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I氏の、僕の「ぱとり論」への
批判的評注にコメントする。
(上)



2008年 3月 25日

塩見孝也

関西のI氏から、僕の「パトリ」論に集約される、民族論とそれにまつわる戦術路線に関して、批判的評注がなされました。

括弧つきながら<転向>(「マルクス主義からの」?、あるいは一般的な「転向」?)という言葉も盛り込まれており、きちんとした、説明の必要を感じます。

一般に、左翼の中には、“民族”を語れば(別の言葉で言えば、“国民”を語れば)、<左翼からの逸脱>、<マルクス主義からに転向>といった、牢固たる偏見があります。 これも、その一種です。

確かに、「階級と民族」、「階級と国民」の問題は、左翼の根本的テーマではあります。

しかし、この問題を逃げて、<階級>ばかり、語っていても、何も進まない、そして、今後も、投げ出されてくる、この問題に、何の対応もできず、左翼の無能を天下に晒すだけになってゆくことは、必至であると僕は思っています。

問題は、“階級”を踏まえ、前提にした上で、“民族をどう語るか”だと思います。

そして、両者を繋ぐ、コンセプトが“人間の自主性、(創造性、意識性)”だと、僕は考えています。

僕は、この問題に、実は、出獄してから、ずっと取り組んできました。

否、実は、僕自身の思想の根元、赤軍派のロマンチシズム(良き意味での、ロマンチシズムにもいろいろあります)を考え続けて以来のことです。

そして、これは、カストロ(やゲバラ)やフランツ・ファノン、毛沢東らアジアのコミュニストの根元にある、愛国者思想(今は、それをパトリオティズム、とはっきり、意識化されて、命名しています)に70年闘争で接して以来、意識化されて来たのでした。

日本近代では、西郷隆盛の思想に収斂してゆきました。 

人間には、いくつもの顔があります。

僕は四つの顔を持っています。これは、「幸福論」でも、明らかにしました。

一つは、民衆主義者(資本主義批判からする、プロレタリアートら人民大衆中心主義者)の顔です。

二つは、人間自主主義を基本的立場とする、人間主義、民主主義者の顔、平和主義者の顔です。

三つは、1,2を土台とする“パトリオット(「愛国者」)”の顔です。

四つは、人類主義者の顔です。

I氏との議論は、その顔の三つ目に関することであったわけです。

この問題は、マルクス主義者と名乗る人々、潮流、或いは、第一次ブント、第二次ブント系の人々が、、この立場を、現代にどう適応させてゆくか、現代、あるいは、現状、そこにおける民衆の状態をどう見てゆくか、いうなれば、こういった過去の立場を、どう総括してきたか、において、避けて通れない問題でもあります。

僕からすれば、僕がこういった問題に、これまでどう対応してきたかを示してゆける、良い機会と考えます。それで、一文を書きました。



T.
僕は、非転向の階級闘争の最前線に立ち続けてきた、(自主)革命家マルキストです。

一度もこの道から、はずれ転向したりしていません。

但し、僕の<マルキスト>規定は、マルクス教条主義ではなく、<幸福論>で、展開しているように、階級を構成する、諸個人の個性、自主性の要素を、決定的に強調するものです。

このことは、<幸福論>で、詳しく展開していますように、「<マルキスト>であって、<マルキスト>でない」「マルキストでない様でマルキストである」とも自称する、マルクス思想の“脱構築主義者”を意味しています。

以上を踏まえた上で、僕は「括弧つきながら、<転向>などのレッテルを貼ってもらっては困る、といっておきます。


1) 僕は、一貫して、マルキストのコミュニスト(社会主義者)の革命家です。

天皇制(国体論)、あるいは、戦前侵略戦争を、ただの一度も美化したり、支持したりしていません。


2) 「資本主義批判―プロレタリア階級解放・社会主義革命」、「世界同時革命、世界社会主義、世界党―――」ら「過渡期世界論」の見地、「日本帝国主義打倒!社会主義革命!」の見地に立ち、このコミュニストの最大限綱領に従って闘ってきました。

政治上の「過渡期世界論」を(そのベースの思想面、理論面を、「再構成」、「止揚」の見地で、“脱構築”しつつ)守ってきました。一度も否定、清算したりした、言辞を吐いていません。

