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小沢一郎の辞任劇について

2007年11月7日

塩見孝也

1. 11月4日、小沢一郎が、「突如」、民主党代表を辞任することを表明した。

「政界再編屋」「壊し屋」とか言われる「彼の“わがまま”が、又出た」の論評など、メディアら一般の評価は全く不評であり、僕も、非常に不愉快に思った。

この辞任劇を喜ぶのは、言うまでもなく、現与党勢力、自公の福田政権であり、アメリカであり、決して日本国民、民衆でないことは明らかである。

一体、あの辞任表明の記者会見で、民衆、国民に対するお詫びの言葉が一言でも出たであろうか?

一言もなかったと思う。

「自公政権打倒!政権交代!」を支持し、民主党に一票を投じた人々にとって、いまさら、突然「大連立」など持ち出されても、極悪の公約違反以外の何者でもない、と映るのは当たり前であろう。

「君子は豹変す」の格言は、普通中国では、肯定的に理解されている。

「情勢の変化に合わせ、過去の主張にこだわらず、現実にあった対応をする、賢明、叡智のある行動をとること」の謂いである。

日本では、両面で使われている。どっちかといえば、否定的に使われる。

否定的には、「無節操」で「主張を、その場、その場で変えてゆく、ある種の理屈をこねくり回しつつ、人を裏切る無責任な人物」の謂いである。

僕等は、この際、迷うことなく、この格言を、否定的に使うべきであろう。

「9条改憲反対」の反改憲闘争を真剣に闘って来た勢力からすれば、一種の「裏切り行為」と言われても仕方がないであろう。



2. 小沢一郎とは?

その党の代表者である人物が「(連立など考えない)民主党は、政権担当能力がない。」「選挙に勝利することは、出来ない」など、平然と手前勝手に、己の党をこき下ろし、非難するのである。 なんと、身勝手極まる言質であろうか。

僕は、民主党支持者では全くないが、人間として、政治家の人格性において、まったく、あるまじき言質といってよい、と思うし、小沢を批判する民主党員の気持ちは良く理解できる。

「(彼、福田が)国連中心主義でしか、自衛隊は海外派兵しない。場合によっては、新テロ特措法も提出しない」と約束した、などが、「連立」の証左らしいが、一体、このような、単なる非公開の場での口約束が、どうして、公の政治、といえるだろうか。

民衆不在で、政権をたらいまわししてきた、55年以来の、自民党一党独裁時代から、ずっと体質化してきた、民衆を愚弄し、引き回すことだけを本分とする、ふやけきった、インチキ政治、自民党政治家お得意の「密室政治」「談合政治」以外の何者でもないのである。 

さらに彼は「自分の組織、“党”から、連立路線を批判されて、不信任された」という。

それを、「自分の不徳の致すところである」というのである。

こういった言い分も、また、まるで、駄々っ子の、全くの「わがまま」以外の何者でもなかろう。

「不徳の致すところ」というのであれば、これまでの「自民党幹事長」→「新生党」→「新進党」→「自由党」と状況の変化の度ごとに、多少とも、目端が利くことで、それを「情勢認識論」「政策論」で、逃げ切ってきた、己の身に染み付いてきた政治観、政治体質、政治手法を根底から反省すべきであろう。

なぜなら、このような経歴に顕されてきた、政治家体質こそ、日本を悪くしてきたのである。

つまり、「身の不徳」というのであれば、他の人の所為にせず、身勝手な自己中心主義(ジコチュウ)の政治家体質こそ、しっかりと、振り返り、抉るべきであろう。

「又、彼の傲慢さが出てきた」とある政治家が論評していた。過去、彼と組んでき、煮え湯を飲まされてきた公明党の幹部の一人である。

連立与党の政治家なら、歓迎の意を表明するのが普通であろうが、彼は、そのことはそっちのけにして、彼の政治家としての人格性を、こう、憎悪を込めて語っているのである。よくよくのことが、あったのであろう。

僕は、このコメントに異常を感じ、強い印象を受けた。

多分、このように、小沢は、過去、彼の多少ともの「政治的洞察力」、――実際は、ただただ目端が利いているだけのこと――を武器にして、いろんな人を、抱き込んだり、裏切ったりし、人を操り、「離合集散」を重ね、無数の人々と決別し、90年代の「政界再編期」を遊泳してきたのであろう。

