永続性を保証するために世界革命戦争の根拠地を最初から準備する」。さらにはこういう言い方もしています。「煎じ詰めれば、(前段階)蜂起が世界革命戦争である」、二つは「イコールである」。スローガンとしても「前段階蜂起=世界革命戦争」になる。この「イコール」図式が、中核派を念頭に置いた「一瞬の武装蜂起に向けての下からのソヴィエト運動」という図式と対照させられる。それがとことん行くと、「勝つ以外に明日への展望はない」と述べられる。今勝たないと明日はない、今勝たないと明日勝てない、明日勝つための「戦略」は今勝つことである……



塩見:主体的にはつねにそうじゃないですか(笑)。


市田:しかし、これでは「戦略」の話ではなくなっていき、「とにかく今決起して、勝て!」と今の決起を求める決意要請に変わっていくのではないですか。上野勝輝さんが使っている言葉では、「英雄主義」です。

 「いかに闘うか?いかに勝つか?」という問いに対し、「今勝て」と答えても答えにならない。戦略を目標にすり替えているような気がするのです。

 それに、これなら「未来を先取りするのが共産主義である」と言っているのと論理構造として同じであり、革マルの党形成の議論と似て来ざるをえない。 

 党の中で未来が先取りされるのか、決起そのものにそれが体現されるのかの違いはありますが。先取りタイプの論理として、非常に似たものを感じます。戦略・戦術が消えてしまい、今ここで闘う決意のロマン主義にだんだん置き換えられていっている。



塩見:うーん、僕は、前段階蜂起については、本当は、当時、はっきりした、イメージを持っていず、軍事的には、ぶれている、というより試行錯誤です。

 しかし、市田さんのおっしゃった指摘、「前段階蜂起」は、戦略か、戦術か、と言う点では、はっきり、「戦術」と認識していました。

 僕らが、あの69年秋、組織の全体重をかけるにせよ、やはり、戦術と言えます。

 しかし、戦術と言っても、軽々に<戦術>と言ってもらっては困ります。

 「政治過程論」で使っているような「大戦術」の類です。

 「革マルだ」とか、否定的な意味で、「決意主義だ」とか、若し、あなたが言うのであれば、さっぱりわからん。

 こういった批判は、全て願い下げとしたい。一体、こんな非難がどこから出てくるのでしょう。あなたは、こんなことを言える、経験やあなた自身の革命思想、戦略−戦術思想を持っているのですか。

 確かに、僕らは、革命(戦争)の軍隊を作り、重火器で武装する闘いが必要だ、と天下に主張し、それは正しかったし、秋の決戦は、本質的に見れば、それで、日本民衆、変革主体が世界革命戦争に参画する、その開始の時期、その狼煙を上げる闘いですから、言い切った以上、やらなければならないし、みんな、これに全存在を賭けていたわけです。

 とはいえ、69年秋の<佐藤訪米>の戦いは、全体の<前段階決戦戦略>から見れば、「戦術」です。

 しかし、<戦術>とは、<戦術思想>とはどういうものでしょうか。一つ一つ、個々の「戦術」に、具現され、実現されてゆかない<戦略>など、在って無きが如し、で、<戦略>は<戦術の成功>に具現されなければならない。

 戦術の成功に、全体重を賭ける、位でないと、いけない。

 まして、僕らは、この前段階蜂起を、世界=日本革命戦争の開始、突破口と設定していたのですから。

 こうだからこそ、<玉砕を、敢えて、覚悟する>、<組織を残すか、否か>の論争が起こり、武装闘争、革命戦争の「永続性」の問題が衝き付けられてきたのです。

 挑戦する課題、計画は、これまでの民衆、左翼、革命家が一度も経験したことの無いような領域のものです。そこでの僕らの「未熟」という問題もあります。

 この政治の大舞台で、透徹しておれば、あくまでも、大衆路線、大衆闘争を重視しつつ、他方で、革命戦争としての軍事を独自に練り、発動し、この二つの領域を、総合化するようなイメージが要求されていたのでしょう。

 闘った後、どんな事態が、現出するかも、想定で仕切れないような舞台での戦いといえました。又、国際主義の連帯闘争を、同時に独自に準備してゆく、こういうことだったと、今から考えれば、言えます。

 こういった澄徹さがあれば、もっと計画的に、秋が迎えられたはずです。

 しかし、やって見なければ、何も見えてこない、やってみるうちにわかってゆく、これが、革命的実践家の真実の姿です。



市田:世界革命=自国革命であるという点では、中核派も同じではないですか。


塩見:中核がどういっていようと、こういっていようと、そんなことはドウでもよきことです。一般論としては、これでいいのですが、他方で僕らがNo.4で言っているのは、世界革命は各国革命の総和ではなく、有機的に連関した一個の世界革命としてあり、従って、国家とか国境を越えたものとして実践されなければならず、だから世界赤軍、世界革命の統一戦線陣型を、前もって、作らなければいけないということです。

 国際根拠地の建設もそうです。先進資本主義国で、権力問題、武装闘争に挑戦しようとすれば、<世界同時革命><3ブロック同時革命>の観点に立てば、当然、こういった問題が出ます。

 当時は、革命的労働者国家のキューバを想定していたわけですが、この、観点で、<よど号>闘争は戦われました。

 こんな観点とは、違って、重信さん達は、世界革命闘争の最前線、民族解放―社会主義のパレスチナに向かいました。

 これは、獄中の僕には、意表を衝いた、世界同時革命の観点での国際連帯闘争の試みで、すばらしい着想だったと言えます。ここで、「革命闘争の永続性」の問題は、3ブロック戦略に照らしつつ、新しい段階に入った、と言えます。
  
 つまり、マルクスが<共産党宣言>で、「革命は、世界革命だが、プロレタリアートは、先ず、第一に、自国のプロレタリアートを片付けねばならない」ではないですが、自国での革命闘争、武装闘争の課題を実現しなければならない。 しかし、それは、主体的な国際的条件と自国プロレタリアートの世界−一国プロレタリアートとしての主として労働運動を通じた階級的成長が基本条件となります。

 森君たちは、大菩薩闘争の敗北、よど号闘争の成功、という条件の中で、この課題に向かい合わなければ、なりませんでした。




8. 再び「前段階蜂起」を問う。

市田:歴史認識とか現状認識はともかくとして、「戦略とは何か?」ということについてお聞きしたいのです。足りなかった論点は当時いろいろあったでしょうし、塩見さんはその後一貫してそれを考えてこられたと思います。僕が先ほどお聞きしたかったことはそれとは別で、対峙の段階であれ、攻勢の段階であれ、「いかにして闘うのか?」という戦略・戦術の話です。前段階蜂起という路線は当時、闘い方として塩見さんの頭の中に明確な像を結んでいたのでしょうか? 前段階蜂起という言葉はNo.1ではほとんど出てこず、「現代革命3」になってやっと出てきて、No.4、5、6では一切の集約点として強調されてくるのですが、その中実がどのようなものであるのか、塩見さんの中でははっきりしていたのでしょうか?