この辺、僕に対して、「資本論」を、付け焼刃的に勉強し、「転向して、民族主義者になり、今度は、民族主義者からマルキストに転進した」なる見解があるようですが、僕の「資本論研究」、理解は、年季が入っており、遠く、1973年の連赤事件以降、文章に現れ、「プチブル革命主義からプロレタリア革命主義へ」の思想問題として、「塩見孝也論叢」の1号から9号まで、その集約としての10号の<プロレタリア革命派>の綱領の原則部分として展開されても居ます。

この点は、プロ革派の外の指導者であったS君など、よく知るところでしょう。

「資本論研究」は、テクストみたいなものも書き、ずっとそれ以降も続けられています。

これが、非転向の背骨になっているのです。

最近、出獄して3度目ぐらいですが、若い人と約一年間、月、一回のペースで、12回掛けて、<資本論研究>をしていますが、その前に「縄文研究会」でも半年掛けてやって降ります。出獄して。すぐに、<マルクス主義青年学校>でもやっております。

こういった蓄積、素養がない限り、すぐにネグリ<帝国>の書評など書けるわけがなく、また<グローバル帝国主義論>の基本骨組みなど、提起できません。


3) 僕は、投獄されて20年、一貫してマルクス主義を堅持してきまた。非転向を貫いてきました。

獄中の未決13年半も、激烈な日本帝国主義権力との、激しい、連続した、公然たる戦いをやってきました。これは、天下周知のことで、「獄中記」に記してあります。

基本的な、闘いの対象を、この時は、天皇制に置きました。

特に、下獄して、一人で闘わなければならない、一番困難な時、階級敵の転向攻勢の「厳正独居」攻撃に、獄中で、一人で(外の「塩見救援会」に支えられてのことですが)、信念に従って、不屈、非妥協的に闘い、勝利しました。

ここでも屈しませんでした。

この獄中闘争の締めくくりに位置する闘いで勝利し、マルキストとしての背骨があることを示したし、より強い、背骨をなして行きました。 20年間の、獄中闘争が、僕の非転向マルキストの背骨を作ってきました。

この点、どれほど、獄中での非転向闘争が、つらく困難か、あなた方は、ほとんど理解できていません。

いま、出されている問題は、I氏については知りませんが、転向者が、非転向者に、「転向だ」となん癖を就けているような、全く、逆の構図になっていることを理解しておいてください。

僕は、宮本顕治のように、非転向を売り物にしたくはありませんが、こういった構図を、出すなら、こういった、監獄での、闘いがあったからこそ、信念と自負を持って、出獄後、発言でき、行動できたと思っていることも強調せざるを得ません。(この辺は、僕の、新泉社出版の「封建社会主義と現代(塩見孝也獄中重要論文集)」の諸論文、特に「投獄15周年論文」や<風雪>各ナンバー、そして、「監獄記」(オークラ出版)の第一章「監獄武勇伝・厳正独居物語」を参照してください)

出獄して、一貫して、プロレタリア階級の一員として、活動し、ただの一回も、資本家経営者の立場、地位についていない。資本の管理者、手代のような地位につくことも拒否してきました。

ずっと、貧困ながら、常時、マルキストのプロレタリア(自主)革命家として、階級闘争の最前線で活動してきました。

僕等の世代や上の世代、すぐ下の世代で、このように長期にわたって活動してきた人は、極く、極く、少数ではないでしょうか。

しかも、僕は、逃げ隠れせず、元「赤軍派議長」の看板を掲げて、そうしてきました。これは、自ら進んで、階級闘争の最前線で、闘うことを意味します。

「最前線」は、いろいろありますが、僕のいうのは、いつも衆人環視の中にあるから、思想の根本を、見守られ、点検されているということが、僕の場合は、主要な意味です。

この看板を掲げ続けることは、権力を中心に、4方8方から集中攻撃をうけ、極めて多種多様な困難を強制され、強い決意、覚悟、闘争心が必要です。勇気とともに、しっかりした、革命理論、路線に裏打ちされた、冷静な判断力、叡智も必要です。

