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山田洋次、時代劇3部作

“愛”部作と捉える


2007年10月17日

塩見孝也

1. わが近況。

このところ、体調を壊し、仲間たちに静養願いを出し、許可されて、家でのんびりしています。療養が、今は僕の最大の務めですから。

胸痛が襲ってくるのは、僕の身体が、黄色、ないし赤信号を発しているからに他なりません。

僕は、今年の初めから、実は、昨年の秋以来、参議院選まで走り続け、心身が、ポンコツ化し、壊れかかってきていたようです。

ウオーキング、体操、寝たり起きたり。食事療法の真似事。近くのスーパーに買出しに行き、飯を炊き、自炊じみたことをしています。 少し、家を掃除したり、洗濯したり、の毎日です。

滅多に、都心に出ません。いわば、自儘な“引き籠り”というところです。

後は、図書館やビデヲ屋通い。本とビデオです。CDはほんの少し、聴くぐらいです。

何とか、一日千円位に生活費をとどめます。やってみれば、十分出来るのです。

独立自尊、自主の精神を鍛え、自分の心身のリズムを整えるためです。いわば、僕流のサバイバルを実現するためです。

最初、約束事、人間関係の煩わしさから解放されたわけですが、同時に自分との向かい合い、自己偏執(パラノイヤ)にとり憑かれる。一寸した欝に襲われ、家族すらが、煩わしく思われ、不安、孤独感に人並みに悩まされました。

清瀬は、自然が豊かなのですが、その自然は、いつも、いつも、生鮮で輝いてくれてばかりは居ませんでした。

輝きは、心身の調和から生まれるバイオリニズム、生きる意欲、希望との関係で、そうなるのであり、これが、喪なわれかかっている時は、単なる“無機質な客体”でしかないことを痛感しました。

自然は、全く索漠とし、読む本もビデオも何も伝えてきません。しかし、季は秋、最高の季節。胸痛の方は、もう一つですが、自分で生きてゆける実感が、次第に生まれ、僕は自分を取り戻して来ているようです。

そんな時、ある種のささやかな充実感、幸せを感じます。

「成忠選挙」の時、あの暑い盛り、宣伝カーでの汗だくだくの一演説を終え、木陰に入り、冷たいものを飲んで一服した時の、なんとも言えない充実感と似通うものです。

多分、仏教、禅宗の“動中静”、“静中動”の境地から来る、二つの充実感といえるものではないでしょうか。

こうなると、自然も本もビデオも、全部色彩を帯び、生き生きと迫ってきています。

自然や本や映画が蘇ってきたのではなく、自分が蘇ってきたのでしょう。



2. 映画評への意欲、山田時代劇3部作への僕のこだわり。

それで、映画批評をやってみようとなんとなく思い立ちました。

この方面でのテーマを僕は無数に持っていましたから。

とりあえず、山田洋次は、何故、「時代劇」に転じ、あんな「たそがれ清兵衛」「鬼の隠し剣」「武士の一分」のような、3部作を、矢継ぎ早に、作ったのか――、そして、それが、何故、圧倒的世間の支持を受けた名作になったのか、このことを解析してみたかった。

このテーマと回答は、前々から、すでに、脳中にあり、回答も半ば出来かかっていたのですが、この徒然を利用し、文章化し、意識化してみたかったわけです。

山田は、何故か、時代劇は、それまで作らなかった。 そして、非暴力主義者の山田が、何故か、果し合いのような殺し合いを、敢えて取り上げている。

又「寅次郎」に代表されるように、「得恋」ではなく「失恋」の方がどっちかというと対象で、山田は、彼の恋愛観を直に出すことを避けてきたキライがあったのに、何故か、今回は、真正面から、「得恋」を取り上げ、自己主体を入れ込むような形で、恋愛、愛の姿を粘っこく、真正面から取り上げている。

反権力、ヒューマニズム、フェミニズム、非暴力の山田が変節したのではない、ことは確かですが、映画手法をかなり、変えているのは何故だろうか、僕はここに、ずっとこだわって来たのです。



