寄稿・論文



自主日本の会

掲示板

コラム

イベント

リンク

 topページに戻る

洞爺湖G8サミットを糾弾する(中) 

サミットとは何か?
その本質的性格とその宿命、「世界性と一国性」の矛盾は絶対的に解決できない。

2008年 6月 30日

塩見孝也

サミットにおいて、その誕生の年が、ベトナム・インドシナ半島でのアメリカ等国際帝国主義の敗退、世界の植民地体制の最終的消滅の年、1975年であったことは、特に留意されるべきだ、と思います。


●サミットの基本性格について

サミットは、一般に、世界の列強指導部が、一同に会し、世界の諸問題を論じる場だと言われています。その年々に応じて、アットランダム、フリーに意見交換する場だと言われています。その年々に応じて議題は違っているとも言われています。

確かに、その年々の課題は、それ相応に、検討されて行ったでしょうし、僕等もまたそれを批判的に検討すべきです。

しかし、確認しておかなければならぬ、もっと重要なことがあります。それは、年々の、いろんな課題を論じ、意見交換する場そのものを、列強がどう捉え、どう位置づけていたか、このことです。

つまり、例年ごとにもたれていった各サミットを貫く、サミットの基本性格について、どう捉えるか、この問題こそ、しっかり把握されておくべき、と考えます。

第一回目は、アラブ諸国の石油供給戦略に対応するものとして、持たれたとも言われています。

国際帝国主義列強首脳が、たとえ、仮に、意見交換とは言え、一同に会し、会議を開くことは、それまでなかったことに鑑みれば、単に対アラブ石油攻勢戦略のためだけ、とは決して言えないと思います。

もっと、彼等にとって、根本的で、自己の存亡に関わるような、彼等それぞれにとって共通な関心事として、世界的ともいえるような大事件が発生しない限り、帝国主義首脳が、一堂に会し、意見交換を続けるようなことはありえなかった、と思います。

考えるに、このランブイユのサミットは、ナポレオン敗北後のウィーン会議、第一次世界大戦後のベルサイユ会議に匹敵するものと言っても過言ではありません。

それほどまでに、ベトナム、インドシナでのアメリカら帝国主義列強の敗北の事態は、彼等にとって、最大、最高とも言えるほど、深刻な世界史的事件で、あったということです。

石油産油国の原油値上げ攻勢は、実は、この帝国主義列強のインドシナ半島での敗退に付け込んだ、アラブ諸国の追撃の動きの一つであり、このような事件は、無数に他に、この時期、起こっています。

たとえば、アフリカ諸地方において、当時、ローデシアと言われたジンバブエ地域、モザンビーク、タンザニアら、多くのアフリカ諸国が大攻勢に出て、民族独立運動は総決起して行っています。

この、動きは、チモールら太平洋諸国、中南米にも飛び火して行っています。

列強が論じなければならなかったのは、その根本に存在していた、植民地体制の解体、消失にどう資本制帝国主義者として、資本家全体の利益を貫く見地で、どう対処するか、であったわけです。

何故でしょうか?

それは、ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリスと覇者は変わってゆきましたが、欧米帝国主義諸国の帝国主義としての存続にとって、必要不可欠な、200数十年間、維持されてきた植民地体制の最終的解体、消失という事態にこそあった、と言わなければなりません。

それまでの先進資本主義列強の存続は、彼等に隷属し、犠牲になってくれる、規定的なベース部分、植民地を必要不可欠な基底、植民地を持つ、ということにおいてにして存続してきました。

ここでは、彼等は、等価交換、価値法則などお呼びでない、不等価交換の超過利潤を暴力を駆使した征服、略奪行為によって、獲得してきたわけです。

植民地の創出、獲得、維持は、産業資本主義の時代はおろか、重商主義の頃から始まっていますし、そこに資本制帝国主義の原型が既に生まれていました。

第一次世界大戦も第二次世界大戦も、その根本的推進動機は、植民地の獲得、或いは、分割と再分割にあったわけです。

この自己存続の≪犠牲的基底≫が、「第三世界」の民衆、民族の独立運動を中心とする世界の民衆運動の力によって、最後的に失われてしまったのです。

この事態は、個々の列強が、どこそこの植民地を維持する、とか、奪い合う、とか、どこそこの地域を再植民地化するとか、の、或いは、どこの列強とどこの列強とが手を組む、とか、どこの列強を孤立させるとかの列強同士の「合従連衡」の政治ら、個々、個別の事象を超えた、もっと根本的な問題でありました。

