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初めて、少し現実的対抗力を持った映画
「ALWAYS 三丁目の夕日」
「ALWAYS 続・三丁目の夕日」
について

2007年11月14日

塩見孝也

1.「三丁目」と僕との出会い。

この映画が、良い映画であることは、ずっと前から知っていたが、見る機会を得ず、やっと本年6月ごろ、「ALWAYS 三丁目の夕日」のDVDを見ました。 大感激しました。

そして、10月ごろの、病気療養の際、僕流の映画評を書こうと思い、もう一度見直しました。

11月始めには、封切られた「ALWAYS 続・三丁目の夕日」も見ました。

良い映画は、いつまでも、人の心に残り、テレビでも幾度も放映されるものである。

そのためか、「ALWAYS 続・三丁目の夕日」も大きく、話題になっていました。テレビや街角のそこらじゅうに「三丁目の夕日」が大氾濫しているのですから、苦笑します。
 
僕の入った映画館は、封切り初日も手伝ってか、満杯でした。

僕の左横席には4人の女子学生(高校生か?)がつめ、右横席は50代の婦人がいらっしゃいました。

映画館には、普通一人で行きます。そして、いろんな人がいらっしゃるのですし、映画への関心も違い、多少は緊張もします。

暇つぶしに、入ってくる人だっています。

それに、その時は、周りは女性ばかりである。

行儀の悪い僕ですから、普通以上にかしこまっていたのですが、しかし、映画が進行してゆくにつれ、僕の緊張はほぐれてゆきました。

見も知らぬ女性、女の子や婦人と僕の反応が同じでしたから。

僕は、それに気づき、安心感と親近感を覚えたのです。

少し、嬉しくなりました。

この人達と僕には、「ああー、この人たちとは共通の前提があるのだ」「この人たちは、身も知らない人達ながら、この映画に、俺と同じ思いを込めて来られた、この映画の同好者達なのだな」と。
 
この場合、もう少し、客層も違い、高雅な感じですが、「寅次郎」が、ある種の同種の客層を集め、映画館が、一体的雰囲気に、包まれるのと同じ感じなのでした。

若い人を中心に、満遍なく各世代の人が来られていたと思う。

この続編を観に来られた人たちは、茶川(吉岡)とヒロミ(小雪)の、「前作で、余韻を残したままの、未完のままであった恋が、どう展開して行くのか」を、最大の関心事にして、あの時代、50年代末の「3丁目の人々」が醸し出す、ほのぼのとした人情をもう一度、味わいたい、と出かけてきたのであろう。

前作には、及ばないにしても、やはり、期待に沿う良い映画であったことは確かである。


2. 「三丁目」の思想上の骨、本質、基調とは?

この映画、前作が、名作といわれる由縁は、いくつもの要素が合わさっているからであろう。

第一に言えることは、あの時代を生きた民衆、庶民の思い、想い、感性がそのまま、といっていいほど、如実に映像化されている、ということであろう。

「人間の、生き様、価値、幸福は金ではない。幸福は、各人、各人の愛、そして、人々の〈大概は家族であるが〉の共同、協同、協働の情愛関係の絆の中にある。」ということを、真正面から、手練手管なく、愚直なまでに謳い上げていることではないだろうか。
 別の言い方をすれば、「それを保障しえるような可能性が、当時の時代には、ある程度、孕まれていた。」ということを、臆面もなく、これでもか、これでもか、と思えるほどに、謳い上げていることです。
 
一応、純朴で、「貧乏で、狭いながらも、楽しい我が家」「助け合う近所、町内の共同体性」が、ある程度とは言え、感じられた時代であることを、人々に感じさせるのである。

日本人の良き習俗としての、助け合い、地域の共同性、協同性が、戦前とは違った意味合いで、継承されていたのである。

それを、映画のキャッチコピーは「あの頃、日本には、忘れてしまった<心>があった。」と触れ込んでいます。
 
映画の主人公達は、みんな貧乏な民衆である。
 
一度は芥川賞候補に挙げられながら、今は「駄菓子屋」を営みつつ、少年雑誌に売文しているが、未だ「純文学」の理想、夢を捨てない当時のインテリの典型のような茶川、親の病院費で借金を積み重ね、「酒処」のマダムから、踊り子に転進せざるを得ない薄幸ともいえるが,めげないヒロミ、ヒロミは三丁目の猥雑な世界からボヮ―ンと浮かび上がってくるような、「掃き溜めに鶴」のような美人である。
 
