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歴史の唯物弁証法的展開について、少々 ・・・
Mさんへのご返事として


2008年 11月 15日

塩見孝也

Mさんという方から、ミクシィでのメッセージをいただきました。

Mさんの了承を得た上で、Mさんへ送った返信をここに掲載させていただきます。



 ●貴方のお父さんのお話は、身にに浸み込んできます。そこに、日本人、日本民衆の戦前の凝集された歴史が感じられます。

 僕も、元社会党議員の上田哲氏(80歳過ぎ)が提唱した「戦場体験保存放映の会」のメンバーですが、この会は、“価値観、イディオロギーは別にして、ありのままの戦場体験を、聞き、ビデオにとり、それを記録し、放映してゆこう、それは、反戦、9条防衛に役立つかも知れないが、しかし、「戦場体験の保存放映」の目的を第一に重視し、厳格な形で、そういった意義は、いったん棚に上げして進もう、”という会です。 そうでないとインタビュー対象に、受け入れられないからです。

 若い人たちも結集し、非常に、手広く、活発に活動しています。

 展示会や野外でのイベントなどには、1万人以上、野外イベント(日比谷公園)では、3000人以上の人が集まります。

 僕は、「阻止の会」の活動らが忙しく、ペーパー上の会員なのですが、僕には、 こういった「会」の存在(意義)は、高く評価されるべきと思われます。

 この人たちの聞き取りの対象は、当時、終戦時、18歳〜20歳の人達なのです。 未だ、15万人くらい、生き残っていらっしゃいます。その先の方たちは、消滅されておられるからです。

 先の戦争につきましての、この人々の評価、意見はまちまちです。

 お父上は、正に、この15万人のうちのお一人といえます。ですから、「放映の会」の格好のインタビュー対象ですね。



●ここで、貴方のプロフィール、拝見ささて頂きました。貴方こそ、「波乱万丈」で、面白い方ですね。そして、実に、幸せな方と拝察しました。僧侶さんなのですね。

 貴方のお父さんへの接し方、スタンスに大いに敬意を覚えます。

 なぜなら、そこには、歴史の真実の発展の仕方、真相が見受けられるからです。

 僕の信ずるところの、歴史の、観念的で、形式主義的、形而上学でない、唯物弁証法的展開の法則が、お父さんと貴方の関係性の中に、典型的に見受けられるからです。

 どういうことかといいますと、僕の考えでは、歴史も、「正ー反ー合」で、「否定の否定」、そういったプロセスを経ての「肯定」、といった形で、螺旋的に円環しつつ、発展してゆく、と思えます。

 これが、大雑把に言えば、ヘーゲルの観念弁証法だといえますが、マルクスは、これを唯物論的に転倒しつつ、自己否定の「止揚」の論理、「揚棄」の論理として使用しています。

 「止揚」、「揚棄」の展開において、過去の否定された対象での、良き側面、事柄は、「合」のところに、必ず、継承されて復活しています。
 事物の発展は、すべて、内的で(外的契機を取り込みつつ)自己否定的に、展開してゆきます。

 近代の民族、「国民国家」としての近代社会の自己発展の論理もこう言った自己否定的なもので、その発展の動力が、いわゆる生産力と生産関係の矛盾だと思います。

 こう言った「揚棄」の関係が、貴方とお父上の間にいは、見受けられます。

 お父さんは「侵略戦争ではない」とおっしゃっていますが、人や他民族を殺すことを良しとしてないと思っていらっしゃると思います。ただ、自分が特攻隊(?)として、死を覚悟して、家族、隣人、同胞、民族、「国家」のために、犠牲になろうとした中にあった、無私、非利己の殉教者的“至純性”について、否定されたくない、と思っていらっしゃるのではないでしょうか。

 先の戦争を、侵略戦争性を否定されるのは、貴方も言われるように間違いですが、この要素(非利己の儒教者的精神)を、そのイディオロギー的裏付けについては、徹底的に批判しつつも、僕らは、全く否定すべきではありません。

 更に、歴史は行動してから、やってしまってからしか、その意味が分からないことで一杯です。

 あの時代、先覚の人を除けば、その当時の歴史としての限界から、当時の世界的な「共同的主観」からすれば、普通の庶民が、支配階級の言うことを真に受けるのはやむをえなかった要素が多々あります。この点も、考慮すべきです。

 しかし、行動してみて、間違っていて、侵略戦争であることが明らかであった以上、今度は、それを庶民は、支配階級は別にして素直に受け入れます。これが、歴史の教訓と言うものです。

 民族も、一人一人の人間、個人が、その人生において、過ちを犯しつつも、未熟から成熟への人生を辿るように辿ってゆく、と思います。

 こういったように民族の成長史も唯物弁証法的に辿ってゆけばよいと思います。

 田母神氏は、執権勢力の一人として、自己の利害関係から、恣意的に、これまた、恣意的な「愛国心」なるものをでっち上げ、歴史を偽造しています。

 これは、観念的な過去の形而上学的清算の仕方に比べれば、千倍も万倍も、間違っています。

 貴方は、こう言った関係性をしっかり踏まえられ、お父さんと接せられ、断固として「9条改憲」に反対されています。

 これが、観念形而上学ではなく、唯物弁証法的で、すばらしい、と僕は思うわけです。

 どうか、9条改憲を阻止すべく、一緒に頑張りましょうよ。


塩見孝也

資料:Mさんのメールより

 こんにちわ。

 壮絶な経験をお持ちなのですね。僕も相当、波瀾万丈の人生 を送って来ましたが、第二次世界大戦は遠い様で身近な存在です。僕の父は現在82歳で、陸軍少年飛行兵でした。志願兵  の為、はやくから内地へ行き、無線技師をやっていた為、生死をさまようことなく捕虜を1年経験して帰って来ました。

 父は、いくら言っても、あの戦争が日本の侵略戦争だったこ とを 認めません。痴呆も進行しているので、もう無理かな?とおもいますが、少年飛行兵の全国大会には毎年勇んで参加してます。父には宗教心もありません。23年前に亡くなった母がいれば、少しは変わったと思います。

 極限の体験をしたきたのに、その重みがどこにもありません。

 すいません、親父の愚痴になってしまいました。<(_ _)>

 憲法9条は守られるべきだと思います。ただ僕は49歳(昭和34年生まれなので、)まだついていけそうですが、他のマイミクさんは、同世代+若い方が多いので、預言者さんのヘビーなコメについていけるか?まあ、やりましょう!!

 今後ともよろしくお願い致します。