塩見:第三世界と労働者国家の闘いを結合するための、先進国プロレタリアートの基本的任務として「前段階決戦」を設定しており、この立脚点を、第七回大会において三ブロック・テーゼとして掲げました。特に69年秋の佐藤訪米阻止闘争を「前段階決戦」戦略から闘うことにより、それまでの闘いの質が変わって国際的・国内的な革命戦争の開始になるという理屈になって行く。だけどもそれは理屈であって、それを、現実に、実現することは、大変なことです。

 そのときはまだブントは第七回大会の路線で団結しており、中核派とも十分対抗できる力を持っていた。当時は「中央権力闘争とマッセンストライキの結合」というのが僕らの方向性だったのですが、中央権力闘争をもっと徹底化していき、首相官邸を中心に包囲戦をして霞ヶ関を占拠するというイメージです。 

 ブントが分裂していなかったら、ブント内の諸派連合などにより様々な配置もできたと思いますから、大衆的なデモと武装部隊による闘争がうまく結合され、当時僕たちは「デモよりは大きく、蜂起よりも小さい」と言っていましたが、このような蜂起的な事態は実現できたはずです。

 菊池昌典の本を読むと一九〇五年の蜂起の前にはいろいろな所でいくつもの蜂起が行なわれていたようです。蜂起はそれほど珍しいものではなかった。とにかくいろいろな所でやるんだ、一回だけやって勝利しなければならないものではない、と書いてありました。これを読んで、これはいい!と思い、「蜂起」という言葉を使って「前段階決戦」を「前段階蜂起→革命戦争(そして、この総仕上げとしての、決着的な全民衆一斉総蜂起)」と言い直しんたんです。「中央権力闘争」をもうちょっと具体化、かつレベルアップしたものです。「臨時革命政府」の話も出ていたようですが、これは、一度も、赤軍派政治局では、正式の論題にはあがりませんでした。

 ところが、これらはブントが統一されていることを前提に考えられており、これは僕の自己批判の一番の点なのですが、残念ながら七・六で分裂してしまった。統一されている中でイメージされていたものが、分裂後に追求できるかと言えば、それは、きわめて不可能に近い。敗北必死とも言えます。多くて三〇〇人、せいぜい一〇〇人ぐらいで一体何ができるのか。

 それで僕は追い詰められて、東京周辺の警察署を集中的に、同時多発で襲うとか、そんなことしか考えられなくなってしまった。



足立:市田さんは「前段階蜂起で勝たなければ――」というのは「戦略」と呼べるか? ということを聞いているわけでしょ。今塩見さんの話を聞いていると結局「戦略ではない」という説明をしていますよね。


市田:一〇〇人単位の部隊のではなく「先進国プロレタリアートの」戦略であるなら、「デモよりは大きく」ということが実現できなくなった段階で、もう一度やり直すという方向に軌道修正すべきであったかもしれないのに、戦術エスカレーションに話がすり変わっているような。先進国における武装闘争の前進をもって第三世界と労働者国家を結合させる要となす、という戦略は分かりますし、正しかったと思います。「デモ」と「武装部隊」の結合も戦略と言っていいかもしれない。しかし……


塩見:前段階蜂起は、決着的な全民衆一斉総蜂起ではなく、それに向けての日本−世界革命戦争を開始する蜂起であるわけです。能動的に(前段階)蜂起をはじめて、それを革命戦争に転化する、という意味です。

 僕がパクられた後も、森恒夫を含め、前段階蜂起をもう一回やろうと考えていました。連続的前段階蜂起です。ところが革左が「連続蜂起は軍事的に見たら現実に合っていない、遊撃戦をやれ」と主張し、花園君(や松平君)なんかはそれに乗ってしまい、合わせて<過渡期世界論−世界同時革命>の綱領的立場を放棄し、スターリン主義許容の「毛沢東思想万歳」、軍事至上主義にどんどん流れていってしまった。
これは、獄中には、ほとんど影響を与えませんでしたが、外の森君、永田さんたちには、多大な影響を与え、森君もまた、毛沢東思想に転向して行くようになります。ここで、野合「新党」の条件が生まれるのです。

 そして、「銃による殲滅戦」という唯銃主義を基本とする軍事至上の私党の野合「新党」が、でっち上げられ、これに反対する遠山さん、山田君ら赤軍派5人、革命左派7人が「粛清」「同志殺し」されてゆくわけです。
少なくとも前段階蜂起は、大衆運動の爆発と組織された暴力が結合して蜂起的な状況を作ろうというイメージだったのです。だから最初は「中央軍」ではなく共産主義突撃隊」(RG)と言っており、それで街頭を席巻して……



足立:革左が遊撃戦を持ち込んだと言うけど、僕は武装革命というのを言い出したときから、現実の戦略としてはゲリラ戦でしかなかったと思う。位置づけがどうであれ。


塩見:それは、結果解釈ですが、教訓として活かすべきことですね。

 経過だけ言います。一〇・二一に見るも無惨に失敗して敗北宣言を出そうという意見も出てくる始末となったのですが、やはり敗北宣言は絶対出してはいけない、とにかく軍事的に成果をあげようということで、関東周辺の警察署を同時多発的に集中的に襲おう、それなら軍事的にできるという、上記の意見が出てきた。

 しかし、これはやはりダメだ、権力中枢を攻撃しない限り中央権力闘争、ないし前段階蜂起の意味がない、やれるかやれないかは別にして首相官邸占拠だ、訓練をちゃんとやった上で、トラックなどでそこに接近し、銃撃戦になって辿り着けなくても良い、というところに落ち着いた。それで大菩薩峠で訓練をしてトラックも用意し、「行く!」というところで逮捕されて終わるのです。



市田:戦略理念がなぜ実際の「あれ」や「これ」になるか、というところで?