生活は、これに対応すべく整除されていないと戦えません。

又、そうすることは、必然的に、思想・政治世界、理論闘争の世界で、厳格さと激しさを問われ、階級闘争の最前線におのずから立たされてゆきます。

僕は、こういった自分の置かれている位置を百も自覚しつつ、こういった攻撃と、激しく、非妥協に戦ってきました。


4) 僕が、どんな事態にも対応して来、適当な発言をしたり、必要な自己批判を公にできるのは、こういった思想的、政治的営為、生き様を貫いてきたこと、この蓄積、自負心、信念に基づくもので、知識(知識は十分あるが)やおべんちゃら、年齢の役得を活かす、適当な調子の良さ、などに基づくものでは決してありません。

こういった水準では、発言も自己批判もやれません。


I氏に、重ねて言います。「転向」など、括弧をつけてでも、言ってもらっては困ります。



U. グローバリズム現代帝国主義、グローバル日本従属帝国主義が惹起させるパトリオティズム民族論、それにアプローチする立場、観点、方法について。

「パトリオティズム」、「民族を語ること」は、思想・政治問題、否、思想そのものにかかわることですが、他方では、理論問題、それとの関連での政治、理論問題にかかわること、と思っています。

資本主義の第三段階としてのグローリズム資本主義が、従来からの戦後日本資本主義の“従属帝国主義”の特性とからんで、日本人、日本民衆の主権の面で、より一層従属性を露にしている問題や民族的アイデンティーを、希薄化したり、解体化している問題、他方では、それが、労働者等民衆への搾取、収奪の強化として、利用され、経済、生活面で圧迫を激化させている問題に根ざしております。

他方では、ある面では、情勢の局面、展開に関わる戦術的対応問題であるとも、僕は考えています。

しかし、この領域は、踏み込めば踏み込むほど、広大、多岐です。

僕は<一>の基本的立場に従属させつつ、「民族」「民族性」「パトリオティズム」を語ってきました。これが、僕流にいうところの「民族問題」における基本的立場であり、観点、方法です。

この観点から、僕は“パトリオティズム”の観点を持ち、この観点からも、その諸問題を処理してきました。

1) 繰り返しますが、僕は、天皇制(国体論)、あるいは、戦前侵略戦争を、ただの一度も美化したり、支持したりしていません。先の戦争を帝国主義間戦争である立場、見地をただの一度も変えていません。

新右翼の右翼民族派の間では、「戦前を侵略戦争と見、“国家否定”、“天皇(制)なき”左翼民族派」「マルキストで“民族”を語る人」と、牢固としてみなされ、有名です。

或いは、域内の被抑圧民族と抑圧民族の関係では、ヤマトを抑圧民族と捉え、ウチナンチュウ、アイヌ、在日コーリアンを被抑圧民族と捉え、その自主権を第一に尊重してきました。

又、域外の搾取、収奪、隷属されている「第三世界民族」、或いは、 その後の「発展途上国の民族」の自主権を尊重してきました。


2) 従属帝国主義論との関係においては、日本帝国主義は高度に発達した独占資本主義です。

しかし、敗戦で、アメリカ帝国主義に占領され、国際法上は、「独立した」とされていますが、現在も、国内に米軍基地を許す、未だ占領が、形を変えつつ継続しているアメリカ帝国主義の“従属国”といえます。

この権力構造を、日本支配階級は一度も覆そうとしていません。

軍事、政治、経済、文化ら日本社会は、全ての面で、日本国、日本資本主義は対米従属的ですし、世界覇権も、アメリカに従属してしか、やれない権力構造です。

このように日本国は対米従属下、階級同盟 ではあれ、決して「自立」、「対等」の同盟ではない日米安保条約に、法的にも縛られ、日本国憲法も、日米安保条約の下位におかれるような、対米従属国家です。

第一次ブントは「日本帝国主義復活」を唱えました。これは、経済的指標からすれば、全く正しかったが、したがって、この「帝国主義復活論」は、正しかったが、「日本帝国主義自立論」は誤っており、日本資本主義は、「対米従属帝国主義」であることが、あれから50年弱の年月を於いてはっきりしています。