小雪は、この「ヒロミ」の存在構造をいやがうえにも、イメージアップしているのである。
  
母に捨てられて、その母の友人、ヒロミを介し、茶川の世話になり、段々に、親子のような情愛関係を得てゆく淳之助、小さな自動車修理の町工場を営む剛毅な鈴木とその夫をひたむきに支え、息子に限りなく優しい妻、その息子、やんちゃな一平、そこに、段々に溶け込んでゆき、鈴木一家の家族のようになってゆく「集団就職」で上京した六子〈むつこ〉、通称「ロク」ちゃん、町医者、タバコ屋のおばさん、飲み屋にたむろする面々である。

しかし、みんな貧乏人でありながら、誰も希望を持ち、それぞれの人間関係の絆を大切にし、助け合い、そういった関係性に満足し、それが「幸福である」、と思うことに疑問を感じなく、自足・自得している人々である。

確かに、朝鮮戦争もあり、「政治の逆コース」、あるいは、茶川が貶す、石原慎太郎の「太陽族文化」も流行り始めていた。

次の時代を予兆させるような、資本主義的成長の、ある種の頽廃、悪、暗い部分も胎杯して行きつつあったし、それを、摘発し、真正面から闘おうとした、ブントら新左翼の戦後青年たちの革命的な急進主義運動も、丁度この時期に、既に誕生していた。

しかし、大局から見れば執権勢力すら「憲法」をないがしろに出来ず、資本主義を高度成長に持ってゆこうとしても、民衆の要求、感情を無視し得ず、その人々の協力を得なければならず、彼らもまた戦後の再出発の原点、「憲法」と「戦後民主主義」―「平和と民主主義、より良き生活」を信じていた時代である。
 
このような、時代が、終焉してゆくのは、70年闘争における民衆側の敗北をもって、民衆の協力なしに、否、民衆を抑圧し、奴隷化しつつ、資本主義が、高度成長、「安定成長」し、同時にグローバル化し、ネオリベラリズム(新自由主義)路線が、徐々に80年代、制覇し始めてからのからのことである。
 
このようにして、展開された、資本主義的成長のドン詰まりに至って、破局に瀕しつつある、日本社会の現時点から、戦後、日本資本主義とその社会の推移を回顧してゆけば、50年代は、民衆にとっても、生鮮さと活力を秘めた「古き良き時代」と間違いなく言えるのである。

今の時代は、あらゆる面で暮らしにくく、希望がない、行き詰まった社会であり、50年代と比べれば、はるかに、悪い時代である、とはっきり、言ってよいと思う。

「今は、小さな町工場だが、自動車は、これからどんどん増えて行く。大きな自動車工場にしてゆく」と「鈴木オート」が言うごとく、いろんな意味で、あの時代は、未来があり、前向きに生きて行ける、と言える、まだまだ、民衆が中心となっていた時代であったろう。



3. 映画の根元に存在する団塊の世代、漫画家、西岸良平。

この映画を考えてゆけば、原作の特徴が、この映画全般に強く、影を落としているように思える。

VFX(Visual Effects:視覚効果)といわれる、CG(コンピューター グラフィックス)と特撮の技術を合流させたような最新の映像技術が巧みに「1950年代〈昭和30年代〉」を再現して行っていることは確かであろう。

しかし、おさえておくべきは、やはり、原作の比重ではなかろうか。

原作が大幅に変えられている、という話しも聞きますが、僕は、何故、あれほど50年代が、思い入れられ、これほど、細部にまで映像化されているのか、それが、観客のノスタルジーを「国民的規模」にまで、掻き立てているかを考えた場合、それは、VFXの技術の面では、“64年生まれの監督、脚本家、山崎貴の才質に負う事は明らかですが、その根元の思想性と考証性となると、それは、団塊の世代、”47年生まれの原作の漫画作家、西岸良平に負うところが大きいと思うのです。