塩見:前段階蜂起は戦略、当時使っていた言葉で言うなら、<決着的蜂起>としての、人民一斉蜂起ではないこと。革命戦争、世界革命戦争の日本での開始という位置づけです。正直言ってそうなんです。分裂した後で、もう最後だから、「もう死ぬんだ」、「オレらが死んだ後は誰かがやってくれるんだ」というような悲壮感を持った中で言われたことともなったんです。


市田:先ほども述べた、「今日やらなければいけない」という方向に流れていく論理構造があったんではないでしょうか。


塩見:だけども赤軍派の立場に立ったら、いったん言った以上は旗を降ろして路線を変更するということはできなかったし、そういう心情には誰もなれなかった。だから、前段階蜂起が、軍事面では理論的に位置づけられていなかったとは言える。イメージとしてはいろいろ出されていましたが。

 蜂起を掲げる以上、「勝利か、死か」「勝利か、敗北か」という問題は、必ず提出されます。又、まじめに考える誠実な革命的政治グループであれば、そのことを覚悟します。しかし「決着的蜂起」ではないわけですから、それに、ほとんど勝利する可能性はありません。

 この点を、今から捉え返せば、<前段階蜂起>という戦術概念、それ自体が矛盾そのものなのです。

 一方では、世界同時革命−3ブロック同時革命−世界革命戦争の展望を語りつつ、己が主体については、戦闘死の敗北(勝利的敗北)を蓋然性としては、前提にするのですから。


 では、矛盾しているから、その戦術は間違いか、というなら、断じてそうではないのです。むしろ、そうだからこそ、当時の情勢、階級関係を言い当てた、真実の正しい、戦術スローガンであった、と今では、はっきり確信できます。

 70年安保大会戦では、日本と世界の民衆闘争の趨勢が押し上げてくれば、その趨勢に従うのが、誠実な革命的政治グループの義務だと思います。

 この点で、前段階蜂起は正しいのです。ですが、敗北もまた、必至のものとして、見通されてもいたのです。

 しかし、それでは蜂起の闘いの旗を降ろすべきなのでしょうか。僕は、断じて、そうではないと思います。僕は、それは、日和見主義だと思います。

 僕らは、しっかりとは、対象化されてはいませんでしたが、自分達の死を覚悟していました。「革命的敗北主義」という用語も、使っていましたように、負けること、死ぬことを覚悟していたのです。生き残れるのは僥倖と考えていました。

 それでは、負けるとわかっている戦いをなぜやろうとするのか、と賢しらだった人はあれこれ論評するでしょう。

 しかし、考えてみてください。負けるとわかっていても、その時の「天の時、地の利、人の和」の情勢からして、決起することはあるではないですか。維新前の保津川の乱、生田の乱、その前の時代の大塩平八郎の乱―――日本でも無数にあります。1905年のロシア革命、この時、レーニンは始めから武装蜂起を計画的に考えていたでしょうか?ソヴィエトを民衆が創出してゆくことすら、想定していません。しかし、民衆が決起してゆく以上、ヴォルシェビッキは、民衆の決起の趨勢に身をゆだね、彼らと一体の運命を選択します。そして、その先頭に立ちます。

 そして、未だツアーリ体制には延命力があり、05年蜂起は敗北します。そして、その後、数年反動の波が荒れ狂います。しかし、この武装蜂起の経験は、それから13年後の2月、10月革命に活かされ、民衆は10月革命に見事勝利します。

 この05年革命の後、プレハーノフは、「決起すべきではなかった」といい、レーニンらヴォルシェヴィッキの嘲笑を買い、最後的に政治生命を失います。

 さらに、カストロのモンガダ要塞襲撃のことを考えてみてください。たぶん、フィデルにも勝利の展望があったわけではないでしょう。でも、彼らは決起します。その敗北において、彼らは獄に繋がれ、反乱軍として処刑される運命にありました。僥倖にも恩赦が定められていたが故に、釈放され、カストロはメキシコに基地を設け、グランマ号でキュ−バに上陸し、シェラマエストラに山岳根拠地を構築し、ゲリラ戦を開始し、キューバ革命に勝利します。

 だから、プレハーノフのように「決起すべきでなかった」など、僕には口が裂けてもいえません。
問題は、先ず、70年安保大会戦と前段階蜂起の歴史的必然性、歴史的意義と捉え、肯定すること。その上で、時代と主体の未熟性の問題として捉え、その未熟性を民衆−主体の教訓として捉え返し、本番に活かし、本番では、今度は勝利する、こう捉えるべきではないでしょうか。

 このロシアとキューバの経験は、ある種の「前段階蜂起」であった、と言えます。この05年革命とモンガダ襲撃決起が、その後の二つの革命成功の決定的経験となっている、と言えます。

 僕ら赤軍派が追求した前段階蜂起を僕はこのようなものとして捉えています。1969年の前段階蜂起は、こういった歴史と主体の抱える矛盾であって、この矛盾を唯物弁証法的に捉えることが必要なのです。

 そうです。敗北、死ぬことがわかっていても、自分達が唱えた、路線・戦術に従って勝利を目指して、敗北必死の課題に挑戦すること、この矛盾に飛び込むこと。このパラドキシカルな課題が、前段階蜂起だったと今はしっかりと捉え返せます。

 矛盾とは何でしょうか?それは、生への展望とも言える、世界同時革命、三ブロック同時革命、そのための前段階決戦(革命戦争)に向けての突破口として前段階蜂起を戦う、しかし、自己の死滅、戦闘死が必至である、という現実性、この生と死の矛盾です。

 僕らは「生を期し、死を覚悟する」「死中に活を求める」「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ山ホトトギス」などと、この矛盾を概括していました。



市田:一種の意思表示をすることは世界的に見て、意味も根拠もあったと思います。今は攻勢の段階であり、こちら側の能動性を実体化しなければいけない、とまさに部隊という実体をもって発言する。


足立:そこは分かる。しかし前段階蜂起で絶対勝たなければいけないというのが一方であると……


塩見:「勝たなければならない」というより「やらなければいけない」という方が強かった(笑)。 足立さん、森君たちですら、根本のところでは、十分、革命的敗北主義であったわけです。勝つ計算(生き延びる計算)は、僕らの時よりは、比較的増えていましたが、やはりそうなんです。ここのところを足立さん、どうか、ご理解願います。