3. ナショナリズムを迎え撃つ山田流パトリオティズム。

この問題は、この3部作が作られた、21世紀初頭の世界と日本の状況、時代性と深く関係している、と思う。

一方での、市場原理至上のグローバリゼーション、ネオリベ路線、それを、補完するネオ国家主義、ネオ軍国主義の急激な台頭と格差社会、年金、福祉、教育、環境、原発、沖縄問題ら内政問題の噴出。―――、この情勢で一番大切なことは、執権勢力から民衆まで、押しなべて、これまでの生きる価値観、人間観が試され、大きく流動している、ということです。   

かかる時代性に、山田は向かい合い、山田の信ずる思想、映画観、芸術観を展開しようとしているのである。

山田は、この3部作で、渾身の力で、彼の全てを放出し、時代に対決しようとしているとも言える。

彼は、決してナショナリストではなく、正にそれと噛み合せつつ、それを、撃つことが出来るパトリオティスト、愛国者(愛くに者、愛邦(くに)者、愛郷者)の思想を映像で表現してきた。

それは、「寅次郎」がテキヤとして遊行して回る、日本の各地の風景、生き年、生き、労働し、生産し、愛し合う、というより、必死でそれを求めて生きる、民衆の姿が息吹く、我が日本の風景の描写の中に凝縮されている、とも言える。

この問題は、別の方面から迫れば「伝統と革命、革新」の問題でもある。

その感性、問題意識は、この3部作では、ますます、濃厚になっている。

「南方」ではなく、縄文の故地、東北、「隠し剣」の冒頭に出てくる、豊かな水量の川、当時では、最適な交通の便としての河川、川舟。この3部作では、東北の川と「がんス」の方言が、決定的アクセントをなしている。

「清兵衛」に出てくる餓死者が流れてくる川、子供たちと楽しむ土手での若菜摘み、フキの花採り、そこでの親友との会話、釣風景、決闘の場の、川に連なってゆく城址風景、未だ積雪残る泥道を黙々と行く葬式の行列。

なんともしっとりし、まるで、「遠野物語」、柳田国男的感性である。

この風景描写は、ジョン・フォードの作風を継ぐアメリカ的、マッチョ的感覚を持つ、黒澤明にはない感覚であり、又、日本的でありながらも、生涯「無」の境地を追う、宗教的な小津安二郎の好んだ“静謐”の風景描写とも違っている。

ちなみに、ジョンフォードは、アイリッシュとして、「静かなる男」「我が谷は緑なりき」「アパッチ砦」など、いたるところで、アイルランド・パトリオティズムを描いていますが、黒澤は、どうも、フォードの思想的核を理解することなく、彼の表面のハリウッド的なものしか見ていないように思える。

宮崎駿の「もののけ姫」に見られる、ヨーロッパ的、コスモポリタン的センスとも違うのである。

黒澤が好んで使った台本、「山本周五郎」ではなく、山田が「藤沢周平」を題材にしていることにも、この黒澤との違いは現れている。

僕には、山田流の映画手法によるナショナリズムの撃ち方こそが正解と思えます。これこそ、パトリオティズなのである。

風景描写に込められている、愛着度、メンタル性において、山田、黒澤、小津の3巨匠は全く違っているといえる。

台頭する、ネオリベラリズムとネオナショナリズムを打ち破るには、山田流でなければならないのである。

この黒澤との違いは、「乱」や「影武者」らに見られて黒沢の「老い」における「惑乱」に対して、山田が、老いて、未だ、心は若く、情熱的で、思想的に、矍鑠(かくしゃく)としている違いともなっているのである。



4. 各3部作をもっと立ち入ってみてみよう。

僕は、この時代劇3部作を、山田の「愛について」を正面から語った“「愛」3部作”、

と考えている。しかし、この本題に入る前に、少し3部作に立ち入って見てからの方が良 いと思う。


●「たそがれ清兵衝」

真田広之は僕の好きな俳優の一人である。この映画で、彼は 俳優として最高の演技をやり、最も、スターとして油が乗りきっているのではないか。

若き日のアクション、格闘技スターとしての良き面も出ていれば、―――とだけは言え ない、「彩り河」のような香り高いものもあるのだが ーーー武士としての嗜み(たしなみ)の押さえた演技、二人の娘達への父親としての対し方、母や親戚への対し方も秀逸といえる。生活者としての家長の表現も。そして、親友への対し方も。