彼が、根元にいなくしては、淳之助や一平達の紙飛行機飛ばしやフラフープ遊び、あるいは駄菓子屋でのくじ引き遊びなど、あるいは、当時の、映画では「少年冒険王」に名前が変えられているが、山川惚治、小松崎茂が活躍した「少年」「冒険王」「少年クラブ」らへ、少年時代、僕等がどれほど熱中したかが、あれほどリアルに映像化できなかった、と思う。

自分の「21世紀の空想」が、茶山によって、「盗作」され、掲載されたことで、彼の顔がくしゃくしゃになる様な淳之介の喜びよう。

彼の姿は、当時の僕等そのものと言えます。 

あるいは、ロクちゃんが、仲間の女の子たちと「集団就職」で職安の職員とともに降り立つ上野駅の風景など。当時、中学を卒業した彼女たちは、「金の卵」として、資本に優秀な労働力として謹重されただけでなく、社会全般でも、「社会活力の星」として、もてはやされ歓迎されていたのである。

そもそも、東京タワーへの思い入れ自体が、団塊の世代の想いといってよいのである。

これらを、“生産力主義への無警戒な賛美”とだけで、切って捨ててはならない、別の評価の観点も必要なのである。

これは、僕等の世代の西岸を抜かしては、山崎のみで為せることではなかった、と思う。

彼は、このテーマで「三丁目の夕日」を1974年頃から、現在に至るまで、700回も書き連ねてきた人なそうな。

広範なファンを持ち、この世界で、いくつも賞を取る、今も大人気の漫画作家である。
 
僕は、彼が、全共闘運動に参加した人であるか否かは知らないが、――もしかしたら、僕等と対立した人かもしれないし、僕等の運動から全く超然としていた人かも知れない――彼は、紛れもない、団塊の世代である。

又、この原作を読んではいませんが、彼が、敗戦後の「50年代」日本を、未だ、日本民衆が「平和と民主主義、より良き生活」を信じ、生きた、敗戦後の50年代日本を良き時代として、心底から賛歌してきた人であることも推して知れます。

西岸に起源があるならば、――どう見ても、僕にはそう思えます。

そして、そうであるなら、この映画の思想性は、世代の違う西岸と山崎の思想上の合作として、僕は大いなる評価を与えます。
 
西岸と少なくとも、それを素直に、吸収し、彼流に消化した、山崎とは、17歳も違う。

しかし、二人が、変革の問題を、天下国家を論ずることや革命路線や理論、あるいは革命党などの「大状況」、「大きな物語」に置く前に、何よりもその内実、つまり、民衆諸個人の具体的な人間的生活、その要としての人間の命とそれを輝かせる人間の自主性、そして、その核心としての民衆の愛や幸福へのひたむきな願い、日本人に、特に顕著な自然との一体化、共生要求、らに置かなければならないことを認識していることにおいて全く共通している、ことは確実である。

そして、それを、正面から、それを臆面もなく謳いあげていることにおいて、二人はこの映画において、映画芸術の上でも合作していると言えます。

それで、この映画は、現在の日本民衆の心に、染み込み、深く入って行っている、と思う。
 
この文を書いた後、西岸と山崎の思想的関係が如何なるものかに、関心をもち、調べてみました。

西岸は「三丁目の夕日――夕焼けの詩」「鎌倉ものがたり」などで、「西岸ワールド」を確立したほどの人であった。

彼の独特の漫画を、この僕の生活周辺で、チョコチョコ、見かけたことがあることを、今にして気づきました。

これまで、彼が庶民にどれほど愛されていたかを、僕が気づかなかっただけのことでした。

彼が書いた「三丁目」のイラストも見ましたが、一目で、当時生まれていなかった、山崎すらが、しっかりとイメージでき、僕等の世代なら、共通に思い浮かべられるものであった。