足立:そういう事情が一方にあり、前段階蜂起をどう続けるのかという時に苦し紛れに連続蜂起が出てくるのは、心情的には分かるんですが、結局それを「戦略」として位置づけたところが、単に心情をバネにしていたんじゃないか、と外から見ていると見えるのです。


塩見:足立さん、何度も言いますが、戦略としては位置づけてはいません。「苦し紛れ、」と揶揄しないでください。僕は、「野合」新党に踏み切るまでは。森君はあくまでも同志と思っていますし、赤軍派の路線に忠実でした。もう一つ、付け加えることがあります。

 それは、<武装闘争の永続性>を確保するには、国際根拠地が必要だ、こう言った認識が付加されてきています。赤軍派の3ブロック同時革命の基本観点からすれば、大菩薩軍事訓練の敗北の教訓から、こういった主張が出てくるのは、必然です。

 この時点において、赤軍派は、<世界同時革命>の正規の戦略配置についていったわけです。

 つまり、キューバを目指しての、「よど号」ハイジャック闘争となって行くわけです。

 しかし、ものすごい、弾圧における犠牲を蒙りながら、成功したこの「よど号闘争」が、なしのつぶてで、何の役にも立たなかったわけです。

 重信さんたちの、リッダや、その後の<国際遊撃戦争>は世界に、名を馳せましたが、猛弾圧の中で、国際根拠地と国内闘争を結合させ得ず、逆に、双方、特に国内では、負担になって行く始末です。

 マー、最初はこんなことなのでしょうが、僕は、いずれ、この行動の成果は、必ず生きてくると信じています。

 僕らは、これを清算主義的に考えず、三ブロック同時革命に向け、国際階級闘争と国内階級闘争の技術や獲得した戦略配置を、政治・思想的にも、技術上の能力を鍛えてゆくことが、重要と考えます。



9. 政治−軍事闘争と経済闘争の結合:「労働の拒否」

塩見:プロレタリア革命を実現するという学生のロマンチシズム、そこには決意主義も含まれますが、そういうものとは違う原理で意思統一されていれば、大衆的政治闘争の爆発的推進とか、労働運動の組織化とか大衆闘争の個別戦線を組織化するとかの方針も出てきたと思います。ボルシェヴィキ綱領を読むと最初から『資本論』の要点、つまり資本主義の原理がきちんと書かれており、これを社会主義に置き換えなければいけない、ただしロシアではまだツァーリがいるのでまず民主主義革命をやり、それを段階的あるいは連続的に進めなければいけない、そしてそれをやるのが労働者階級、コミュニストであるとはっきりと書かれていますが、僕らの第二次ブントの綱領には、資本主義の原則的批判が書かれていない。第一次ブントでは、分裂前後でしょうか、姫岡怜治が書いた綱領草案には部分的には書かれていますが、これも組織討論されて、組織決定されて、という具合ではなく、草案の段階です。赤軍派にもなかった。そういう意味では、僕らが心情的に流れてしまったことや、急進民主主義の枠の中にいたことは確かだし、第二次ブントで分裂し、赤軍派内部でも自己分裂したのは必然だったでしょう。


市田:塩見さんが置かれていた状況はだいたい分かったのですが、だからこそ、「ロマンチシズムだった」で終わらせる総括は生産的ではないと思うのです。むしろ何かしら世界性のようなものを取り出したい。路線問題として考えることができるような。イタリアでも同じような経過を辿っているでしょう。「赤い旅団」はカトリック的なロマンチシズムをもっていたりする。多分ドイツ赤軍も同じだと思います。


塩見:「ロマンチシズムで終わらせる」なんて、誰が言っているのですか。あなたは、ロマンチシズムと言われるが、ロマンチシズムにもいろいろあるでしょう。反動的なロマンチシズムもあれば、革命的ロマンチシズムもあります。後者は、革命的リアリズムに裏付けられた、唯物論的で、科学的なものと理解しています。

僕らのは、後者であったことは間違いないです。かつ、にもかかわらず、未熟であったことも確かでしょう。



市田:イタリアの場合だと、「労働の拒否」というスローガンに能動性を体現させようとしたところがある。


塩見:それは正しいのですか?


市田:マルクス主義の基本からすればあり得ないでしょう。


塩見:当り前です、働かざるもの食うべからず、です。(笑)。


市田:「プロレタリアート=労働力」という客体的規定を「拒否する」というところに、プロレタリア主体の能動性を表現しようという意味であって、「働くのをやめよう」という意味ではないのです。


足立:生産点を確保しようということであり、後でどんどん明確になっていくのですが、自分たちで生産構造を支配しようということですからね。


市田:要するに政治的な自己権力の構成と、その後自主管理とも言われていくような、生産関係そのものを協同組合的なやり方で非資本主義的なものに変えようという考え方を、合体させています。独特の経済主義と、非常に政治主義的な二重権力追求路線を合体させたようなものとして、「労働の拒否」はあったのです。


塩見:賃金奴隷として剰余価値を搾取されるがままの労働、疎外された労働を拒否しようという意味であるなら、あり得ることですね。


市田:「拒否」とは資本主義的な労働の「拒否」であって、資本の論理から分離した主体を作るためのスローガンです。


足立:塩見さん風にいえば、「下から蜂起を積み上げていく」路線です。これは日本でも一部あり、例えば関西では田中機器がありましたが、生産点を自分たちで確保してやって行こうとするもので、同じ時期です。


塩見:そこまで考えて「労働の拒否」ということを出しているなら、僕らよりも上だと思う。


市田:「上下」の問題ではないですよ(笑)。


塩見:僕たちは政治闘争と、その徹底化としての軍事闘争をやって突破しない限り、労働運動の組織化には行かないという感じがあり、労働運動を真面目にやろうとする人に対しては「経済主義」というレッテルを貼るような傾向があったのです。大衆的政治闘争は別なのですが。


市田:「労働の拒否」は労働運動ではなく、森恒夫さんが好きだったという「自然発生性への拝跪を拒否する」という言い方におけるのと同じ「拒否」ですよ。工場に縛られて組合運動だけやる階級意識を「拒否」する。単純に言えば、街頭に出ようということですから。