そして、行き着いた先が、民主党である。

いうなれば、小沢は、裏切り、豹変に豹変を重ね、行きどころがなくなり、最後に野党連合の「民主党」に、拾われたわけである。

そして、「小沢政権」への再チャレンジという最後のチャンスを民主党から与えられたのである。

にもかかわらず、彼の最後の「救済者」であった、その民主党をも、彼流の政治観、政治手法を持ち出し、またまた、裏切ったのである。

僕も、民主党の管氏との立会演説を、テレビで聴いた一人である。

「これまでの、傲慢な体質を反省している。“新しい小沢”を見てほしい”」と晴れがましく言い、立候補して、彼は、民主党代表となり、「自公政権打倒!政権交代!」論を展開してきたのである。

安倍批判の際は、確かに、安倍の「ネオ国家主義」を批判した。それは普通の民衆には、一見リベラルな政治家に見えたであろう。

「テロ特措法」の問題では、アメリカ大使に、何か毅然と対応していたようにも見えた、であろう。

僕は、自民党も民主党も「民衆の党」としては、全く信用していないが、それでも、以上のような印象を一応持ったのである。

その人物が、その舌も乾かぬうちに「連立論」に豹変したのである。



3. 何故こうなったのであろうか。

この点は、自民党的政治家体質として説明がつかないこともないのだが、それだけでは、僕はことの本質を見誤るように思える。

小沢の特質は、目端が利くこと、それを、政治路線、理論(理論ならぬ人騙しの小理屈と言ったほうが良い)に組み立てなおし、それにしたがって、先走りながら、強引な政治をやる(これを、マスコミは“剛腕”という)、ことではなかろうか。

今の時代の、政権担当者やその候補は、押しなべて、その器量がカルカチュアライズされるのである。小泉然り、安倍然り、小沢然り、なのである。

このことは、今の時代の性格と無関係ではないからである。

どういうことか?

「先走り」を自負した指導者が、それに従って走り始めながらも、その洞察どうりに、物事が運ばないことが予見された場合、その事態に恐怖して、「才子才に溺る」で、これまた先走って「身を処した」愚かしさ、漫画性のことである。

今の時代は、グローバリズム、ネヲリベラリズムの悪が猖獗し、体制的破局、危機が進行してゆく時代である。

「二大政党制」論や「国連中心による自衛隊海外派兵賛成」など、単なる「先走りの洞察力」の小理屈だけで、乗り切ってゆける時代では、ないのである。

この時代に、政治家として生きるには、自分の首尾一貫した政治的信念に従って、民衆本位に、体を張って生きる、言行一致の信義を守る、覚悟と器量が問われるからである。

小沢の特質とはなんであったろうか。あえて言えば、覚悟や器量抜き、信義抜きのジコチュウの「先走った政治的洞察力」ということではなかろうか。

こういった才質が、今の時代では、全くの漫画的結果を産み落とすのであろう。
 
戦争と平和の問題、安全保障や外交、民衆の生活の保全、福祉の保障、教育、環境らら、資本主義の「改革」「改良」だけでは、おっ付かず、この意味で、こういった日本資本主義を支えてきた対米従属の政治、経済、文化の体制、つまり、日米安保体制の手直し、改良だけでは、おっ付かず、日米安保体制とそのベースの資本主義そのものに手をつけない限り、解決できない問題が構造化し、山積している。

「資本主義」の「相対的安定期」は終焉し、その後に続いた「離合集散」の、小沢が活躍した、自民党一党独裁体制からの脱出口、「二大政党制」を目指す「政界再編期」も既に、終わりつつある。

「資本主義の革命的変革と資本主義の保守、反革命が、これまでの中間性を拭い去り(というより、中間性を切り捨てないが、それを基調とせず、これを包摂する)激突してゆく」時代と言える。
 
この時代を、必死で回避する苦肉の政治が小泉政治であった。

「体制内革新」を装った、小泉のような「自民党解体、抵抗勢力の粉砕」を掲げた、ポピュリズムの擬制の「改革派」政治が登場した。

人々を、幻惑する政治であるが、本質は「だまくらかし」の政治である。

小泉は、グローバリゼーション、新自由主義路線に立脚し、一方で「自民党内抵抗勢力」なる架空の用語を発案し、これを、批判し、民衆の不満のガス抜きを果たしつつ、他方では、民衆に「自己責任」論を喧伝し、「耐え忍んで」「資本主義に協力する」ことを要望する政治を展開した。

