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「6・15共同行動」を終えてのアッピール

反改憲闘争の新たな段階をどう捉えるべきか?

2007年6月23日
(2007年6月26日 一部加筆修正)

塩見孝也

[写真提供:ムキンポ氏]

序.
「6・15」闘争は、成功裏に終わりました。

この成功は、今後、決定的に、日本と世界の民衆を鼓舞する甚大な影響を及ぼして行くでしょう。

現在、安倍内閣は、腐り果てた資本主義の矛盾の噴出にあって、インチキな泥縄式政治と強行採決の繰り返しによって、あがき、追い詰められ、徐々に「国民」から見放されて行きつつあります。

正に「水に落ちた犬を撃て」の情況が進展しています。

僕ら、民衆は仕掛けられた、これまでの執権勢力の改憲攻勢に対して、「トニモカクニモもの抵抗」「トニモカクニモの反撃」といった、付け焼刃的、自然発生的な防御の闘い、からようやく脱しつつあります。

僕らは、今、「反改憲闘争」の、防御から対峙への転換点に立ちつつあると言って良いと思います。

であるなら、僕らは、来し方を総括しつつ、今後を展望し、現在を、冷静に捉えなおし、反改憲闘争のできるだけ、正確で、客観的な展望、路線、布陣を構築してゆくべき時機にあると考えます。

この小論は、以上の観点に立って、「6・15」前にmixiの日記で発表したものに、成功した「6・15」の事態を踏まえ、いろんな人々の意見や僕自身の、思想的・政治的営為の前進を踏まえ、大幅に書き直し、上記の標題として、皆さんにアッピールしなおしたものです。

皆さんがお読みくださって、皆さんの、お役に立てれば、幸いです。

どうか、よろしくお願いいたします。



1. われわれ「9条改憲阻止の会」の原点とは?

日本民衆、日本国民は、明治維新以降の恥ずべき侵略戦争、悲惨な帝国主義間戦争の国民的戦争体験を有し、この体験から「二度と戦争をしない」と敗戦直後、固く誓いました。

この深刻な全民衆的、全国民的反省、教訓に基づいて、戦力不保持、交戦権の否定を憲法9条として銘記した現憲法を獲得しました。

この憲法があったが故に、戦後60年間、我が国は、大きな戦争の災禍を経験せず、一応の繁栄を築いてきました。

この憲法を、執権勢力、現安倍内閣は、愚かしくも、「戦後レジームからの脱却」「美しい国、日本へ」とか出鱈目をいい、根底から覆し、「自衛軍保持」を銘記した戦争とネオファシズムの憲法に置き換えようとしてきています。

80年代以降、とりわけ90年代、21世紀に入って、憲法は徹底的にないがしろにされてきましたが、それすら、飽き足らず、安倍らは、国民的戦争体験の継承、日本民衆の叡智の凝固したものとして、法理念化、法政度化された、憲法の根幹たる憲法9条を、否定、抹殺すべく、改憲攻撃に打って出て来ています。

かくして、かかる暴挙に、心ある民衆は、強烈な危機感を感じ、「二度と戦争をしない」という、神聖なる誓いを守り抜こうとして、多くの反改憲の民衆組織を作り出してきました。

そのうちの一つとして、「9条改憲阻止の会」は、昨年、発足しました。

これを、発起した有志諸氏、或いは、それを受けて、即座に反応、支持した人々は、第一次ブント系、60年安保全学連、三派全学連―全共闘、新左翼系の人々でした。

「会」は、≪9条改憲阻止≫の大義の一点で、広く門戸を開放している、大衆組織ですが、こういった歴史的な流れを母胎として発足したことも確かですし、それを隠すつもりもありません。

僕ら、「会」の政治的、思想的、組織的骨幹は、そのことを誇りとし、隠さないし、この世代の創出した民衆運動の正、反の全てに責任を負いつつ、前進してゆく覚悟をしています。