巨大スーパーなアメリカ帝国主義に従属しながら、帝国主義は、自立はしないが、従属的に復活する、ということが、現実にある、起こっている、ということです。

この点で、「ブントは半分正しく、半分、まちがっており、代々木も、半分間違っており、半分、正しかった」、ということです。


3) 僕は、このような、社会、権力のなし崩し的変化について、エンゲルスだったかの、「ボナパルチズム」規定を思い出します。

ブントの掲げた「世界革命の有機的一環としての、一段階社会主義革命、プロレタリア独裁、暴力革命(1960年?のブント第三次綱領草案)」は圧倒的に、全く正しく、―――とは言っても、別の機会に述べますが、変革の基本問題における、数分野で、決定的ともいえる空白、未熟さが見受けられます。―――代々木の32テーゼ以来の二段階戦略は、日和見主義の源泉であり、全く間違っていた、といえます。

それは、何よりも、日本民衆の大多数であるプロレタリアートが、従属政治にも規定されつつも、主要に、日本資本主義の所有関係、賃金奴隷制の資本制生産関係に規定され、苦吟していることで明らかです。

だから、「日本帝国主義打倒!安保粉砕!」の基本政治綱領で、全く正しいのです。

しかし、そうだからと言って、対米従属問題としての民族問題は依然残ります。

この問題も、「日米帝国主義の日米プロレタリアートの国際主義的結合による、日米帝国主義の同時打倒!の社会主義革命」が基本戦略です。

しかし、このことを確認しても、それでも、(部分的ではありますが?そうかな?)、対米従属問題に、「反侵略」を掲げて、民族問題を正しく扱う問題は依然残ります。

これが、どの程度の比重を持ち、どの程度、日本社会主義革命に影響を残すかは、僕も、未だ、判断できませんが、無策であって、良いわけがありませんが、「対米従属反対!」を唱え、それを、言行一致で、民族派右翼が、「反米、反安保、反基地」を実行すれば、それは、現段階では、日本帝国主義の侵略への、微温的にせよ反対を唱えることとなる、ことは確認しておくべきことです。

また、この問題は、視角を変えて、普遍的視野から論ずれば、<パトリ民族>の、日本革命とと世界革命、或いは「世界社会主義」とそれへの世界規模の過渡期、通称「世界プロレタリア独裁期」に占める意義の領域があることも明瞭です。

僕の<パトリ>民族論は、このような普遍的視角と当面の自国革命からアプローチする二つの視角から、組み立てられ、営為され、構築されていることを付言しておきます。


4) 僕は、この時に、上記の基本戦略に従いつつ、「世界同時革命」、「社会主義革命」、従って、プロレタリアートの利益に基づいた、反米・パトリヲティズムの「民族」的要求を掲げて良いように思えるのです。

この課題は、右翼民族派、民族主義者にとっては、その大半は、明らかにブルジョア的課題、枠を出るものではありませんが、つまり、小ブルジョア、農民、「自立」ブルジョジーらを階級基盤とする、「民族自立、(独立)、自前軍隊の建設」に収斂してゆきますが、他方では、これを、この階級は、僕等プロレタリアートに従って、「世界同時革命、日米同時革命、革命的祖国敗北主義、9条実現、ミリシャス(民兵)的自衛」に、引き寄せられて来る可能性も十分あるように思えます。


5) だから、右翼「民族派」に対して、徹底的に、
「資本主義の容認し、大多数の民衆である、プロレタリアートの階級的利益を実現しようとしていない。」「ブルジョジー、小ブルジョアの利益に立脚しようとしている」

「天皇制擁護を、民族主義の踏み絵にするのは、支配階級の利益貫徹と同じ」「天皇絶対を、変えて、相対化し、日本民衆、世界民衆の利益を第一にしてゆくべき」

「天皇制日本国体論は反民衆的」「幕末期の国学らから、現在のパトリオティズムを捉え様としてもできないし、そうすれば、反動になっていしまう」「戦前の<人種対立論>をベースとした<大東亜共栄圏論>は全く間違い、これは、日本帝国主義の利益要求を代弁している」「天皇絶対化こそ過ち」「天皇制は、、今は、主要敵ではないが、今でも、ブルジョア独裁権力のイディオロギー装置として機能しており、そのやり方は、慎重であるべきだが、廃止すべきである。」 等の批判、理論、思想闘争を徹底してゆくこと。