 「論語」を素読する娘が「おと父はん、学問はどう人生にとって、役に立つのか」の質問に答える答え方の演技も良い。そこでの「学問は、物を作るように、目に見えるようには行かないが、自分の頭で考え、自主的に生きてゆけるようになる。」の回答も、言えているのである。

 しかし、彼は、小太刀の達人であり、命のやり取り、をいつでも出来ることを修練した武士(もののふ)でもある。

 主君の命令、断りがたく、果し合いに出かけるのである。山田は、武士とは、いったん覚悟を決めれば、いつでも、戦闘者として、戦いに出かける覚悟をしている人、と理解している。

 とは言え、それは、工藤栄一「13人の刺客」に見られる、死を美化するだけの「武士道」観などとは、全く違っているのである。

そこには、愛、家族愛、友情、そして、生活者の人間的感性が土台にあり、「隠し剣」の主人公は、「武士の空しさ」を悟り、町人になろうとするような、庶民への優しい眼差しがある。

 幼馴染の親友の妹役を演じる、宮沢りえも又秀逸の極みである。武家の娘、武士の妻としての良きものをすべて持っている人、女を演じる。

 そして、因習、虚構、虚名に惑わされず、百姓こそが、侍階級を養っていること、を理解している。

 この3部作では、「出戻り女」がよく出てくる。このような女性たちが、ヒロインなのである。このような「しっかりした女」達すらが、「嫁人生」に破綻し、「出戻り女」になって、初めて、人間として、女としての幸せが何か、に気づく程、封建社会の抑圧が如何に女たちに厳しいかを、山田は示唆するのである。

 主婦、母親替りの長女と末っ子の甘えん坊の妹の関係、二人が尊敬し、誇りに思う父親との関係像も良い。
宮沢りえと二人の姉妹の関係が実に良いのである。

宮沢は、姉妹に、物語や裁縫、習字を教え、布団の打ち直し、など教える。3人で、新調した晴れ着を着て、お祭りに出かける三人の姿は実に微笑ましいのである。

しかし、宮沢の宮沢たる演技の秀逸さは、こんなところにあるのではなく、好意を持ち、次第に愛してゆく、「清兵衛」との関係、とりわけ、「果し合い」に出かける彼の身じまいを整える甲斐甲斐しく手助けをし、彼の告白を受ける挙措、決闘に送り出してゆく挙措、決闘の後に帰ってくる清兵衝を迎える挙措にこそ、表されているのである。

ここが、最高に秀逸なのである。

山田洋次は、ここに彼女が持っていたが、これまで、彼女が気づいていなかった、女性としてのすばらしさを、全部、引き出しているのである。



●「隠し剣」

松たか子は、50国取りの平田正敏のところへ、女中奉公に来た農民の娘である。

その平侍の家庭は、「平」で、貧しいながら、笑いと幸せに満ちている。明るい睦みあった兄と妹、妹の許婚である親友がいる。そして、事実上の主婦役を、控えめながら担う松が居るのである。

妹は嫁ぎ、松も町家に嫁ぐ。家の中は、途端に、暗くなってゆく。

松は姑にいじめられ、不幸で、ついに病気になる。それを聞いて、平田は、敢然と救出のため、その町家に出向く。離縁させ、我が家に引き取る。平田と松の間に再び幸せが訪れる。

「もう嫁にゆくことなどしない。身分違いゆえ、もともと結婚などは考えていない」松は、「旦那様の身の回りを一生世話しよう」と思っている。

「めかけにしている」の風評が立ち、平田は、松を、松の幸せを願い、実家に帰す。

「海を見せてやる」という平田、喜ぶ松。海辺への旅行は、二人にとっては生涯忘れえぬ、一風変わったデートであったろう。その場で、平田は「実家に帰るよう」指示するのである。不承不承、受け入れる松。

 そんな時、もう一人の親友で、剣のライバルとの、君命による「果し合い」の話が持ち上がる。このシークエンスは「たそがれ清兵衝」と全く同じである。清兵衝と同じように、平田もまた剣の達人である。

ここでも、権力の悪賢さ、あくどさ、封建社会の愚かしさが、挿入され、友達の妻が、家老に騙されてゆく、くんだりが描かれてゆく。が、これは付録のようなものかもしれない。