彼が、「三丁目」で生きる人々の逸話を一編、一編書いていたのですから、それを基本ベースとすれば、「スターウオーズ」や「未知との遭遇」などを見て育ち、最初、映像技術者として出発しようとした山崎すらが、しっかりした内容を持った物語構成で、「三丁目物語」を組み立ててゆくことは、彼の才質を持ってすれば、割かし、簡単で、安心してやれた、ものと推定できる。

もしかすると、プロデューサーなどが、「西岸漫画」のヒットに当て込んで、VFXの得意な山崎に、それではお前、作ってみろ、と言われ手懸けて行ったのではないか、と思ったら、そのような経緯を、「結局、作ってゆくうちに別のものに仕上がっていった」と付け加えつつ、彼がインタビューで語っていたのを見かけました。


4. 40歳代の山崎監督から見た「50年代」とは?

僕は、映画のベースにおける思想性と考証性において、原作を無視し得ないと言いましたが、この映画的出来栄え、成功性が、脚本おも書いた監督や俳優陣、スッタッフらによる、全く独自の創造的な映像作品である、ことも、同時に、強調しておきます。

原作と映画は別物である。それは一重に、原作を独自の人間認識、思想性をもって組み立て直し、シナリオを創作し、映像化した山崎貴やその構想で存分に才を発揮した俳優陣、スタッフらのなした業である。

思い入れられた、「50年代」へのイマジネーションは、17歳も違う年下の世代からのものに変わっており、それが、山崎が得意とするVFXも手伝って、完全に、ある面で、異質の創造物、別の悠揚たる「50年代ノスタルジー」作品にリメークされている、と思う。

それが、より波及力、浸透性を強めていったのであろう。

僕は、彼が、この世代なりの独自の感性と言葉で、受け止めていることを、彼のインタビューの中に発見しました。

「ある種の“エコ”社会であった」、「冷暖房で均質化された社会とは違い“暑い”“寒い”に、は<暑い>は、<暑い>なりに、<寒いは寒い>なりに、創意工夫しつつ、人々は生きていた」、「金中心の社会ではなく、<近所付き合いが大切にされた>社会であった」、そして「人々の幸せ度は今の社会より、相当、高かったのではないか」と述べています。

エコ”社会という言葉を使っているのが興味深かった。

彼は、山田洋次がそうであったように、落語好きらしい。

「下町の人情の機微や喜劇性」を理解できるような人で、一面、超モダンであると同時に、他面では、伝統を愛する人のように思えます。

西岸の個別な諸各編を読み込みつつ、「西岸ワールド」を、壊すことなく、学び、継承しつつ、それを茶川とヒロミの物語を機軸にして、再構成、彼独自の総合化した脚本を持って、きわめて懐の深い、映画・「三丁目の夕日」を作り上げて行ったのであろう。

山崎は、この映画を作ることで、随分と成長して行ったのではなかろうか。

このような監督の器量と原作と「西岸ワールド」があれば、スタッフは縦横に活躍でき、俳優たちは思う存分演技してゆけたのではなかろうか。


5. 戦後映画史に残る、白眉の、茶川〈吉岡)とヒロミ(小雪)の恋の掛け合い。

茶川とヒロミの恋の展開、道行は、この映画の幹〈幹〉であり、その情愛表現が、映画の限りない生命力、牽引力をなしている。

それは、「酒処」で、二人が出会い、ヒロミが、茶川に淳之介の世話を頼み込むところから始まる。

ヒロミは、飲み屋のマダムなりに、茶川に、お酌をしながら、科(しな)を作りつつ、にじり寄り「先生、先生」と呼びつつ、頼み込むのである。

「おんなの武器」の発動である。
 
決め手は、「私も、先生のところに、時々手伝いに行き、カレーなど作ってあげる」である。

人の良い、茶川は、これで、ひとたまりもなく籠絡され、「お前など、何の縁もない赤の他人なんだぞ」と、淳之介に悪態をつきつつ、連れて帰るのである。
 
此の時の、二人〈吉岡と小雪〉の仕草が面白いのである。
  
次に、ヒロミが、約束通りカレー作りに出向いたおり、ここで、「鈴木オート」のロクちゃんのことをめぐって、鈴木が、茶川のところに殴りこんで来、茶川が、侠気(おとこ気)を発揮し、ロクを守るべく、非力ながら、鈴木に立ち向かう事件が勃発したりする。
 