「“国民国家”に集約されないような、民族の在り様は存在しえる」「資本主義に骨がらみにならない民族の在り様は存在しえる」「それがパトリをティズムだ。民族を愛するなら、こういった方向で、思想的、政治的営為をすべきである。」
等の見地を押し出す。
「世界社会主義、世界同時革命」「世界プロ独」の「世界的規模の過渡期」に、この基本観点で、諸民族の歴史的特性、自主性を活かすべき」。

こういった観点に立って、「反共、親米、反アジア」の「民族主義者」とはいえない「超保守主・反動主義者」とは区別しつつ、右翼民族派、民族主義者、通称「民族派」、「新右翼」なる思潮を、「安保粉砕!反米!」の面で、全面的には敵視せず、そして、徹底した理論、思想・政治闘争をやりつつ、<連合もすれば、闘争もする(毛沢東)>の見地で、ひきつけて行く対応も必要です。


この対策が無視されて良いのか?となると、僕は、この点でも、無策であってはならない、ように思えるのです。

こうして、コミュニストが、思想・政治闘争、理論闘争の面で、「民族的」課題の面でも、攻勢に出て、主要に、独自に、<反帝国主義・社会主義同時革命のプロレタリートを中心とする基本陣形・共闘関係を強化しつつも、他方で、「反安保、反基地、沖縄闘争ら」の<対米従属構造打破!>の民族としての闘いを、ダブルスタンダードで駆使し、日本と世界の反米民族主義者との戦線を上記「連合もすれば、闘争もする」基本見地で、追求したり、すぐにやれないにしても、その余地を残しておく姿勢が必要と思います。


V. 僕のパトリオティズムについて。

僕の「パトリオティズム」は僕独自の、イディアとしての民族理念、民族観、民族論に基づいて発想、構築されたものです。

普通、「民族」については、左右を問わず、「(資本制)国民国家」と一体、骨がらみに捉えられています。

この枠内で、「民族」を語れば、左翼は自縄自縛に陥ります。

僕の、民族論の核心は「(資本制)国民国家」論と切り離して、というより、それの批判を前提にして、「民族」を捉えることにあります。

1) 僕のパトリオティズムは、茫漠とした観念ですが、民衆、人間である民族構成員が、それぞれの自主性を尊重しあい、愛邦(くに)心、愛郷心、同胞愛をそのアイデンティティーの基本要素としていることは、見逃せない、基本内容です。

“パトリ”は、ラテン語で、“源郷”を意味し、民族の“基層”にある概念、コンセプトです。
 こういった要素から、日本人の良き伝統、文化に愛着し、以下の三つの要素と融合しつつ、民族の個性を活かしつつ、人類の国際主義文化を創出してゆこうと志向しています。

「幸福論」では、
イ: プロレタリアートら民衆中心(資本主義批判)
ロ: 人間尊重、民主主義尊重を、階級的規定性を持った、“人間の自主性尊重”をガイストに捉える。
ハ: 国際主義精神、国際主義文化の創造
の他の三つの要素との関連で、定めるとも書きました。

パトリオティズムは、レイシズム(エスノセントリズム)とは全く無縁で、これを批判する。この点で、天皇主義レイシズムやナショナリズムを批判します。ステイシズム、エンペアリズムを批判する。グローバル―ローカル、概してグローカリズムという言葉があるように、グローバリズムはローカリズムと対句の関連で成立しているわけですから、ローカル(地域)という言葉は、重要なコンセプトですが、単なるローカリズムや、フォルクシズムでは全くない。エコロジー思想との共通性をかなり持つ。

この、僕の「パトリ」論、「パトリオティズム」論は、初め、どういった言葉が適当かで、悩みましたが、松本健一氏の「パトリ」の用語紹介に出会って、これに示唆されたものですが、僕流にコンセプトを作り出し使って行き、姜 尚中(カンサンジュン)氏等多数の人が、使い始めました。右翼では、一水会が使い始めました。