塩見:それなら同じだ(笑)。


足立:そういう傾向は世界的に同時にあった。六八年のパリがあり、それに続いて朝鮮の学生蜂起もあり、そうしたことが続く中で、ある意味「前段階蜂起」が非常に直感的に把握しやすくなっていたわけです。そして一番重要なのは、そこでどうしたのかということです。


塩見:そこですよ。「あれをすべきではなかった」とか「間違いだった」とか総括すると、何も見えなくなってしまいます。


市田:そんなことをする気はぜんぜんなく、むしろ世界性の中で再評価をすべきではないかと考えています。攻勢の戦略をめぐる実験として、失敗したところも含めて貴重な検討対象であり続けるべきです。同じように戦略という観点から、ネグリの経験も見てやることができる。彼らは七三年に「党的組織はいけない」と言いはじめます。六九年に「熱い秋」があり、党派的運動が大衆運動に乗り越えられる日本の全共闘運動のような経験があり、党派は必死になって追いつこうとし、上から指導しようとするのですが、どんどん軋轢が出てきてしまった。そのときに、いっぺん党的なものをやめてしまおうと言い出したわけです。逆説的方針ですが、反乱を亢進させるために党を清算しよう、と。これも大きな実験です。


塩見:それはネグリらが言ったことですか?


市田:そうです。


塩見:ネグリはイタリア共産党とどういう関係にあるのですか? 最初イタリア共産党に所属していたのですか?


市田:社会党です。五〇年代の終わり、ハンガリー事件の後、超党派で反スタ議会外左翼の雑誌ができるのですが、そこに参加しています。その雑誌を基盤に六〇年代になると「労働者権力(ポテーレ・オペライオ)」という党派を作る。これは基本的にはマルクス=レーニン主義です。


塩見:まさに「新左翼」ですよね。


市田:本当に日本の新左翼の歴史そのものです(笑)。反スタから始まって、共産党に代わるマルクス=レーニン主義党の建設です。オーソドックスなマルクス=レーニン主義にオペライズモの現代資本主義分析が加わるというスタイルだった。それが六九年を契機に、大衆運動との間に齟齬が出てきて、大衆運動の躍進のため党を解散するという選択をした。単なる躍進ではなく、武装反乱の方向へ、のです。それ以降の組織の仕方が非常に面白く、党ではなく、といって個別戦線があるだけでもない形を何とか模索しようとするのです。


塩見:そこなんです。今の問題は。いつも考えるのですが、人民の成熟性とか歴史的制約性とかの要因も考える必要があると僕は考えるのです。あの時代は、新左翼は疑似前衛でしかなかった。前衛党を自称している既成左翼は修正主義化し、労働運動も体制内化され、それ以外は反戦青年委員会と部分的に新左翼型の労働組合があるだけの状況だった。そのような状況で共産主義は急進的な学生運動の中から生まれてくるようになる。しかし自分たちが党であるかどうかについては保留しているところがあり、「層としての学生運動」論と「先駆性論」で社会にシッョクを与えて労働者階級を目覚めさせると考えていた。これらは歴史的な構造的条件であり、かつ、制約であり、それを乗り越えてまったく別の運動論を唱えて実践することなど誰にもできなかった、と思う。 

 黒田寛一がいろいろ言っても、関西ブントや東京のまともなブント系グループには何の影響力もなかった。やはり島成郎さんの方が歴史的状況把握が、現実に合致していた。

 僕らがやろうとしていたことは、運動の中で「連続的に学生から労働者にヘゲモニーを移行させていく」ということでした。だけども移行できるかどうか、やってみないと分からない、というものです。



市田:疑似前衛という考え方は当時からしていたのですか?


足立:そうレッテルを貼られたわけでしょう。


塩見:そういう考え方をしていましたし、それで良いと思っていました。この面では、ブント系、といより関西ブント系かな、十分に謙虚だったし、現実認識があったのです。

 今は小ブルだが、共産主義者としての認識を持った部分がやらなければいけないと思っており、そう思わせる構造が七〇年まで全体的な構造としてあり、その枠を基本的に誰も出ることができなかった。中核派は「プロレタリア的人間の論理」などの黒田哲学で武装していたし、六〇年安保闘争を一応経験していたから、組織は崩れなかったかもしれないが、組織を維持したがために、黒田組織論の持つ宿阿の病気、内ゲバに行ってしまった。

 歴史というのは、時代の制約の中でやってみて、どうしようもないこともあって(笑)、ただし「どうしようもない」と済ますのではなく、後から総括していって、正当化するのではなく越えていかなければならない。客観的条件と主観的条件を統一するような総括をしないと、赤軍派とブントの総括は非常に偏ったものになってしまう。

 世間一般で言えば、「赤軍派に一番近くて赤軍派に来ようとして、来られなかった」連中が、今、マルクス主義的な資本主義批判を行なっており、その点は僕と完全に一致しているのですが、はっきり文章化していないけど、「過渡期世界論」も「世界同時革命」も「前段階蜂起」も全部清算しろと言っている。しかも、「運動ではなく」、「レーニン主義党」だと言っています。市田さんの、カクマル的、代々木的とかいうのはこの部分に対して、当てはまるのではないでしょうか。

 それについては僕もちゃんと言わなければいけないと思っています。



10. 何を清算すべきか?

市田:しかし先ほどからの塩見さんのお話だと、塩見さん自身がほとんど清算していませんか? 理念をどう具体化するか明解でなかった、あれではいけなかったと。


塩見:冗談ではありません。断じて、止揚して行こうとはしていますが清算してはいません。僕には、歴史認識、歴史観としての「過渡期世界」認識は骨がらみである、世界同時革命―三ブロック・テーゼも厳然としてあります。

 これを捨てたら、僕は存在しえません。

 僕が、総括の基本テーマにしてきたのは、「過渡期世界論」に、一応体系化されていた、赤軍派の政治路線の部分の否定、清算ではないのです。これは、徹底肯定なのです。自己否定的に、止揚してゆこうとしてきたのは、これを支える、もう一段底部の思想、人間観、死生観の分野、したがってこれと必然的に連関してゆく、軍事思想、組織思想の分野のことです。