ヒロミがこの茶川の人格に好意を持ち始めてゆく事件である。
 
茶川のところに、淳之介の実の母の所在が分かり、相談にいったりすることを挟みつつ、ヒロミが結婚を仄めかし、茶川が、即座に対応できず、もたもたしつつも、喜ぶ、くんだりへと、この道行きは展開して行く。
 
この時の小雪の仕草、せりふが実に、最高に決まっているのである。 “女心”の展開が、秀逸なのである。
 
これは、戦後映画史に残ること確実なほど、秀逸なのである。
 
これには、しっかりした第二の伏線の事件の展開がある。

それは、母の所在を知った淳之助が、一平と高円寺の饅頭屋に尋ねて行き、夜遅くになってしか、帰って来れなくなり、茶川とヒロミ、鈴木家の面々は心配で大騒ぎをし、遂に、いたまれなくなった茶川が鈴木に実の父親まがいになって、愚にもつかない何癖を着け、「ロシア文学も読んでない奴」「戦争にもいってない野郎」と、全く俗世間離れの言い合いをやり、喧嘩をし始めたりする。

一転して、「冒険」の後、草臥れきって、帰ってきた、二人の少年に、二人は父親として、叱りつけるのである。

茶川は、「こんなに心配させて、どこに行っていたのか」と叱りつけ、感情が激し、純之助を叩く。

親子なら、自然に発露する「愛の鞭」である。

これに、感激した淳之助は、泣きながら事情を説明し、二人は実の父子の如く抱き合うのである。
 
そのような茶川をヒロミはじっと見詰めていたのである。
 
そして、淳之助が眠った後、脇の茶川に、サラッと言う「愛の告白」が、最高に良いのである。
 
ここなのである。良い映画には、必ずといって、一つか、二つ、圧巻部分がある。それがここなのである。
 
「母親が恋しいんだよね。やはり、淳之介は、まだまだ子供だわね。今日の先生は、実の父親のようだったわよ。私、淳之介のお母さんになろうかな」

一呼吸置いて、
「ねえー、先生、一緒にならない。父親と母親が出来たら、淳之介はきっと幸せになるよ」
  
びっくりし、オタオタシ、即座に対応できず、じっとヒロミを見詰める茶川。

「何を真剣に考えているのよ。冗談よ。先生だってこんなあばずれ、嫌でしょう。私だって、こんな、駄菓子屋なんか嫌よ」「サー、お店に帰ろうかな」と言い、帰り始めるヒロミ。
 
茶川は、地団太踏みつつも、鼓踊りしたいくらいに喜ぶ。ここが、圧巻なのである。
 
そして、恋の大団円に移って行くのである。
 
この間には、クリスマスのサンタおじさん達の茶川、『先生』、ヒロミ三人の淳之介へのプレゼント騒動やヒロミに送る婚約指輪を張り込むための、茶川の原稿料の前借り行動や鈴木への借金事件があるのだが、それらが、一しきりし終わった、三浦友和の『先生』も帰って行った後の飲み屋でのことである。