2) 民族の規定に於いては、僕は、以下のように思っています。
a, 言語、文化を標章とする社会的関係性。血縁性はこれに従属する要素である。

土地、大地(自然)と人間を繋ぐ「食」を基底とする関係性がその基層に座っている。
b, 人間、民衆は、自己の自主性と福祉向上を目指し、動物の<群れ>から脱皮し、社会集団を創出してゆきます。

民族は、氏族→部族→部族連合、未完成だが、一応<国家を持つ><民族>→「国民国家」に総括される“民族”へと、社会(単位)を創造、自己脱皮してきました。
c, 「国民国家」に括られる「民族」は一時的で、限界があります。 「パトリ“民族”」は、これを超え、資本主義批判、プロレタリアートら民衆中心、また、人間の自主性開花で、「世界社会主義」、「世界プロレタリア独裁」、「世界同時革命」の行程に、同伴し、成長、自己脱皮して行ける“民族”です。

<パトリ民族>は、旧来の「民族」ではなく、<「民族」であって、「民族」でないような「民族」>といった言語矛盾的な概念です。

d, <民族>は、自主性を生命としますが、それは、それを構成する諸個人の自主性に立脚するものでなければならず、こういった内容での自主権を持たなければなりません。

諸民族は自主・平等、自主・共存、自主・共栄を求めるべきです。

e, 日本人のパトリティズムの“源郷”、“基層”は縄文であります。

そして、その内容は、遠く縄文に基層するも、他方では、現実の今の自分の民衆としての、民衆、人間の労働力再生産の場である、生活の場、場所、地域における人間的生き方としての自主性の中にあり、恋人、夫婦、親子、兄弟(妹)、友人等の関係性とその場所の中に現在的に発露するものである。



W.
反米<愛国(くに)>統一戦線について。

1) 僕は、以上T、U、V章の観点に立って、「パトリオット宣言」をやり、鈴木邦男さん木村三浩さん一水会らと共闘、<反米「愛国」統一戦線>作りの実験をやってきました。

又日本型ネオコンサーバティブを含む、保守反共右翼を、反米民族主義派へ、右翼民族派を左翼民族派へ、変えようとしました。

<一水会>系とは、いろんな、トーク、数度の9・2集会、米帝国主義のイラク侵略反対のイラク訪問闘争、朝鮮訪問運動、<白船平和義士団>らの、拉致、核問題での談判の訪朝運動等々らで共闘をやり、反米<愛くに>統一戦線の可能性を探ってゆきました。

反共・保守右翼とは、政治的、思想的、理論的には、全く、敵対関係にあるのですが、暴力的対立抜きの、論戦は、人民大衆の注目、監視、関心が集中していますから、僕の方がしっかりしており、向こうが、一目、置いて居れば、公開の論戦の機会はあるのです。

たとえば、日本文化チャンネル・桜との論戦、ある右翼経営者と組んだ「サロン」ら。「桜」グループとの論戦は、計4度おこなわれました。

このDVDを見てもらえれば、僕がT章の原則や、U章の基本認識にしたがって対処していたか、一目瞭然です。

2) 戦術としての新右翼、民族派との共闘関係、反共・保守右翼との対応について。

インチキ<民族派>、実は、超保守反動派との鍔迫り合い、他方での、新右翼の共闘、こんな試みは、誰にでもできるものではありません。こちら側の、自信、豪胆さ、思想的、政治的、理論的な力、いわゆる“プロレタリアヘゲモニー”の保持、威信がない限り、又これを受ける鈴木邦男氏ら受け手の「新右翼」のある面での柔軟さ、許容的な姿勢がない限り、成立しません。

左右の交流、共闘、統一戦線志向が、ある程度実現して行ったのは、戦前、大正期一度ぐらいにありましたが、戦後は皆無でした。

「冷戦期の終焉、アメリカ一人勝ち、アメリカ式グローバリズム、ネオリベ路線の世界と日本でのしょうけつ」の情勢も背景にあります。

左翼も、右翼もかつて一度も経験していないことを僕(等)は追求したものです。

統一戦線は、本来、提唱者の勢力が、単独では戦えないような民衆的の大きな勢力が登場した場合、放置しておれば、孤立してしまう危険が生ずる場合、組み手の相手もそう感じている時、民衆の利益のために団結が必要な時、行うものと考えます。