 この分野につきましては、赤軍派は未熟で、しかも、要求さている分野は、現代的で、前人未踏の分野でした。

 だから、同じことを、2度やるような馬鹿は、本当の馬鹿で、まともな人であるなら、止揚してゆこうとするのは当然です。

 しかし、赤軍派の旧同志達、あるいは武闘を実際にやってみた人たちは、実感として、僕のこの方法論、主張は良くわかってもらえるのですが、そうでない人達には、なかなか、わかってもらえないようです。

 「止揚」という概念は、良く使われますが、皆さん、このヘーゲルが使い、マルクスも継承して使った、この<止揚>、あるいは<揚棄>については、ほとんどの人が、よくわかっておられません。この対象は、現実の諸物の運動についての法則的概念なのです。対象は、観念ではないのです。そうですから、現実の運動、実践と関連していて、本物の意味合いで使うのは、非常に難しいのです。

 普通、この概念は、<否定の否定>、それを通じての、<揚棄>としての<肯定>と言えます。「否定」を通じた「肯定」でもあります。

 先ほど述べましたように、唯物弁証法としての、弁証法は、あくまでも、物質存在としての運動について、その法則を概括的に表現したもので、観
念の中での、弁証法ではありません。だから、民衆運動が、時間の経過の中で、変わってゆくこと、変革されてゆくこと、その内容としてあるわけです。

 もう一つ。確かに、「否定」なのです。「過渡three-way conversation期世界論」を、いったん否定し、再構成してゆく性格が基本です。ですが、「清算」して、一方では、何か、全然別のものになって行くわけですが、他方では、そうではないのです。ここに、「過渡期世界論」、赤軍派的なものが内蔵されているのです。

 螺旋的な、円環的上昇の運動の中で、「揚棄」するわけです。実際、現実には、現実の人と人の関係を変革すること、つまり、運動ですから、そう簡単に否定できません。現実に、未だ闘っている、弾圧されている人たちもいます。又、これに規定されて、思想的にも、理論的にも、すっきりとは「否定」出来ない主体的モーメントもあります。

 ですから、実際の「止揚」のプロセスは、<脱構築>の連続としてあります。ポスト・モダン派は、うまい概念を作り出したものです。

 しかし、自己否定、揚棄、<脱構築>を続け、それが、ある段階に達すると、それが、底の底に達し、もうそうする必要がなくなってくるのです。いわば、定点に達したわけです。

 僕には、少なくともそう言った、自覚、実感が今は生まれてきているのです。

 市田さん、こういった自己否定の弁証法を理解してください。僕は、連合赤軍事件の総括を開始するに当たって、<塩見論叢>NO3で、この態度を鮮明にし、赤軍派の中で明瞭になってきた、<教条派><清算派><止揚派>の3分解に対して、<止揚派>の旗印を鮮明にしています。

 この分野での、論点を簡潔に言えば、小ブルジョア革命性の克服の問題、思想の問題、依拠階級の学生からプロレタリアートへの転換の問題です。これは、自己否定、止揚、揚棄、脱構築の方法と一体ですが、このことを、「清算」というならば、敢えて、それをよしとして、僕は<清算主義者>として、レッテルを貼られても、全然意に介しません。

 ここが、確立してゆくに応じて、固守してきた政治路線の分野、軍事思想や政治・軍事論の陣形論、統一戦線論、特に、民主主義論、民族論などが加わって、パラダイム転換して、捉えられてゆくわけです。

 到達した、新しい、政治・思想路線、陣形、あるいは軍事、組織路線は、過去から見れば、ある面では、別のものです。しかし、全然別のもでも、ないのです。そこには、当時の<過渡期世界論><(3ブロック)世界同時革命><世界革命戦争><前段階決戦戦略><軍事路線><組織路線>―――これらの良き物が、悪しきものを棄てつつ、揚棄されて、内包されているのです。

 こう言った、弁証的発展として、赤軍派的であって、赤軍派ではないもの。赤軍派ではないが、赤軍派的なものを多く内包している、何者のかに自己否定的に発展・転化して、成長しているのです。  それが、僕の現在なのです。

 このことが、頭の固い、実際は、民衆から孤立し、朴念仁の軍事至上主義者、そのくせ、軍事など自分がやることなどまるで考えていない、人にやらせようとする輩には、まるでわからないのです。

 70年安保大会戦における、前段階決戦戦略の追求、革命戦争の開始としての前段階蜂起論、これらは、当時も僕らでは、未踏峰のやってみなければわからない、挑戦すべき、創造的な課題でした。論理化できなかったものを持っていたという意味では、その通りですが、しかし、あんな時代、そして僕らの年齢で、それを完璧に果たせるなんてありえないことです。ですが、挑戦するに値する課題で、失敗して、負けても、やってみるに値しました。

 失敗する、負ける、ことがわかっていても、やらなければならないことは、あるでしょう。僕らは、こう言った覚悟、姿勢を、「革命的敗北主義」として栄誉な姿勢として捉えていたのです。僕は前段階蜂起を清算する気はぜんぜんない。

 僕は、懲りてはいません。今度は、この経験を活かし、失敗しない、負けない,勝つ、と言うことです。

 1905年の蜂起の経験、その敗北の経験なくして、1918年、2月、10月の勝利はありえなかったでしょう。モンガダ攻撃の経験、敗北の経験なくして、シェラマエストらから進撃するキュ−バ革命の実現はなかったでしょう。

 僕は70年安保大会戦と赤軍派の試みをこう比較的に捉えています。

 こういう奴、世代が、殺されず、死なず生き残っているのが、不思議ですね−。



市田:理念について「悪かった、ごめんなさい」という態度は必要ないでしょう。とはいえ、塩見さんのお話を聞いていると、言われていたことの中身と実際にやられていたことは別だったというふうに聞こえます。だからこそ、主張された理念としての「前段階蜂起」は今でも掘り起こす価値があるし、擁護もできると思います。やったことがしょぼかったから全部ダメ、では、盥の水と一緒に赤ん坊まで流してしまう。それに、一種の時代的必然として出てきた理念の、その時代そのものが見えなくなってしまう。


塩見:市田さん、まさにその通り。一致しますねー。いいことを言われますねー。


足立:つまり、連続蜂起まで進む「戦略」としての前段階蜂起の理念と、玉砕でも良いと思われながらやられた実際の運動展開がズレていた。大阪戦争や東京戦争は「戦争」なんかじゃなかったし、霞ヶ関占拠と首相官邸襲撃は、もっているはずだった戦略的位置付けをもつところまで行かなかった。