いうなれば、これらの個々の政治を成り立たせる存立根拠、その規底に前提的に在った植民地体制そのものの消失に対して、個々の列強の「国益」を超えて、資本家全体の見地で、どう資本主義を存続させてゆくか、の問題であった,と言えます。

植民地を帝国主義宗主国との関連で、一語で概括してゆけば、僕は「犠牲的基底」と呼んでいます。

この意味で、資本制帝国主義体制の防衛とその存続、発展の見地に立って、事態に対処してゆくことが必要とされたが故に、列強首脳は、集まらざるを得なかったわけです。

つまり、サミットは、国民や民族、個々の国民国家の利害関係を超えて、資本家全体の見地、言うならば、“世界ブルジョアジー”の見地で、優れて、ブルジョア階級意識を研ぎ澄ませつつ、集まらざるを得ない場であったのです。

この、意味で、サミットは「世界ブルジョアジーの円卓会議」といえるものであったのでした。

彼等の危機感は、国連やその常任理事会で討議されるべき内容ではなく、帝国主義資本家階級だけでしか話せない内容でした。

「国際連合」は、この時点までは、第三世界諸国が参加することや、ソ連の拒否権発動で、列強の思惑は牽制されてはいたものの、それでも、アメリカら帝国主義列強の意志は、貫徹されていました。

しかし、ベトナム敗退以降は、多くの独立したアジア・アフリカ諸国が参加することで、決定的な力関係(国連でも)の変化が生じ、もはや国際政治でも、国連でも、アメリカ一国でも、或いは列強の≪国益≫のままに振舞っては行けず、アメリカら帝国主義列強が各国毎に牛耳ってゆくことは、決定的制限を受けるようになってきたのでした。

かくて、アメリカを盟主とする列強だけの円卓会議が持たれ、それが、毎年のこととして慣習化されていったのでした。

しかし、その後の事態は、その彼等の深刻さを吹き飛ばす形で、極めて彼等にとって予想外の面白さを、有利さ持って展開して行ったのです。

このような、ある意味では、「世界ブルジアョジー」としての苦肉の策として、サミットを生み出して行ったわけですが、逆に、それが、結果としては、その後の世界、国際政治を領導してゆく力を、皮肉にも、このサミットに与えていったのです。

どういうことか。

サミットは、国連の制約を受けないことにおいて、「帝国主義としての自由」を手に入れ、資本家階級としての共通の普遍的な階級意識を研ぎ澄まさせ、資本家総体の利益護持、資本家総体の利益貫徹の見地を確立せしめました。 その階級意識に立脚し、各国「国益」を、ある程度、調整して行ったわけです。

この階級意識こそ、ネオ・リベラリズムであったわけです。

この見地に従って、一定の団結を回復し、新たな構想、路線を確立し、その力で、国際政治を動かし、国連おも動かす力を回復していったわけです。

その研ぎ澄まされたブルジョア階級意識と領導力、そして、経済力を持って、独立した発展途上国諸国やそのリーダー、中国を、「資本主義発展の道」に手繰りこんで行ったのでした。

かくして、国連とは別の場から、60数億の人類の運命を、僅か7〜8人の列強「首脳」、指導者たちが、「人類の利益」を振りかざしつつ、決定し、国際プロレタリアートを無制限に搾取、収奪し、貧困と無権利、戦争加担に追い込む権勢をサミットは獲得していったわけです。

ここにそ、サミットの本質が存在しています。

ネオリベラリズム思想、理論の台頭は、こういった世界の政治、階級情勢と深く関係して登場して来ています。


 

●サミットにおける、影の主役としての中国の存在

又このサミットの背後には、常に中国の存在の影があり、中国が影のサミットのアメリカと並ぶ主役といつも言われてきました。

今回も、中国首脳が参加するか否かは、別にして、外相が参加するか否かが、注目されて居ます。

なぜなら、ベトナム以降、中国の動向こそが、帝国主義列強が資本主義体制を維持してゆく鍵を握っていたからです。 米中の連合が成立し、それが、旧ソ連をけん制し、第3世界が、資本主義「発展途上国」の道を選択するか、民族独立革命を社会主義に繋いでゆくか、の選択肢を中国が握っていたからです。

それまでの≪冷戦構造≫を解体し、中国と「第三世界諸国」が「改革・開放」で、「自由化」、つまり、資本主義世界への参入を受け入れ、「資本主義発展途上国の道」を選択するか、の鍵を中国が握っていたからです。

そして、中国は、それまで、ソ連を「左」から支え、冷戦構造の主要な担い手であったわけですが、自己のパートナーとして、ソ連に替えて、アメリカ帝国主義を選択し、このことが、ソ連解体の事態へと帰結してゆきました。