いわば、守勢、防御の階級関係の時に、必要とされる戦術です。

この戦術は、全くイディロギー、哲学、世界観、認識論、政治観、政治手法の違う、基本的には、普通の情勢では、敵対的関係にある、実際、過去には敵対し合っていたような勢力、潮流が、当面の一時代的情勢、局面で、力を合わせなければならない時、成立する政治方針、戦術だと思います。「市民主義派」潮流と、マルキストが共闘する<反ファシズム統一戦線>のようなレベルとは、全然、次元の違う対応が要求されます。

しかし、これをクリアーすれば、意外と上手く行き、階級関係の閉塞状況に、決定的穴を空け、階級関係を変えてゆけるのです。

この典型で、成功したのは、中国「抗日統一戦線」で、半ば成功し、最後の目的は、貫徹できなかったものとして、人民戦線や反ファシズム統一戦線があります。

日本では、この戦術は、90年代から、21世紀の初頭(2005年頃まで)、<朝鮮拉致問題>らを要にした、先に挙げた「冷戦期の終焉、アメリカ一人勝ち、アメリカ一極支配、アメリカ式グローバリズム、ネオリベ路線、日本型ネオコンサーバティブのしょうけつ」の情勢で、対米従属グローバリズムが圧倒的攻勢を誇っていた時期に有効でした。

この時期に、「自主日本の会」は、94年年末から95年に掛けて、発足し、一水会と反米愛「国」で共闘しました。

一水会は、「反米、民族独立、親アジア」では、一貫しており、これが、新右翼といわれる所以です。

先の「日本文化チャンネル・<桜>」などの、「反共・親米・反アジア」の保守反動、ネオコンのファシズム勢力とは、同じ天皇制護持を掲げるにしても左翼に対する対応は、全く違っているのです。

ここに、僕等と彼等の両者の間に<大同小異>論に基づいて、共闘する余地があったのです。

彼等とは、「反米・反安保」と、日本戦後史における「反・対米従属政治構造打破!」で一致し、これを「大同」とし、天皇制と戦前認識は全く違うことを互いに確認し、或いは、資本主義やマルクス主義に対する態度では、全く違うことを前提にし、或いは、民族論でも違うことを前提にし、これを「小異」として、共闘・統一戦線を追求したのでした。

意見の相違と論争、思想、理論闘争、政治闘争を、留保しつつ、行動の統一を崩さない範囲では、厳然と進めつつ、行っていったわけです。

時期的には、1995年頃から、2005年頃までの約10年間で、この関係は、朝鮮<よど号>グループと<連れてきた問題>で、塩見ら<自主日本の会>が、分離しても、影響を受けず、続いていきました。


戦術上の共闘関係の転換、試練。

しかし、イラクやアフガニスタンでブッシュ政権の政治が破綻し、アメリカの力が弱まり、アメリカの「一極支配」が、崩れ始めた2004年、2005年から、対米従属の日帝支配階級も、アメリカの庇護、従属は崩さないまでも、自分で、自力で自己救済の道を模索せざるを得ず、小泉政権の二期目、内部での安倍の反「北」、排外勢力の台頭の中で、対米従属下の中での、「日帝の<自主化>(<自立>ではない)」が出て来、安倍政権が、改憲を掲げて登場する段階で、僕等も、一水会も流動し、共闘、統一戦線の方針転換を問題にせざるを得なくなりました。

彼等は、<自主憲法制定>を、綱領に掲げていますから。

又、小泉の「改革」路線の矛盾露呈として、格差問題ら、経済、生活、労働問題が表面化してきます。こうすると、僕等は、何の問題もありませんが、労働者階級、労働運動に、どう関わりあうか、が彼等にとっては、試練になります。

この、段階で、僕(等)は、当面の緊要の政治課題が、<改憲問題にある>と判断し、2005年頃から、反改憲に重点を置き始め、2006年4月には、小川登さんの提起もあって、<9条改憲阻止の会>を準備してゆくことを最重要課題とし、<阻止の会>を結成に参加し、6・15から10・21闘争を闘います。そして、昨年、国会座り込み、6・15闘争、10・21闘争を爆発させてゆきます。