塩見:一言で言うと歴史的条件として「仕方がなかった」ということと、主体的としては未熟であったということです。未熟であった内容は、資本主義の原則的批判と本当に意味でのプロレタリアートに対する……


市田:そういう論理を積み重ねていくなら、共産党的なものをもう一回作るということにしかならないでしょう。


塩見:これは困った。市田さん、連赤事件以降、監獄で、そして、出獄後、僕が、一度だって、共産党的でしたか。不思議です。

 僕は、徳田球一までの共産党は、スターリン主義ではあったが、尊敬しています。しかし、宮本共産党は、ほとんど学ぶところがありません。とはいえ、共産党の文献につきましては、徳田氏までが、主要ですが、獄中で、懸命に批判的に学習し、吸収してゆきましたが、それは、共産党的ではあってはならないがためにです。

 それに、マルクス<資本論>の学習、追体験は、対象分析の方法、基本内容の獲得ですが、革命家の思想的営為の問題でもあるのです。論理というより、僕にとっては、前進するための、欠かせない自己否定的な思想的営為の原理、基準、滋養分なのです。

 言っておきますが、僕は他の人はいざ知らず、僕流に、「今度は勝利する」基本観点で、いつもやってきたつもりです。

 自分にとって70年闘争や赤軍派の戦いは、最大限の貴重な滋養を与えてくれるものでした。

 あなたは、僕の唯物弁証法に基づく、総括方法、総括内容を理解されていません。対峙段階こそ、主体の政治はもちろんですが、思想を問うことにおいて、対峙段階はあった、といいましたが、今度は、「過渡期世界の攻勢の段階」での政治・思想路線、戦略―戦術、陣形などについて、<過渡期世界論>の基本骨組みを残した上での、組み立てなおされた、攻勢の段階の「戦略―戦術」<陣形が>がどうなるのか、三人で「第二ラウンド」でもいいですから、論じましょう 。



足立:その延長線上で建党・建軍を明確化していくわけではないですか。


塩見:うーん、足立さん、「建党・建軍」は毛沢東―中国共産党の用語で、語呂は良いにしても、僕にはしっくり来ませんが−−−−−。
この用語は、革命左派から、持ち込まれ、無自覚に使われて言った面があり、そこには、スターリン主義的作風や軍事を神秘化する危険を僕は感じています。

 『資本論』にも脈打っているプロレタリアートへの唯物論的分析を基礎とした信頼、あるいは、この階級性をベースにしつつ、命と人間の自主性の最高尊貴の精神、ヒューマニズム、民主主義精神の必要として、「資本論」を思想的に学び、現代資本主義を超克しようとするものには、毛沢東は、やはり、しっくり来ないのです。

 軍事至上化の偏向は批判し、自己批判していますが、当時、軍事と権力問題を追及したことは、歴史的意義が在ったわけで、今度は、国際階級闘争と国内階級闘争の融合、結合の戦略、より大規模な大衆運動や労働運動との結合をつねに念頭に入れて、それを闘うということ、大衆路線の徹底、そして軍事が大切です。それは、軍事は軍事として学ぶ、すでにある程度経験していますが。

 この観点で、「9条改憲阻止の会」の仲間、同志達と反改憲を起こしましたし、格差社会−プレカリアートの諸運動を評価し、この運動と9条改憲阻止闘争の結合を計り続けています。




11. 「軍事」の理念と現実

足立:僕は赤軍派の前段階蜂起をめぐっては今日話された以上のことは詳しく知りませんが、後で捉え返した総括としては、建党・建軍あるいは前段階蜂起と言ったときに、「軍事」というものをはっきりさせていなかったのではないかと見ているのです。蜂起に向けた動きが始まっており、それを革命へと引き上げるために自分たちは何を果たすのかと考えて、「軍事が必要だ」、軍事で「突破せよ!」となったわけですよね。「突破せよ!」となったときに考えていた「軍事」と、大衆との関係で自分たちの軍や党が本来果たすべき役割については区別すべきだと思う。塩見さんは一言で唯軍主義だったと言われたけれども、僕は軍は持って良かった、武装しても良かったという考えです。


塩見:足立さん、当たり前のことを言って下さるな。それで、良いのですが、「唯軍主義」ではなく、「唯軍事主義」ですよ。あるいは「唯武器主義」の批判です。 

 軍事も政治も、原初的にプロレタリアートの階級的要求、感情に立脚してあり、先ず、正しい、政治、思想、そして路線と思います。そこからの軍事なのです。軍事は、こういうものとしてあるべきです。

 軍事至上主義の批判は、こういった正しい軍事を創出するために、軍事を神秘主義的に至上化する偏向に対して言っているのです。

 この一番の例証が、連赤事件の「人と銃の弁証法的結合」と言いつつ、唯銃主義一本で、政治路線の相違を無視し、「野合」を正当化し、スターリン主義の「同志殺し」を正当化することに、連なって行ったのです。

 僕らは、政治路線、思想路線が大切なことを押さえつつも、軍事は軍事として、習得しなければならない、こう認識して行きました。

 これが「前衛の軍人化、軍の党化」、というスローガンでした。

 だから、このことで、軍事を否定したりしているなどと誤解するとすれば、その人は、脳みそのどこかが、混線しているか、思考の主要回路が切れている人の発想です。あるいは、何か、よこしまな意図があってのことだ。

 もっとも、足立さんたちと違って、獄中で、軍事思想、軍事理論は研究しましたが、獄中ですから、実験、実践することは出来ませんでした。



市田:軍事至上主義批判は軍事の特別視に陥りかねない。武器それ自体なんかいかなる政治性ももたないでしょう。

塩見:市田さん、わかってないなー。軍事至上主義こそ、軍事を神秘化しているのです。だから「軍事至上主義は軍事の特別視に陥り、軍事を神秘主義に落ち込ませる」−−−こういうべきです。

 武器を神秘化しているのです。軍事至上主義の偏向を批判し、克服すべきと言っているのです。「軍事至上主義批判」がなぜ、軍事を、軍事として、研究、習得することを否定してゆくことになりますか。

 又、武器を持つこと、それに習得することを否定することとなりますか。

 この批判、自己批判は、ある種の軍事否定の合法主義者に対して、彼らが突込んでくる右翼的というか、日和見主義的というか、そういった我々への批判を、一方で封じ込めつつ、しかし、他方での、その中にある、「流血を望まない」正当な民衆の感性、欲求に対して、応答してゆく面もあるのです。