首尾よく秘剣「隠し剣」で、もう一人の友達に勝利し、かつ、お家騒動の謀略に乗せられた、友達夫婦の敵討ちもやり遂げる平田。

だが、お墓参りの場で、「首尾よく、自分が請け負った難題はやり遂げたのに、その俺に何で、こんなに空しい想いが押し寄せるのか。 何故空しいのか?」と独白する平田。

侍を捨て、蝦夷地で商売をしようと決意した平田は、松を迎えに行く。

そこで、「お前となら、どんな苦しくても、生きてゆける」「お互いに好き合っていれば、何も問題ではないではないか」「命令でがんすか?命令なら仕方がありませんでがんす」の松と平田のユーモアに満ちた、圧巻のやり取りがなされるのである。

演技達者で、人間も練れて居る平田正敏も松たか子も、完全に山田の思うとおりに存分に演技している。



●「武士の一分」

この映画の展開の骨子は五幕ぐらい。

一幕目は、これまた五十石取りのしがない、お毒見番の平侍の家庭。主人の木村と妻、檀のひっそりした、しかし、しめやかな中に、愛し合っている夫婦の関係が滲み出ている。従僕、三人の息のあった家庭像が描かれる。

これまでの、親友の代わりに、父親の代から仕える、父親代わりの従僕が登場する。彼は、この映画で、重要な役柄を担っている。
ここで、木村は、「毒見番」の詰らなさをぼやき、「町道場を開きたい夢」を語る。
剣道を「門弟の各人、各様さに合わせ、それぞれに合った剣術を教えたい」「これまでより、収入が減るが、佳代、それでも良いか?」「旦那様、なんでそんな質問をされるのですか」と怒る妻。「旦那様、どうしょもない、おらの孫でも入門できるのですか」「わかってないなー、百姓、町人、身分には一切こだわらない」、こんな楽しい印象深い会話がなされる。

一種の山田の教育論が開陳されている。

何故だか、僕は、夏目漱石の、「門」の崖下で、ひっそり暮らす夫婦像が泛かんで来た。

二幕目は、事件の勃発。季節柄、毒が発生した赤貝を毒見して、木村は倒れ、盲人となってしまう。懸命に看護する、妻、檀。

そして、捨扶持の境遇が予測されるところ、主君の「英断」で、生涯五〇石取りを保障され、自殺まで考えた家庭に、久し振りに笑いが蘇るが、何故だか、沈んでいる檀の姿が暗示される。

三幕目は、沈んでいる妻、檀の謎解き。腑に落ちぬ、「あらぬ噂」の調査とその真相の展開。

従僕に命じた調査からお目付け(?)の坂東と檀の関係が「悪い夢」ながら、事実であることが判明する。

懊悩する木村の問い詰めと自決、お手打ち覚悟で告白する檀。

「夫、木村の生活保障を願って、親戚達の勧めもあり」、坂東に「便宜を図ってもらいに行ったところで、強引に手籠め同然のセクハラ」を受け、「拒否も出来ず、したがわざるをえなかった。それから、三度ぐらいだけだが、関係を続けた。」と告白する檀。

「妻の愚かしさと妻を盗んだ男の世話になっている己の不甲斐無さ」で逆上する木村は「即刻出てゆけ!」と離縁宣言をする。

「姦通し、離縁される」ことは、女性にとって、この時代、人格を完全に抹殺される。「手討ち」ではないが、それ以上にむごい、死刑も同然の「世外の人」に身を落とされる扱いであるが、従僕の必死の制止も聞かず、木村はそうするのである。

夫、木村も退くに退けないのである。

檀は、その夜のうちに家を出てゆく。

第四幕は、復讐、それが変じた、かたき討ち、決闘の展開。そして、片腕を切り落とされた坂東の自殺。そして、お咎めなしの措置。
ここでのポイントは二つある。

「生涯五十石取り」の措置が、主君自身の英断で、坂東の尽力でないことの事実関係の判明。つまり、夫自身の侍としての真面目な奉公の結果であり、坂東が、はじめから嘘をつき、佳代を手籠め同然に弄んだ、卑怯極まる事実が判明してゆく。