この姿勢の中にこそ、改憲阻止、民衆と人間の解放の大いなる可能性を確信しています。



2. 「会」のこの一年間の闘いの軌跡について。

以降、約1年余の間、「会」は「6・15」まで、以下のごとく、活動を続け、闘い続けてきました。

 '06年 6・15国会デモ(呼びかけ対象、約800名中、参加230名、学生100名)。「9条改憲阻止の会」へと改称、世話人会方式で運営。

 '06年 8月・討論集会(参加50名)

 '06年 10・21銀座デモ・マリオン前青空トーク(参加約330名)。出入り自由の「実行委員会」方式へ

 '07年 2月・討論合宿、一泊二日(延べ48名)。ハンスト・座り込み提起。

 '07年 3月20日〜5月2日、連続44日、正味30日間、ハンスト・座り込み・カンパ・帳(延べ1000名超)。
     闘争現地ニュース発信メールは、1日に、約4000本。

 '07年 5月、「9条改憲を許さない6・15共同行動」実行委員会結成



3. この一年間で「会」が獲得した四つの貴重な教訓について。

この一年間で「会」が獲得した四つの貴重な教訓について。

この1年余の活動の継続は、私達に次のような4つの貴重な教訓を与えてくれました。

「会」はこの教訓を精神的糧、生命力にして、日々奮闘してきました。

第一に,全ての人々、民衆は、あらゆる権威、権勢、教義から自主・自由なる存在としての個人として何よりも、尊厳されねばならないこと。

この尊厳性を、最高尊貴することに於いて、「会」は成り立ち、発展してきたこと。

「会」は自主・自由なる人間、民衆の連合した民衆大衆組織であることをしっかりとより自覚すべきであり、叉自覚しています。

第二に、この民衆、人間の自主性をしっかりと思想的土台にして、違いを残しつつも、「9条改憲阻止」という共通の大義に於いて団結し、闘うこと。

このような内容に於いて、「小異を残して大同に就く」諸個人の関係性の基本原則が獲得されてきました。

この観点から、違いを強調し、意見の相違を暴力的対立、抗争で解決しようとしてきた過去、民衆の中にあり、今も完全には払拭されていない、忌まわしい悪風を一掃すること、叉この作風の裏返しとして相互補完的に存在してきた「排除の思想、慣習」を克服することの重要性も認識してきました。

第三に、思想、要求を実現する最大の目安は何よりも行動であること。

実践行動に具現されない言説、その他の行為、存在は、有名無実か、害毒にす らなること。

私達は、この観点にたって、延べ40日間に及ぶ国会前ハンスト、座り込み

行動などに象徴される、様々な果敢な実践行動をやってきました。

この行動性、行動力に於いて、或いは、それを正しく方向付ける戦術、作戦の妙こそが、今の運動発展に痛切に求められていると感じ、それを必死で可能にしようと奮闘している集団です。

第四に、独りよがりに陥らず、日本有権者の半数の3500万の日本民衆、ひいては、日本国民全員を獲得する浩然の気概を持ち、そのために広く門戸を開放し、運動にとって、あらゆる有益な意見、有益な人々を尊重し、礼を尽くして摂取したり、招いて行かなければならない、ことの自覚。

この四つの教訓的観点で、あらゆる人々、団体との共闘を追求し、運動を広げて行こうと思っています。

そのために、創意工夫による、民衆の自主メディアの開拓、既存大手メディアの活用を心掛け、私達の主張、想いが広く日本民衆、国民に伝わって行くよう努力してきたし、今後も努力します。



4. 今後の基本展望と基本方向について.

下部構造、経済レベルから見た<反改憲闘争>は如何に捉えられるべきか。

グローバリゼーションとネオリベ路線は第三次資本制帝国主義、グローバリズム帝国主義の本性から発するものです。

そして、このグローバリズム帝国主義のグローバリゼーションとネオリベ路線に改憲攻撃は立脚して、出て来ていること、このことを、僕ら民衆はしっかりと認識しておかなければなりません。