この矛盾が、格差、労働、福祉、人と金ら政治家腐敗問題らで、噴出する中で、小泉はトンズラし、その後を引き継いだ安倍は、小泉政治の「尻拭い」を要求されるが、それは出来ない相談ゆえ、執権勢力の本音の部分を、今度はあからさまに、「戦後レジームからの脱却」「美しい国、日本」を表明し、戦前回帰を主張し、根底から「戦後体制からの反革命的脱却」「憲法9条の改定」を追求したのである。

しかし、それは、民衆にとって、生活無視、戦後培われてきた「戦争絶対反対」の国民的戦争体験を否定する絵空事であり、民衆の怒りに、火に油を注ぐ形で火をつけてしまい、破綻した。

そして、漫画的に、すべての人々に失笑されつつ、安倍は辞任表明をしたのである。

そして、この過程で、民衆の怒りを代弁し、その、民衆の輿望を担う形で、小沢民主党が登場したのは、確かである。


4. 小沢政治の限界と、政治生命の終焉。

時の趨勢からして、民主党は、格差、年金問題、農業問題、日米安保、自衛隊海外派兵らの問題で、左旋回し、社民党、共産党、革命派らと同一歩調をとることで、政権交代を追及してきたわけである。

この走り始めた「自民党政権打倒・政権交代論」「左旋回」は、その内容や形態に回答を出すことは、難しい限りであるが、その本質は、革命の方向にしか収斂してゆく以外にないこと、これにブレーキを掛けることは、出来なくなりつつある、ことを示しているのである。

先走り屋の小沢には、このことが、鮮明に見通されたのであろう。

 「“アメリカとの決別。国際的孤立”、“資本主義の規制”、しかし、アメリカの自分敵視からどう逃れられるか、財界、独占資本の協力拒否に対応する方策はあるか?」
「身の危険さえ生ずる。この危機からの脱却は、唯一民衆の立場に立ち、民衆の要求を忠実に実現してゆく以外にはない。」

だが、「このままで行けば、社共、革命派に引っ張られてゆく。二大政党制の枠、など簡単に飛び越えられてしまって、“革命”に付き合わされることになる。」「しかし、それは、これまで民衆を瞞着してきた政治観、政治手法しか持たない自分には、およそ無理である。」

小沢の「政治」は、つまり、「自民党政権打倒論・政権交代論」を掲げ、自民党体制を危機に追い込んだこと、までである。

しかし、その先に展望された政治は、およそ、小沢が描いていたようなものでは全くなかった、ということである。

あからさまに言えば、こういった時代に、政権を担当した場合、安倍以上にみっともない破産を問われる、という直感が、働いていたのではないか。

つまり、かれが、たまたま野党に身を置くことで、垣間見た世界は、「普通の国論」「政界再編―二大政党制」論や、実質、日米安保体制を容認し、それに「国連中心論」で、文句をつけつつ受容する新趣の形での「自衛隊海外派兵肯定論」などの彼の持論が通用する世界では、なかったのである。

(※この見解は『公開書簡 今こそ国際安全保障の原則確立を 川端清隆氏への手紙』(月刊「世界」11月号)に精緻に展開され、アフガンのISAF(国際治安支援部隊)への参加の可能性の示唆もされている。)

ここまでで、ここが、彼の政治の限界、臨界点なのである。

そして、一挙に右旋回を、自民党福田たちが投げかける「大連立構想」に飛びつき、画策し始めたのである。

小沢は、1930年代中期のフランスの人民戦線政府の首班、「レオン・ブルム」にはなれないし、もともと、なるつもりもない。

それで、逃亡を決意し、与党を「壊した」経験を活かしつつ、今度は、政権与党の可能性を持ち始めた、野党の自分のところを「壊し」にかかった、というわけである。

小沢は、この辞任騒動で、民衆や民主党に対する政治生命は尽きたと思う。

それだけではなく、自民党からも、今後、利用されはすれ、相手にされなくなってゆくのではなかろうか。

「左傾」から右傾、大政翼賛への転換でその正体を見せた小沢を強く批判する。

その後 小沢は11月7日、辞任を撤回し、続投の態度表明をし、民主党はそれを支持した。重ねて情けないことである。

いろんな弁明を彼はしたが、僕の彼に対する批判は全く変わるものではない。

又、もともと、民主党を支持しない立場の僕だが、この間、露呈した民主党の事態を見るにつけ、さらに、その観を強くしたことを付け加えておく。

〜 以 上 〜