夫、木村の男としての傷ついたプライドは癒され、「武士の一分」の果し合いは、私怨から公憤に変じ、決闘は「佳代のかたき討ち」となってゆく。

これは、妻の復権であり、妻を許す、心境変化である。それに応じて「武士の一分」も変化してゆくのである。

いま一つは、侮りを受けた、おとこの覚悟の問題である。これは、本来、昔も今も変わらない、命がけで報復すること、それも、剣客ながら、いまは盲人の木村が、江戸、小石側道場〈千葉道場?〉で免許皆伝を受けた、剣術の達人に挑むおとこの意地についてである。おとこは、この場合、“もののふ〈武士〉”に象徴される。

「普通、勝ち目がないが、相打ちの死ぬ覚悟で、向かえば、活路が開ける」と、剣の師匠の教えを受ける。
 そして、決闘場面。勝利。

第五幕。夫と妻が、双方、死地を彷徨い、それを越えて、復縁してゆく。夫婦の愛は、より強いレベルで復活してゆく、次第のこと。
夫は、従僕が連れてきた、“飯炊き女”が、誰であるか、を飯とお惣菜を食べる過程で、即座に見破るのである。

この「武士の一分」には全く、ひねりが無く、単純明快。それで、良いのだが、ただ、キムタクも檀も「山田組」ではなく、演技に、前二作と違って、ーーー二人は必死で山田の要求に応じ、演技しようとしているが、ーーー演技に深みが無いように思える。

二人は、山田の世界どおりに、動き切れてはいないのではないか。

これは、僕の、軽い苦言である。



5. 何故、山田流“愛”3部作なのか。

●いつの世でも、人間は愛を求める。


幸せを求めて生きて行く人間の生、いのちにとって、その核心は、紛れも無く、男女の愛なのであろう。もう一つ、より規定的なものとして、いのちの保全、そのいのちを社会的に輝かせる自主性の涵養の問題があると思う。が、そこでも、それが、男女の関係性、愛の分野で、どう試されるか、があろう。

それは、いつの時代でも変わらないし、それは、はかなく、「幻想」かもしれない。吉本、言うところの「対幻想」かもしれない。
しかし、人間は、それを一生実現しようと、あくせくし、敗れても、敗れても、果てしなく、度し難くも、求めてゆくことは確かであろう。
ここから見れば、政治、革命も又、その社会的条件をたかだか、それを、保障する幻想的行為に過ぎない、とすら思われる。
果てさて、一体、俺は何を書いているのであろう?!

ともあれ、三つの映画は、しがらみ、因習に疎外されつつも、それに打ち克ち、もどかしい限りでもあるが、三組の男女は、もったら、もったらしつつも、この、愛を実現し、それを貫くのである。

もったら、もったらし、もどかしい限りであるから、一見、それは、“忍ぶ恋”のようであっても、決して、そうでなく、どうして、どうして、反対に、それを、批判して定立される普遍的な男女の愛の形、内容であり、形は、違ってはいるが、いずれも、正面から、積極的な愛を追及してゆくのである。

自主、自立した一組の男女が、互いに、惹かれあい、想い合っている、この意味で、必要とし合っている、――もう一つ、付け加えれば、尊敬し合っている―― その想いを遂げようと、積極的に、それを妨げる、桎梏物、諸難関と、生活獲得、剣の修練、果し合いまで、やりつつも、闘うのである。

だから、もったら、もったらどころか、本当は、大いに、積極的なのである。

そこでは、方便の政略結婚的なものも無ければ、大義のために、愛を小義として、犠牲にすることも批判され、その世間体からの不可能性、諦念を、宗教によって、逃避することも、完全に否定されているのである。

いわんや、それを、個人利己主義の行為と考え、否定することは断じてないのである。

まー、このことは、愛の定石的認識であろうが、山田は、この愛の姿を、正面切って、臆面も無く、愚直に追うのである。

山田は、この点で、寅さんのように、マドンナ達の幸せを願って、己を革命家として“空”にするような、恋、愛に“斜”に構えてゆくような態度は、今度はとらないのである。

愛を貫くために闘う。剣は、そのためのもの、自衛、命、愛を活かすものとして、その限りで、許されるものとして、しっかりと、捉えられているのである。

 
山田は、ここで、彼が絶対主義的非暴力主義者ではないことをはっきりさせている。

これまでの、山田映画は、つとに愛を追い続けてはいる。しかし、それは、どちらかと言えば、突き放し、傍観者的、外在風に、つまり「物語り風な解説」として、描き、主人公の男女の内側に立ち入って、その慾求の模様、内側から湧き出る感情、声らを、従って、愛し合う男女の本音の感情、慾求を正面から映像化するようなことはしてこなかった。