中国の参加は、未だ微妙な問題ですが、中国が世界貿易機構ら、世界の金融・経済機構にどんどん参入して行き始めていることからして、或いは、米中連合、日中連合の親密化からして、中国国内の資本主義化の一層の進展を踏まえれば、国内階級対立や少数民族問題の処理の如何によっては、そのサミット参入は、遅かれ、早かれ、避けがたいことといえます。

アメリカら列強と中国の関係は、最初、資本主義的発展を、資本が握るのか、プロレタリアートが握るのかの「綱引き」の様相を呈していたわけですが、資本家階級が結束し、国連とは独自に、自らの階級利害を鮮明にして、ネオ・リベ路線を実行してゆくことで、中国はどんどん資本主義へ、変質してゆきました。

ソ連解体・「ベルリンの壁崩壊」を経て、父親・ブッシュ主導の「湾岸戦争」へと、アメリカら帝国主義列強は、ベトナム以降の敗勢を立て直し、80年代、90年代、国際ブルジョアジーとしては、巻き返しに成功して行ったわけです。

この時代こそ、正に、グローバル帝国主義としての資本主義発展の第三段階目の、生成、確立、成長・発展の時代だったといえます。

しかし、こう言った事態は、以下のような二つの重要な副産物の事態を産み落とすことになってゆきました。



●“世界プロレタリアート”に向け、隊伍を整え始めた労働者階級

一つは、以下です。こういった資本家階級がサミットで結束することで、80年代、世界のプロレタリアートにとって、霞んでいた「敵が誰で、どこにいるか、闘いの標的はどこにあるか」の問題が、逆に、サミットの存在性に照応しつつ、鮮明化されてゆくに及んで、国際プロレタリアートは、闘い、打倒すべきターゲットを見つけ出し、90年代末から反サミットの国際的戦線を構築することを可能にしていったわけです。

反帝国主義、反植民地主義、反封建の闘いの担い手は、農民、民族ブルジョアジー、そして、それに従うプロレタリアートでした。概して、農民でありました。

しかし、植民地国としてあった、これら第三世界諸国の国内階級構成は、これらの諸国が、資本主義「発展途上国」に展開してゆくに及んで、その階級構成は大きく変化してゆきました。

グローバル帝国主義の底辺部にあったとは言え、途上国は、既に資本主義国に変貌しており、その階級構成に占める主要な階級は、プロレタリアートになっていたわけです。

だから、反サミット、グローバル帝国主義との闘いの担い手は、もはや農民階級ではなく、文字通り、世界社会主義革命を受け入れるプロレタリアートであったわけです。

このプロレタリアートは、グローバル帝国主義の人口法則、相対的過剰人口として、国内・国際間を流動する、グローバル帝国主義によって搾取・収奪され、犠牲にされ、その格差矛盾をモロに受けるプロレタリアートであったわけです。

これを、アントニオ・ネグリは、「資本論」に忠実でないが故に、非常に不正確に、曖昧、漠然とした形で「マルチチュード」と命名していました。

国際プロレタリアートも又、各国プロレタリアートとしての階級利害を有していますが、それを超え、「世界プロレタリアート」としての階級利害(世界社会主義、世界同時革命)を追求すべく、階級意識を研ぎ澄まし、「世界プロレタリアート」としての隊伍を整えて行き始めたのでした。

この経過は、(上)で述べました。

 反サミット闘争やその系列化の諸機構への国際的戦列は、年々強化され、サミットが挙行されるたびごとに、サミットは≪世界プロレタリアート≫の巨万のデモによって包囲されて行き始めたのでした。


●資本家にとって、絶対的に超えられない、宿命としてある「世界性と一国性」の矛盾について

二つは、アメリカ帝国主義の力が衰え、経済的には、日本帝国主義、EUの力が増し、中国やインドが急成長して行ったことでした。

政治的には、湾岸戦争までは圧倒的「アメリカ一人勝ち」の様相があったわけですが、それが、多元化してゆく列強関係の中で、子・ブッシュのイラク侵略戦争が、最初はともあれ、この3〜4年、泥沼化し、米兵死者が4000人を超えるにおよび、反ブッシュの政治が、国内的にも台頭し、行き詰まっていったこと。

そのことによって、「世界ブルジョアジーとして、各国利害を超えて、団結してゆく」「アメリカはその盟主」、といった大義名分が色褪せ、各国利害関係の調整力を減退させていったことでした。