「先生、なにをしているのよ。(お酒が)冷めてしまうわよ。早く、こっちに来なさいよ。」と、表で、もじもじしている茶川に酒を勧めるヒロミ。

入ってきた茶川は、緊張し、チョコをいきなり4杯も5杯も立て続けに飲む。

「先生、何なのよ」「もう、はっきりしなさいよ」

「実は、あんたに話しがあるんだ」「あんたは、俺と一緒になったっていいよ、といったよね。」

「その―」と口籠りつつ、「俺も、その―」と口ごもりつつつつも、「俺も、家に来てもらいたいんだ」と遂に言い切る茶川。
 
今度は、ヒロミの方が、はぐらかそうとする。

「なーんだ。そのことなの。もう忘れてしまったわよ。」と、ヒロミは内心の動揺、喜びを隠しながら、飲み屋のバーの応接側に場所を移してゆく。

茶川は、指輪が、未だ入っていない空箱を差し出し「申し訳ない。金がなくて――.そのうち指輪を送るから―」
 
ヒロミは、心の奥底で、静かに決意したごとく、じっと茶川の顔を見詰めつつ、「さー、はめてよ」そっと指を差出す。
 茶川は、そのヒロミの、細長い指に、指輪をはめる振りをし、ヒロミは、あたかも指輪をはめられたかのごとき振りをするのである。

外の「三丁目」には小雪がしんしんと降っているのである。

この後、茶川にも言わず、ヒロミは、借金のために「酒処」を畳み、踊り子に転進してゆく。

エンディングのところで、ヒロミが、ダンス舞台がある建物の屋上で、送られた空の指輪を持ちながら、今は虚である、嵌められた指輪を日に照らして、凝視しているシーンが、ロングショットのカメラで映し出されて行く。

実に余韻が残る、のである。


6. 俳優たちや映像論、続編、その他について。

監督は、このヒロミ、茶川の恋の道行きに凝集する、思いやりに満ちた情愛関係こそが、50年代の庶民のそれであることを、茶川と淳之介の関係を中心に、大小の情愛関係を、配置しつつ、ほのぼのとしたストーリーとして完成させている。
 
ことに、淳之助が、実の父で、金持ちの須藤に、嫌々ながら連れて行かれ、始めは我慢していた茶川が怒りだし、追って行き、淳之介も引き返し来、ガッチャンコし、抱き合う場面は洋画「チャンプ」と似通っているが、見事に感激的なのである。

ロクが正月に郷里に帰ってゆく事件での、曲がりくねったいきさつも素晴らしい。
 「鈴木オート」における4人のそういった情愛関係、この映画で、重要なアクセントを為す二人の子供の友情関係、鈴木と茶川の「「鈴木オート」「文学」と呼び合う友情関係、絡み、喧嘩は「柴又」、寅さんの演じる喧嘩劇を超えて、絶妙なスラップスティックをなしている。

多分、これらの幹〈みき〉の部分から枝葉にいたる細やかさは、西岸漫画の各章から取り込んだものであろうが、実に細やかで濃密なのである。

こう言った人間関係の集積として「50年代」の「在りし良かりし時代」が、映像化され、自然に、圧倒的迫力を持って、観客を掴んでいっているのである。

人々に、映画は、映像で語りかけ、「50年代」の記憶を蘇らせ、想像させてゆく。
 絵や詩、小説、音楽、あるいは、僕のような理屈っぽい批評を、ストンと超えてゆく。

そこが凄い、のである。

各俳優の演技はそれぞれに壺を心得ている。
 
なぜなら、原作の自分が受け持つ章を読み、巧みな監督の指導があり、そして絶妙に設営されたセットがあるのである。
 
吉岡、小雪、堤、薬師丸、ロク、二人の子役、各俳優は、自分の役柄に没入できるのである。

吉岡とは、僕は、彼が子供の頃からの『山田映画』以来からの付き合いである。彼は、30代に至って、この映画やテレビドラマで「Dr.コトー診療所シリーズ(2003〜06年、フジテレビ) 」などで、着実に芸域を広げつつあるが、ここでも、彼は、30代の「純文学屋」を見事に演じている。
   
小雪は、ある種の天才的な、スケールの大きい演技者である。

ここでも、下町、底辺を蠢き、苦節に年から年中、追い回されながら、それにめげず、ボワーンと、にび色に輝いているマドンナを抑え気味に演じる。

堤は、軽妙で豪快、しかし思いやり深い、町工場のオヤジを演じている。恐らく、この役どころは、彼にとって、吉岡と好一対の関係を得て、新しい役どころとなっているのと思う。彼もまた、新境地を拓いているのである。