いわば、抑制的で、関係性、流れの中で、語り、本音を晒さないのである。婉曲といえば婉曲、逆に言えば、山田監督自身の、“含羞”が邪魔している、とはよく言われることである。ここから、山田映画は多少の誤解も招いてきた。

しかし、この3部作は、彼の本音の思想を、真正面から語っているのである。だから、役者たちも、山田のこの構え方を受容し、役に徹し、その役を、異常に気魂を入れ、必死となり、自分のごとく演じざるを得ないのである。

清兵衝は、りえのために、第一の決闘で、親友の代役を買って出るが、親友に、このことは「りえさんが心配するから、言わないでおいてくれ」と頼む。

それを、やっとのことで、兄から聞き出した、りえは、自分のために、体を張ってくれた清兵衝に、「うれしゅうございました」と手紙をしたためる。

間違った結婚を妹に勧め、負い目を持つ兄は、何くれと妹を思いやり、「いっそのこと、清兵衝のところに行ったらどうか」と勧める。

その返事に、りえは「清兵衝さんのところならば」とポッと、頬を赤らめながらも、はっきり答えるのである。

兄は、この縁談を、親友、清兵衝に話す。

兄は、懸命に、妹は「あれでしっかり者」で、「17や18のおぼこ娘ではない。」「しっかりと考えて、返事したのだ」と親友に懸命に説得する。が、ここで、清兵衝は、もたもたし、貧しい生活のことで、りえを思いやり、愚かにも断ってしまう。

そして、果し合いの土壇場になって、清兵衝は、やっと、本音を打ち明けるのである。

「自分は、あの縁談を断った時から貴方を想うようになった。自分は、幼い時から、貴方を想っていた。」「もし、果し合いに勝って、帰ってきたら、ぜひ自分の家に嫁に来てくれないか」と、今度は、はっきりと求婚するのである。

「本当の気持ちを言ってくださって、本当にうれしゅうございます。しかし、自分の方は、縁談が進んでおります。」「自分は、果し合いの後まで、この家で、待つことは出来ませんが、どうか御武運をお祈りします」と、りえはその時、精一杯、答えるが、結局、りえは、自己の人生を決断し、清兵衝の帰館を子供たちとともに待つことにするのである。

これは、女性としては、非常な決断であったろうが、本音の愛を語ってくれた、愛する男のために、女として、まっすぐに応えようとするのである。

りえの物怖じしない、甲斐甲斐しさ。「清兵衝の告白」とそれを受け入れるりえ。「嬉しゅうございます。」「御武運を」の言。なんと感動的ではないか。りえの、愛する男が、生きて無事に帰ってくれた喜びの表現も良い。

平田正敏の断固たる松救出劇。最後の求愛劇。そして、ユーモラスな松の対応。

キムタクのこだわり、私怨を越えた、不正義なす権力者に公憤の「妻のためのかたき討ち」の言も良い。

檀の「私の料理を憶えてくれたのですか。」の言。そして、夫の「妻の料理の味をどうして忘れられようか」の言。

この映画には、男女の本音の愛の感情、形が、まっすぐに臆することなく、語られているである。

山田は愛、幸福についての思想を、娘〈岸恵子〉の「父と(継)母は幸せであった」の弁で持って語る。

「山形の藩は佐幕派であり、父は、結婚して三年後、戦乱の中で、銃撃を受け、死んでしまいます。」

「その後、藩の中から、沢山、維新政府に参加し、随分と栄達した人たちが出ました。その人たちは、なんと“たそがれ清兵衝”は不運で、不幸な男だったか、と、いいます。」「しかし、私たち娘は、ちっともそうは思っていません。父は、想っていた人と結婚し、三年間ではあったが、十分に愛に満ちた、幸せな充実した人生を送った。私たち、娘たちは、そんな父を、誇りに思っている。」と。