この方針を、関西でも呼びかけています。又清田さんの追悼会でも、呼びかけ工作をしています。

Kさんのデマゴギーや誹謗中傷はありましたが、そのシフトを打破し、僕(等)は戦ってゆきます。

2006年、10・21から、僕は<改憲阻止の会>のリーダーの一人に入り、K氏の<反塩見シフト>が崩れ、67年は、僕は発言力を増しています。

06年「4・28<沖縄デー>復活」の闘争を、ロフト・トーク(100名弱)、新宿デモ、60名ぐらいの塩見の呼びかけの実行委員会で、独自に貫徹もしています。

この過程は、安倍内閣打倒闘争でもありましたが、2005年には、急速に、小泉の靖国参拝を批判し、反天皇制、反靖国の論陣を前面に出してゆきます。これは「ぱとり」の諸論文に掲載されてゆきます。

一水会は、「自主憲法制定」を掲げてきたのですし、この点で、僕等への「反改憲」の運動についての態度は、動揺的で、加藤紘一氏宅焼き討ち事件で曖昧な態度をとったりしましたが、最終的に「安倍の対米従属改憲反対!」を明瞭にしてゆきます。

2007年には、成島忠夫選挙での「新宿10万人集会」には、公開憲法論議に「鈴木・木村両氏」が参加してきています。

2005年から、2006年は、一水会との共闘関係は、転機を迎え、解体化しつつも、一応続いていますが、僕の活動の力点は<9条改憲阻止に会>をメインにしたものに変わってゆきますし、「改憲阻止」が、両者の基本課題に、なって行っているわけです。

僕は、戦術上、路線転換をしますが、それは、情勢の転換に対応するもので、もともと反改憲論者で、反天皇主義者で、民族論では、パトリティストですから、全然、スムースに、それは可能でした。

僕を支持し、行動をともにする人は沢山いらっしゃいます。

相当の全都での影響力があり、僕を支持する人は一杯居り、その人達は、僕のウェッブ、電脳ネットや時折のイベントや集会、実行委員会方式での大衆行動で繋がっており、従来の<組織中心型>の戦い方ではなく、ネットワーク型で闘えるフレキシブルな関係になっています。

囲い込みの、団子ではなく、闘ってゆける構造になっているのです。 「自主日本の会」を中心にしなくとも、僕の思想、政治、考え方は、長年やっていますから、古い層だけでなく、若い層にも、底深く、浸透し、アトモスフィアとして、漂い、東京・関東圏に、ゼラチン上に存在しているわけです。

こういった環境、方式で、運動を起こす力量を持っていますし、思想、理論、政治闘争をやり切れます。

日向派、荒君の、全体重を掛けたデマゴギーの誹謗中傷に潰されず、逆に彼の方が倒れたことを考えてください。

僕の周りに、指導的骨幹を、適宜整備することもできます。

この辺のことが、関西の人々には、理解できてないところがあり、僕が孤立しているように思われがちなようですが、この認識は誤っています。

こう言った、組織中心の囲い込み的な勢力、影響力の認識基準は、僕には通用しません。

又、時代は、こういった旧来の「組織・<党>中心」型の<囲い込み>方式の運動論を全く、寄せ付けなくなっています。

Iさんは、貴方はこのような、基本的時代認識が、未だ出来きれていないのではないでしょうか。

東京にも、ポットでの古い活動家が、こういった認識で、僕につっかかってくることもありますが、その人は、運動の実際を知らない人で、認識を改めます。

なお、僕は、2005年情勢の局面転換を分析、把握し、岩田吾郎氏の呼びかけの<中嶋さん追悼集会>に参加し、「ツインメルト左派の潮流の結集」を提出し、フリーター全般労組とも親交を結び始め、「日本赤軍」の弾圧者の救援を、若生さん、重信さんら「日本赤軍」の弾圧者の救援に力を注いで行っております。

これは、丸岡さん、浴田さん救援の延長ですが、僕自身の情勢把握―方針・路線転換を見越してのことです。

こういった、対応は、T章の基本原則をしっかり、持っているからできるのです。


(「下」に続く)

塩見孝也