決して、執権勢力の気まぐれの思いつきでもなければ、一時的な政治動向でもありません。

もう少し、敷衍すれば、このグローバリズム資本制帝国主義が破綻しかかっていること。

その、破綻を彌縫しつつ、資本主義体制を何とか、戦争で延命させる資本と権力の一大戦略的課題として、9条改憲攻撃が設定されている、ということです。

グローバリズム帝国主義は、マルクスの時代の産業資本主義の段階、レーニンが指摘したような、独占資本帝国主義の段階の資本主義に続く、第3段回目の資本主義です。
この資本主義は、マルクスの「資本論」で指摘したような資本主義の根本的、原理的性格、レーニンが指摘したような「帝国主義論」のような、「帝国主義」的性格を有しつつも、ベトナム戦争以降、世界植民地体制が崩壊し、旧ソ連や中国が資本主義化する事によって、文字通りの、もっとも純化し、典型化した単一の世界市場の形成をベースにしています。

これと一体の直接的資本制生産過程とその蓄積構造が国際化、世界化した資本主義といえます。

この資本主義は、

イ、 資本制生産力を超巨大化し、特殊には、原発や核兵器を発達させる事によって、人類の地球的規模の生活環境と地球と人類そのものを破滅させる程に至っています。

ロ、 或いは、世界の資本主義化を推し進め、自らの成長と利潤追求の為に、発展途上国を、自らの犠牲的基底に常に押しと留めんとします。

それ故に、途上国に向け、局地的侵略戦争を恒常化する資本主義と言えます。

ハ、 或いは、かつてのような資本と資本主義列強の国民国家間同士の熾烈な競争が、かつてのような、世界戦争を勃発させて行ったような、世界戦争構造を可避することの替わりとして、相互間の競争を、世界市場をベースとするグローバルな相互依存の構造を創出しました。

それは、結託を主とする結託と闘争の関係です。

この関係を通じて、労働者等民衆に、「自由競争」の名の下に、新しい質の搾取と収奪を強いて来ています。
それは、世界のあらゆる諸国での、「格差」化現象として,現われ、世界の民衆に、「新しい質の貧困」、「新しい質の不幸」を生み出して行きます。

ニ、 しかし、この、アメリカ帝国主義を中心機軸とする、このグローバリズム資本主義は、イラク・中東侵略に見られる如く、破綻に瀕し、徐々に破局を迎えつつあります。

ホ、 戦後、一貫して対米従属関係に立ちつつ、帝国主義的復活、膨張を続けてきた日本資本主義は、アメリカ帝国主義の破綻化のため、アメリカに頼り続けるわけには行かず、自ら自身の戦争遂行体制を構築、強化せざるを得ません。

その事によって、アメリカ帝国主義を補強しつつ、世界資本主義体制を防衛し、そこでの覇権確立を追及せざるを得ません。

ヘ、 このようなグローバリズム帝国主義世界体制の破綻情況の進展下で、日本資本主義は自らの延命を賭けて、戦後民主主主義体制からの脱却を図らざるを得なくなっているわけです。

それこそが、「戦後レジームからの脱却」「美しい国日本へ」と称する改憲攻撃であるわけです。

ト、従って、改憲推進は、日本資本主義が、資本主義として延命してゆくための資本にとっての避けて通ることの出来ない、日本と世界の労働者等民衆への戦略的攻撃、環として、設定されている、ということです。

以上、上記しましたように、僕ら民衆は、この改憲攻撃が、資本主義が資本主義であることに於いて、不可避な事柄であること、としてしっかりと認識しなおしておかなければならなりません。

このことを、重ねて強調しておきます。

反改憲闘争の基本性格、攻防の政治的・運動論的性格とは?そこで、留意すべき二つのこと。

従って、このことをしっかりと踏まえるなら、民衆側の反改憲闘争の基本戦略は、5〜10年の射程で、憲法を遵守するか、遵守しないか、をめぐりつつ、これを一大攻防環としつつ、最後は、支配と被支配の、体制の存亡、現資本主義体制の存亡を賭けた、倒すか、倒されるかの“権力を巡る闘い”、“権力闘争の性格”を持った一大決戦となること、そして、それは政治・軍事的〈運動論的〉性格としては、その経済的基礎、攻防の広さと深さの性格からして、“持久戦的な、大会戦的、大戦役的”大攻防となってