寄稿・論文



自主日本の会

掲示板

コラム

イベント

リンク

 topページに戻る
「ナルチュウ(成島忠夫)事務所・奮闘日記」その4

成島後援会と9条ネットは
7・21「安倍政権をぶっ飛ばせ!政治フェスタ」を
貫徹したぞ!  


2007年7月23日

塩見孝也



[写真提供:ムキンポ氏]

*期待を寄せられる「9条ネット」

「成島後援会」と「9条ネット」は、昨日の「安部政権をぶっ飛ばせ!新宿10万人フェスタ」をプログラム通りやりきりました。

小泉が、郵政民営化選挙の際、行く先々で、5千人位の聴衆を集めるような具合にはゆきませんでしたが、また、もう一つ、春の国会の「国民投票法案強行採決粉砕!」のハンスト、座り込みの際のような戦闘的雰囲気までは醸せませんでしたが、「9条改憲阻止」の決意は、鮮明に吐き出され、相当の人だかりは作り出され、大きな注目を集めたことだけは確かです。

このフェスタをやりきったことは、新規確認政治団体、「9条ネット」と成島、天木、栗原、ZAKI、4候補の名前を高からしめた、ものと思います。

「9条ネット」が注目を集め始めてきていることは、肌で感じられます。

僕は、「9条ネット」が、政治の流れを変える、台風の目となっていることをこの日、一日、折に触れ、説明してきました。


*いちゃもんをつけてきた新宿署(?)

僕らは、ほぼこの日、1日中、精確には、AM8時からPM7時頃まで、新宿東口を占拠し、宣伝、キャンペーンをしまくり、3時から、5時まで、本番の政治フェスタをやりきり、その後も、キャンペーンを1時間ほど続けました。
 
想定していた、他の候補者の宣伝カーは、われわれの勢いに押されてか、改めての場所の使用申し込みは、全く、ありませんでした。

替わりに、新宿署の警部補が二人やってきました。

何なのか、と思えば、僕らが場所の先取権を誇示するものとしてガードレールにガムテープで固定して、立てていたのぼりの立て方の問題でした。

ガムテープは美観を壊し、ガードレールを腐食し、衛生上も良くない、「道路交通法に違反する」から「撤去を警告する」、というものでした。 

朝早く、5:30分頃、来て、立てていった、20本ののぼりですから、簡単に、そのガムテープを剝がす、訳にはゆきません。

三上と僕は、「選挙妨害だ」「弁護士と相談し、訴訟を起こす」とか、まくしたて、抗議し「身分、名前を言え」とか、迫って行きました。
 
向こうも、身分証を見せ、名前を名乗って来たりもしました。

やり合っているうちに、「規則どおり警告しているだけで、すぐに、どうのこうの、しろ、というわけではない」「役目柄、警告しに来ただけで、やっておかなければ、上役からどやされる」からといった、本音がわかりました。

それで、「警告は聞いたわけだが、一日だけだから、無視する」に決め、ガムテープで固定したのぼりはそのままにしておきました。
 

*雨のそぼ降る中、

早朝、5時半から東口の場所を取り、街宣車2台を据え、のぼりを立てました。花園、亜人両氏の事務局コンビで、この任務を果していました。

8時から花園は、演説も始めました。

僕は、6時半ほどに到着しました。

この頃から、ビラ捲きメンバー4人、5人と集まってきました。

佐野さん、佐藤さん、渕上さん、枡本さん、三上さんらです。僕が頼んだKさんも来ました。

ZAKIカーが、11時過ぎにやってきて、彼の演説のテープやカセットを流し、彼自身も演説を始めました。

彼の歌はアンプを2台装備した、特別の音響効果を発揮するもので、凄い迫力があり、演説も、きっぷが良く、豪快で、音響効果が、他の宣伝カーに比べ圧倒的にありますから、道行く人々を惹きつけます。

彼は、ただのモヒカンお兄ちゃんとはわけが違う、ど迫力、を持っています。

そのうち、成島も静岡から駆けつけ、「成島、ZAKI」の掛け合いを始めることにしました。

司会が必要、となり急遽、僕がやる、こととなりました。

ZAKI君は、30代の最も可能性を秘めた青年の一人と思えます。

ミュ―ジシャン、芸術家なのでしょうが、政治的センス、社会科学的事物のとらえ方もしっかりしています。

何よりも胆力があり、包括力、重量感、器量を持っています。

彼とは、共謀罪の昨年以来、知り合い、国会で共に座り込んだりし、「4・28沖縄デー復活」の際も応援に来てくれました。

3派全学連副委員長、以来、志と節操を失わず闘い続けてきている、重戦車のようなエネルギーを秘める我が友人、成島とは、先輩、後輩の関係です。

「9条ネット」で互いに「同志」同士ですが、お互いに分かり合っているのですが、掛け合いのトークは初めてです。

しかし、彼らは、二人とも役者ですから、適当に持ち味を出し、魅力を発揮していました。

新社会党委員長、栗原君子さんと成島との、掛け合いも実現されました。

栗原さんとは初対面でした。

その前に、東京で、もっとも反原発運動を果敢に闘っている「たんぽぽ舎」、柳田真さんから、地震災禍と刈羽原発問題についての報告を受けました。

成島が掲げる反原発政策は、この「たんぽぽ舎」の運動から生まれた成果に示唆されたものです。


*一水会との論戦―自衛論と剣道・武士道の極意

そうこうするうちに、140~50人の応援、支援者達や他の候補者、登壇者、合唱団の人々もやってき、人集り(ひとだかり)がし始め、歩行者も立ち止まり始めます。

20分遅れで「政治イベント」は始まってゆきました。

知った顔、常連の顔、珍しい顔、全く久方ぶりの人、全く、僕にとって初めての人だが、明らかな支援の人たち、普段、僕などが付き合う人とは全くタイプの違う人たちも大勢いらっしゃいます。

僕の担当の「改憲か、反改憲か、バトル・トークのパネラー、鈴木邦男さん、木村三浩さん、若松孝二さんもその中にいました。

総司会の神田香織さんは、和服姿です。

ZAKI➔栗原さんと進み、次が「バトル・トーク」で、その後、ベートーベン「運命」第9の替え歌、「9条改憲に反対する」合唱、成島➔天木の順です。

成島・ZAKIの「9条ネット」VS鈴木邦男、木村三浩の「一水会」の組み合わせは、僕にとっては珍しいことではないですが、この新宿東口集会に集まった人たちには、相当珍しく、興味深い「対決」であったようでした。

これに、最近「実録・連合赤軍」を作られた若松孝二監督が飛び入りされたのですから、面白くなります。

最初に鈴木さんが発言されました。

「新左翼は、昔は武装闘争を唱え、過激な主張、過激な行動を繰り広げてきたのに、最近は、温和になり、議会にも立候補するようになった、これはどうしたことか」と。

続いて、木村さんが、「我々は『自主憲法制定』の基本線は変えないが、安倍政権のような改憲、つまり《従米改憲》は反対です。非暴力・平和、民主主義の観点からの、9条改悪反対もわからないことはないが、《民族》、『愛国』、『反米愛国』の観点からの自主防衛力強化の観点は必要だ」と述べました。

若松監督は「右翼は勇ましいことを言うが、自分が見聞した、イスラエルに対するパレスチナ人の民族解放戦争の現実の見聞や自分の戦争体験からすれば、人が殺しあう悲惨さ、人が生命を失い物体になってゆくことの実際を知れば、そう勇ましいだけのことは言えないはずだ」と反論しました。

また、ZAKIさんは「僕の武士道は『丸腰武士道』だ。まず、人を敵視せず、仮想敵国など設定せず、人と人の対人活動で、友愛が第一に働くようにすることに命を賭ける。その覚悟を固める」と述べました。

そして「自衛隊は、過渡的に『海外援助隊』などに徐々に改編して行き、国際的友愛とその外交の具に役立てるべき。」

彼は、対右翼を意識し、その観点から、噛み合うように、彼の思うところを述べて行った、と思います。

成島も僕も「『丸腰武士道』に賛成だ。剣道の極意は、無刀剣である。そして活人剣である。

達人になると、はじめから武器を持たない。武器を持てば、人の命が損なわれる危険が生じるからだ。武器を持たず、人の命を何よりも尊貴し、人を活かすことを考える。

自衛といっても、国家の自衛など、インチキにまみれていて、せいぜい〈許される〉のは、『国家自衛』ではなく、『個人の自衛』のみである。それだって、別に推奨しているわけではない。

一番良いのは、人を殺さないこと、そのために命をかけること、それが真実の勇気である」と述べました。

最後に僕が反論しました。

「鈴木さんは、われわれが変わった、変わった、と言うが、己を振り返ってから、そういうべきだ。

若い時のあなたは、大陸侵略や太平洋戦争も、『聖戦』だ、と言い張り、超国家主義を賛美していた。それが、天皇主義は残しているが、われわれに近いリベラリストに変じているではないですか。

≪民族≫も、自民族絶対主義や国家至上の観点ではなく、国際主義の観点、世界民衆共同体創造、世界革命の観点から、パトリオティズム(愛郷主義)として、捉えなおしてゆくべき。

あなたも変わってきているように、僕らも若い時から見れば、変わってきている。

民衆中心、人間中心、資本主義批判を忘れず、未熟から成熟へ変化してゆくには当然でしょう。

若い時の新左翼は、憲法は尊重し、それを政治・思想運動の原点としてきましたが、一時は、『社会主義革命』のための利用主義傾向に陥った時もあります。

しかし、いろんな反省もし、今は、よりいっそう、憲法を尊重し、憲法9条を守りぬこうと考えている。」と。

最後に、木村三浩さんが「一言いわせてくれ」といい、「私は、鈴木さん、塩見さんや花園さんと、佐々淳公氏などとの、『新左翼対権力者、治安当局者』との対決討論の企画を計画しましたが、彼らは『体の調子が悪い』とか、言って断ってきました。論戦に、腰が退けている、腰ぬけだとわかった。

愛国者を自認するなら、なぜ対決に望まないのだ。本当に、情けなく思いました」と報告しました。

僕は、これに相槌を打ちつつ以下のようにまとめました。

「権力者は、やたらと『愛国』と言いますが、本当は売国者なのだ。これは、憲法よりも安保を優先させる思想でもありますが、戦後から日本の対米従属構造に規定された、支配階級の体質と言ってよい。一水会は、この点で彼らとは全然違う、独立自主の民族派、民族主義者に変わって来ている。これは、良いことだ。

当面、反安倍、反改憲で共闘しよう」と。

合唱隊は頑張りましたが、もっと合唱隊員が集まったら、あるいは500~1000の応援者が結集していたら着想が素晴らしいだけに、力強さが生れ、文字通り、新宿中を揺り動かせたでしょう。

ネネさんの「もう戦争は要らない」は良かったと、思います。


*政治の流れを変える台風の目9条ネットを応援しよう。

それにしても、この政治セレモニーは、何と豊かな多様性を持った、かつ実践性を持った、エネルギー溢れる、多様な集団の連合体によって成し遂げられて行ったことでしょうか!

a,旧社会党の無原則性を批判して分派した新社会党。

b,成島忠夫を盛立てる、旧赤軍派を始めとするブント系、新左翼系、全共闘系諸個人、諸派。

c,天木直人さんのような、イラク自衛隊海外派兵で、小泉を批判し、官僚から脱却し、反米愛国の政治を追求する、徹底平和主義、人道主義、合理主義の、世の中に幅広い人脈を持つ尊憲派の人〃。

d、ZAKIさんのように芸樹家で、独立自尊の不安定で、流動的な青年労働者たちの感性、要求を代弁、代表しているような革命家。

e,さまざまな、体制、秩序に甘んじない、「9条ネット」の呼びかけ人になっているような知識人、文化人諸氏。

f,ラジカル性を秘めた市民運動の勢力。

g,それに、発想も、価値観、認識方法も全く違う、かつて右翼であったが、今は愛国者、民族主義者に脱皮しつつある、統一戦線の対象者である一水会。

h,もう一つ挙げるなら反原発運動を推進しているような「たんぽぽ舎」のような運動体----

こう見てくると「9条ネット」は、何と多様性を孕み込んだ連合体であるでしょうか。

この連合体は、以下のような理念、原則を持ち、がっちりと団結しています。

つまり、この多様性が、「9条改憲阻止」の人々を、参議院に送り込もう、この一点で、これを、基軸に「小異を残して団結する」方式で統一されているのです。

これが素晴らしいのです。

この個性ある多様性が、互いを認め合いつつ、9条改憲阻止の一点でしのぎ合うことで、日本社会の根本的矛盾、マグマと結びつきつつ、巨大なエネルギーが創出し、噴出させているのです。

まるで、核融合のようです。

僕が参加している「9条改憲阻止の会」の多様性を統一する、組織方式と同じですが、違うのは、「阻止の会」が、主に大衆運動の推進を、基軸に据えている、のに比し、選挙闘争を中心にしている、ことです。

「阻止の会」の大衆運動は、あくまで工場(職場)―生産点、地域での大衆闘争を基礎とする、ものですが、この民衆の大衆闘争は、徐々に、民衆権力を創出、資本主義の打倒、コンミューン社会主義を目指して行くものと、僕は確信しています。

この大衆闘争の孕む直接民主主義が、民衆権力を生み出してゆくのです。

選挙、議会闘争は、あくまでも、この民衆の大衆運動の有機的一環として位置付けられ、決して、「議会を通じた、権力の平和移行」などの幻想、議会主義的クレチン病の方向に迷い込んではならなのです。

しかし、このことをしっかり位置づけておりさえすれば、選挙闘争はやってはならないのでは全くなく、その反対に、大いにやるべきなのです。

「9条ネット」と「9条改憲阻止の会」の運動は、この意味で、親類関係にある、生み出されて間もない、民衆の命と自主性、そして、その観点からの労働を最高尊貴する集団です。

疎外されない労働、賃金奴隷としての労働ではなく、「労働が、必要に迫られてなされるのではなく、生命の泉として噴出するような労働(マルクス)」、このような意味においてです。

「9条ネット」は朝の太陽のように新鮮で、ピュアーであり、想像力、創造力に富み、現存の腐敗と堕落、汚れを批判して誕生してきたがゆえに、全くクリーンです。

言ったことは守ります。

革命的人士、日本と世界の革命的変革を求める人々は、ここに結集してゆきます。

そして、これをバネに、民衆の統一と団結の一つの要とあってゆくでしょう。

このような政治集団であればこそ、現今の政治腐敗を真っ向から摘発し、政治の流れを変えてゆきます。

皆さんに9条ネットへの認識を新たにしてゆくことを、訴えておきます。

僕は、ここでの民衆運動のるつぼの中で、革命的人士と再会したり、新たに出会ったりして、僕の70年闘争の総括を試してゆこうと思っております。

2007年7月23日、午前7時53分、成島選対事務所にて記す。
塩見孝也