 にもかかわらず必要な軍事は、軍事して習得、練磨し、発動せざるを得ない場合には発動する、こういった両義的観点から述べられているのです。この両義性を理解してください。



足立:後で総括していることに過ぎないから簡単に言えるのですが、「軍事」に本気で取り組んでいなかったのではないかと思うのです。つまり、蜂起を続けていくのなら軍事にもっと本気で取り組まなければいけない。二重権力構造を作り逆制約をどんどん強化していくためにも、蜂起勢力を命令的に結集させるだけではなく、自分たち自身がやることが必要であり、それを行なったことは間違いではない。


塩見:大菩薩とその後に関係するのですが、首相官邸占拠などの中央権力闘争の議論がある一方で、もう一つは最高指導部が前線で引っぱっていくという形で軍事を担っていくのか、それとも最高指導部は残しておくのかという議論も煮詰まっていくのです。最終的には最高指導部は残さなければいけないという話になった。そうすると高校生とか社学同の大学一、二年生が大菩薩に召集され、支部キャップが皆残るという形になり、前段階蜂起は大菩薩の訓練で挫折することになりました。その後、僕がパクられて以降ですが、同じ議論が続いている。一方でレジス・ドブレの「革命の中の革命」とか、マルゲーラの「都市ゲリラ戦争」が言われ、他方で毛沢東の軍事理論が出てくる中で、僕は指導部は機関誌も出さなければいけないが、カストロやゲバラと同じように軍事の先頭に立とう、と当時書いていた。森君にも先頭に立って、一回突っ込んでみろと。


足立:連赤の「共産主義化」の話につながっていくのですが、兵士の質をもって政治指導部を再編するというのは、どこの国の解放闘争でも革命でもやっているわけであり、それを赤軍派がやろうとしたことを僕は全面的に認めている。しかし、それをどうするのかと言ったときに、前段階蜂起という塊を、もう一回「軍事」という面から考え直せば良かったのにと思うのです。事実を確認しておくと、軍事は赤軍派だけの路線ではなく、他の党派も考えており、パレスチナにも日本から「軍事の問題を解決しないとやっていけない」と言って来る人がいっぱいいました。リッダ闘争は自決作戦だったけど、パレスチナの最前線で勉強した人たちが日本に帰ってもう一度遊撃戦争をちゃんとやるんだという発想を全員持っていた。ただ、軍事を神秘化する傾向があった。パレスチナの前線での武器を使った任務をそのまま日本に持ち込むことはできないわけであり、そのとき軍事の質の問題と格闘することになる。

 問題なのは前段階蜂起において考えられた「軍事」の問題は狭かったということです。ライターでも何でも武器になります。ただ武装した敵権力と対峙するためには「やはり兵器」となる。だから前段階蜂起の組み方、戦略的位置づけをはっきりさせていくというのは今後に残された大きな問題です。



塩見:足立さんの言われていること理解しました。<軍事の神秘化><「軍事」の問題は狭かったということです。ライターでも何でも武器になります。ただ武装した敵権力と対峙するためには「やはり兵器」となる。>これは、わかります。ずいぶんと参考になります。

 それで、軍事は軍事として重要だが、そうだからと言って、軍事を神秘化するな、こういうわけですね。それなら、僕が批判する「軍事至上主義批判」のことです。

僕は彼をブルジョア軍事家として、批判していますが、「軍事とは別の手段による政治の継続である」というクラウゼヴィッツの考え方は評価しています。

 これに倣えば、マルクス主義者としては、資本−賃労働関係をめぐる政治を継続させる、ここから引き出されてくる、変革の政治の総陣形の獲得、その中での、特殊で、重要な比重、役割を持つ軍事、武装という問題になります。当時は、とにかく敵権力と民衆との攻防関係にばかり目が行って、軍事を労働者階級の立場から、生産―生活の観点、場から、つまり足立さんのおっしゃる、<大衆性>において捉えるという視点が非常に弱かった。

 しかも、軍事を哲学的に考えてみると、「人を殺す」という問題になります。



足立:殺さないで済むというのが一番理想的な軍事ですが。


塩見:そうすると、「殺す」ということをどう捉えるのかが問題になる。そのとき、「命」をどう捉えていくのかということがコミュニストとしてきちんと押さえられていなければいけない。当時の僕らの「革命性」は「命を捨てることだ」と非常にロマン化されていた。本当の労働者が生活をし、資本に苦しめられて武装する時の前提には、命を大切にする、民主主義を大切にするということが基本にある、と思います。その大切なものを権力や敵階級が破滅させようとしている社会状況であれば、どんな人でも妻や子供や友人など、自分が愛する人のために武器を取るであろうし、そんなことはたいしたことではなくなる、と思うのです。これが、僕の労働者観、死生観であり、革命観として、連赤事件以降、追及され、今は、どっしりとして培われているものです。


足立:それこそ革命や戦争の根拠ですよね。


塩見:そういうところをわれわれはきちんと哲学的、思想的に考察していたのかと言うと、クラウゼヴィッツぐらいは引用しましたが、「武装決起する」ということの本当の意味まで詰めて考えておらず、やはりロマン化したものがずっとありました。いったん決起したら勝たなければいけない、というレーニンの蜂起についての考え方がありますが、それだけでもだめだ。一番の戦略的な理念としては、マルクスもエンゲルスもレーニンも暴力を論じる際は必ず「平和革命」についても言っており、流血をできるかぎり少なくしていこうとしている。だけども仕方のない場合はやらなければいけない。

 こういった軍事についての、マルクスらの根底にある思想は、クラウゼヴィッツではなく、孫子の「闘わずして勝つ」「百戦して百勝、百戦して危うからず」「彼(敵)を知り、己を知らば、百戦して危うからず」に繋がってゆきます。

 孫子は、戦争軍事戦略家でありますが、根底には、戦争そのものをなくそう、という、軍事戦略家が持つべき原初的なものがあります。

 そうすると、非暴力(絶対非暴力主義ではない)、あるいは憲法九条の理念が、軍事を扱うときの根本に置かれなければいけないと思うのです。


足立:だからこそ、軍事思想の問題です。


塩見:全くそうですよね。