―――――ここに、山田の考えのすべてが凝縮されて表現されていると思う。


●山田は日本を代表する大監督で、しかも志を捨てず、自己の思想にあくまでも忠実な、謙虚な映画人である。

そんな、山田であれば、金も多少は保証され、良き人材も保障される。良き想像力と気宇さえあれば、その構想力は、地上のものとなって行くことが出来る。民衆、民族、国民、ひいては世界の人々、人類の心をつかむことが出来る。

彼の存在は、アメリカのクリント・イーストウッドに遜色しないばかりか、それを十分、凌駕すると思われる。彼も「星条旗」と「硫黄島からの手紙」をつくり、戦争反対を訴えている。

彼は、口に出さないにしても、このことを、よく知っているのである。

思想や文化は、政治運動と違って、ひとびとの感情、感性、思想にじわじわと知らず知らずに浸透してゆくものである。しかし、いつの間にか、それを変えてゆく。

この作品が、結婚しない人たち、愛を直接には語らない人々、とりわけ、表面の格好良さだけにしびれるような若い女性たちの心を捉えたかどうかはわからない。

若い女性達に聞きたいものである。

現代社会は、複雑である。映画「ブロークバック・マウンテン」という名画も出るご時世である。

しかし、僕は、やはり、すべての日本人の奥底に届いた、ないしは届いてゆく作品だと思っている。

その彼が、世の状況を憂い、映画人として、乾坤一擲の闘いを挑んだのではなかろうか。

時代劇、しかし、それは、幕末ものである。

司馬遼太郎も幕末を描く。彼にも、伝統と革新〈革命〉の問題意識は、ある程度はある。この観点から、武士道を描く。
しかし、「国民国家」を前提とせず、民衆、ととりわけ女性たちを、真にヒュ―マン、リベラルな方向、パトリオティズムの方向で描いたかどうかについては、全くもって、限界なしとしない

時代劇が、男達だけの世界、勇武の世界にだけ流れてはいないか。

確かに、時代劇は、人間の生死の問題を描くに格好の舞台装置を提供してくれる。とは言え、「国民国家論」を前提にすればわかりやすい、娯楽性、大衆性を直ちに提供してくれるにしても、その「分かりやすさ」の中に、俗流性、決定的思想的陥穽が潜んでいる、のも明らかなことである。

女性たちが何故、真に男たちと向かい合う形で描かれてこなかったのか。

この山田「幕末もの」、3部作では、司馬達とは全く違う、パトリオティズム、人間のいのちとそれを輝かせる人間の自主性、民衆性、女性尊重、男女平等の思想的視座から、概括すれば、庶民、民衆の“愛”を、語るべく、この時代劇、幕末の格好の舞台装置性を活用しているのである。

男と対等な女たちが噴出しつつあったこと、それに男女双方の愛の関係、幸福追求において規定され、男たちも変わりはじめていたこと、さらに、その暴力性、もののふ性もまた、非暴力を前提として、愛を貫くための自衛、人を活かすための剣としてのみ肯定されていたことが主張されている。

山田は、これまでの幕末観とは全く違う、幕末観を提出したかったのであろう。

それは、歴史的に見れば、山田のみが主張する、仮説かもしれない。

それが検証されているかどうかは僕にはわからない。しかし、幕末が、これまでの幕末とは、全く違う視座から扱われていること、そして僕等が、それに、心底から納得すれば良いのである。そして、僕は、又大半の民衆もまた、国民的規模で納得している、と思う。

しかし、そうであるなら、十分、それでいい、ということである。

山田は、生死の問題における「分かりやすさ」、それを単純化し、娯楽性、大衆性と錯誤する陥穽に対して、それを逆に撃って行く視座から、別の大衆性、娯楽性を、人間の愛という人間本然の姿を措定しつつ、打ち立てているのである。

こうして、「伝統と革新の問題」に、山田は、まともに答えているからこそ、凡百の時代劇、幕末ものとは全く違う新しい娯楽性、大衆性、言い換えれば新しい文化性を、時代劇を通じ、創造しているのである。



〜 以 上 〜