それが鮮明に顕在化してきているのが、(上)で、列挙した、サブプライムローンに端を発しつつある世界金融恐慌、世界過剰生産恐慌の問題であり、石油高騰―食料危危機らエネルギー問題、地球温暖化ら環境問題、そして、イラク戦争の行方、対イラン戦争を開始するか否かの問題、朝鮮核武装への態度の問題らへと煮つまってきている、といえます。

ところで、この課題のいずれもが、「一国ブルジョアジーと国際ブルジョアジーの矛盾、対立」を宿しており、それが、顕在化してゆく可能性を示していることです。

ここにこそ、実は、別の形で述べてゆけるサミットの本質、その行く方を占う核心が体現されています。

資本主義は、自由競争を通じて利潤追求を第一とする原理に立脚している以上、原理的には、「自由競争」を通じて、単一の「世界資本主義」に行き着く必然性を宿しています。

これをレーニンは、「帝国主義論ノート」の中で、「実験室の中では、それは可能である」と言い換えて指摘しています。

しかし、他方では、それは「実験室の中でのことで、現実のこととしてではない」とも指摘しています。

なぜなら、現実には、資本、国際独占体は、その出自を、「自国国民経済」に置いており、その「国民国家」の政治・軍事力に守られて、多国籍化し、(上)指摘しましたように≪直接的生産過程≫における≪工場内分業・協業≫を国際化していったわけです。

平たく言えば、アメリカ帝国主義のスーパーな政治・軍事力があってこそ、グローバル資本主義は可能で、ネオリベラリズム、市場原理至上の進展は可能であったわけです。

その中心機軸、アメリカ国際独占体ですら、自国「国民経済」と「世界資本主義経済」の矛盾、葛藤の中で、存在しているわけです。

当然にも、アメリカ以外の列強も、「一国性と世界性」に引き裂かれつつ、生存しているわけです。

EUは、この矛盾を止揚しつつある、と囃されていますが、農業問題、ドイツとフランスの競争関係らからして、経済的には共同体化が確認され、実際に進行していますが、軍事と外交面では、今でも自国国民国家の決定に従う構造で、一国性と超国家として共同としてのEU志向との間でもがいているのが実情といえます。

政治・経済学者、ヨアヒム・ヒルシュは、この点で、「グローバル化が進行したとしても、国民国家は消失して行くようにはならず、国民国家は頑強に残ってゆく」と、彼の著書、「国家・グローバル化・帝国主義」の中で強調しています。

だが、それでは、「自国国民経済−国民国家」に出自し、それに規定されているからといって、各国列強の一国性が前面に出て、1930年代の如く、世界恐慌の後、世界経済は収縮し、各帝国主義列強は、独自の閉鎖経済に後退し、ブロック化から列強同士の世界戦争に向かうか、といえばそうは言えません。

なぜなら、世界資本主義経済、すなわち、グローバル資本主義は、僕が(上)で指摘した如く、既に、「直接的生産過程」において、後戻りできない「工場内分業、協業の国際化」、強固な経済過程が創出し、この状態に照応する、均質で、最高度に整備され、洗練された世界市場と国際機構を創出している現実が存在しているからです。

そうであれば、「1930年代」が再現されてゆく可能性もまた、非常に少ない、といえます。

であれば、僕等にとっていえることは、グロ−バル資本主義列強は、永遠に、その「一国性と世界性」の矛盾を抱え、それを解決しえず、もがき、彷徨う歴史的に限界性を持った資本制帝国主義であること、このことです。

この資本主義の「世界性と一国性」の矛盾は、絶対的に資本家階級では、彼等、階級が私的・資本主義的所有関係を前提にして存在している以上、永遠に解決しえない宿命的命題であるからです。

レオン・トロッキーはこのことを「果てしなく痙攣し、死の苦悶を続ける資本主義」と洞察しています。

この矛盾、命題の解決は、「私的・資本主義的所有関係と生産の社会化」という資本主義の基本矛盾(エンゲルス、「空想より科学へ」)に根ざしており、この根本的解決、回答は、資本家階級ではなく、生産手段の私的所有から自由で、≪生産の社会化≫の担い手にして、この所有関係を廃止せずしては、自己解放をなしえない労働者階級においてのみ解決可能な事柄であると考えます。

労働者階級こそ、資本主義の「世界性と一国性」の矛盾を、「国民国家」を超えて、解決でき、民族性の問題を、パトリ民族として、止揚してゆける存在と言えます。

今年の洞爺湖G8サミットは、その抱える課題、論議対象からして、この資本家階級の矛盾を決定的露呈する場となる点で、歴史的意義を持ってゆくのではないでしょうか。(続く)



塩見孝也