薬師丸も非常に良い味を出している。
 
役者は、年齢を重ねるに応じて、自分らしさを出しながら演技を磨いてゆかなければならないが、ここでの役者さんたちは、それを「水を得た魚」のように、縦横にこなしているのである。
 
「三丁目の夕日」は、あの時代とそこで活きる充足性があってこそ、詩となって、人々に迫ってくるのである。
 
映像もまた、主観的に、「客観的実在」としての対象を、カメラなどの映像技術を通じ、主体的に、目的性、主観に応じ、切り取りながら対象化し、主体に応じた世界を映出してゆく。

「客観的実在対象」は、確かに、主観とは無関係に実在している。しかし、人間は、それを「客観的」に知ることは、出来ないし、また、それでよいし、かつそれ以上は必要なく、それで十分なのである。

「客観」と「主観」という二項概念での、「客観」は、決して、直接の「客観的実在」の反映ではない。そんなことは、永遠にあり得ないし、それは、人間にとって、必要ないことである。

人間が、社会を構成し、そこで生きてゆくために、必要とされる約束事を整理してゆくための、哲学上、人間が発案した概念と考えられる。

それは、その時代の社会で共通に確認される共同主観であり、やはり「主観的」であることを、免れ得ないのである。

あくまで、必要とされる事柄は、人間の要求とその向上を目的として、それが実現されることにおいてである。

確認しておくべきことは、あくまで、「人間にとって」であり、そうである限りにおいて、であり、それで、「人間にとっては、それで十分」なのであること。

この意味で、「客観的な真理」もまた、歴史的、社会的産物であり、常に、「人間中心」という観点から、批判的精神で吟味されてゆくべきである。

名画が、映し出し、我々が感動する、その「世界」、映像は、何よりもこのことを明瞭にしている、と思う。

スクリーンに反映されたものは、確かに「客観的実在性」を反映しているにせよ、あくまで主観的、ないしは共同主観的なものである。

「三丁目の夕日」が、美しく、詩となる理由は、他でもない「三丁目の人々」が幸せで、充足しているからであり、もう一つ、また、その奥で、映像者が、目的意識性を持って、充足して、そう捉えているからなのである。
 
「続編」も又、その思想性を、前編から、確かに継承し、「三丁目の人々」の闘いは、明白に金持ち(資本)、須藤に置かれ、ヒロミは絡んでくる金持ちの旦那との訣別の戦いをやらざるを得ない。

その「闘いの武器」は、茶川の「純文学」という名を冠した、実は、人々の、情愛、情誼への夢である。

茶川は自分とヒロミの恋の道行きを中心に、二人を取り巻く「三丁目の人々の物語」を小説化しているのである。

彼の言う「純文学」は、こういうものであった。
 
前編以上に、人々の協同性も高まり、鈴木はリーダーシップを発揮してゆく。

ここでは、新たに「銭湯」が登場し、「新幹線」や「羽田飛行場」も登場し、完成した「東京タワー」も登場する、前編から4ヵ月後から始まる「三丁目」である。

映像技術も、さらにアップしている。

又、親戚の詫間の娘である、女の子も登場し、一平や淳之介と仲良しになりながら、「金持ちの家のお嬢さん」性を克服してゆく。

ロクちゃんのボーイフレンドも登場し、映画が、国民的規模であれるよう各種のサービスが施されてゆく。

俳優さんたちも、要領が分かり、乗りに乗っているが、少し、やりすぎの感は免れない。抑制的であるべきであろう。
 
映画全体にも、「ロッキー」や「ランボー」がそうであったように、もう、「続編」ともなれば、一工夫要った、と思う。やや安易な作りであろう。

又、最初に、ゴジラが「三丁目」に登場するのだが、これは明らかに「寅さん」シリーズを参考にしている。山田洋次の映画の影響は、山崎にずっと前からあったことが分かる。

前編を越える期待は果たされず、前編に及ばないにしても、期待を裏切らない、良い映画であることは確かである。



7. 観客が感じるノスタルジー、「50年代」リバイバルの意義について。

映画から、観客が何を感じ、どのように思い入れし、どのような想像をするかは観客の自由である。

しかし、名画は、その個々性を踏まえつつも、常にその時代の共通の感性、共同主観を必ず反映する。

この観点からすれば、この映画は、日本民衆の共通感情が、奈辺にあるかを、それが、「50年代」への憧憬、ノスタルジー、リバイバル感情としてあることを明白に示している。

もう少し、踏み込めば、それは、今の日本社会、日本人、日本民衆の物心両面での貧しさ、生きずらさ、不安さ、先き行きのなさ等の、無意識の反映であり、そして、今の政治への民衆の批判、抗議の意識が、「50年代」への憧憬として、憑依している、といえるのである。
  
少なくとも、僕には、こう、想像力をたくましく出来るのである。

もう、戦後は62年目である。
 
僕等の最大限の理想は、そうであるわけが無いが、さし当たって、62年間を振り返ってみた場合、日本民衆、日本人が思いつくのは、この期間で、一番良かったのは、この「50年代」であった、というわけである。このことは、十分了解できる。

日本民衆は、戦後の原点、出発点を、「40年代後半ば」ではなく、現在、「50年代」に置いた、ということである。

僕には、これには、相当の根拠がある、と思う。

「40年代」は、戦争とその反省、否定、革命の大きな振幅を持った激動の時期である。

「50年代」は、それが、一応収まり、「憲法」が徐々に定着し、戦中、戦前派を越えてゆく戦後派が、徐々に登場してゆく、資本と労働の激しい闘争が存在し、そこにはいろんな問題が孕まれていたとはいえ、憲法を機軸に、社会が、前向き、民衆中心に、活力を孕みつつ調和されてゆく時期である。

日本社会が、90年代から行き詰まり始め、人々や政治は、グローバリズム経済、ネオリベラリズム社会の中で、弱肉強食に晒され、拝金主義、個人利己主義、低水準な快楽主義に陥り、新しい質の貧困が蔓延している。

そして、日本人、日本民衆が、決して踏み越えてはならない、ネオ国家主義、ネオ軍国主義が台頭し、戦前への礼賛が為され、戦後の価値規範である憲法9条の改定まで策されるところまで来た。

このような時期、さし当たって何が規範とされなければならないか、が明らかにされるべきである。

それが、「日本国憲法」、なかんずく「憲法9条、1,2項」であるが、そのことが、真面目に、生鮮に堅持され、一応時実行されようとしたのが「50年代」と言って良いのである。

映画の世界でも、決して意識的とはいえないが、「男たちの大和」や数々の「特攻隊映画」ら、戦争映画などを、抑えつつ、「三丁目の夕日」が登場してきたのである。

又、日本民衆は、他方で、これらの映画と、全く類を異にし、「戦後民主主義」を「虚妄」となじらないながらも、「今会いに行きます」や「黄泉帰り」のような、空想や宗教的世界への逃避の弱点をもった、あるいは、「涙そうそう」の諦観と「現実主義」の折衷の弱点をもった、「美しさ」と「人間の優しさ」を強調するには、人後に落ちないが、結局は、現実の苦しさと向かい合わず、それとの闘争を回避する「名画」おも超えてゆくものとして、相当程度、リアルに、現実にカウンターパンチを浴びせるような映画を登場させたのである。

最近、黒澤明「天国と地獄」「生きる」「用心棒」とかのリメイク映画ら、この時代の諸文化がリバイバルしてきている。

この現象は、民衆が、社会と政治に危機意識を抱き、日本近代史、現代史において、どの点、どの時代を持ち上げてよいか、持ち上げてはならないかを、余りに社会と政治が混迷しているが故に、自分で、選択し始めたことを意味し、それは良い方向、健全な方向に向かっていっていることを意味する。

僕等は、このような、流れを、映画、文化の世界でも、どんどん押し進めて行くべきである。

僕等は、この「三丁目の夕日」などを、差し当たっての一つの拠点にしつつ、力ある民衆のカウンター文化を創出してゆくべきであろう。


〜 以 上 〜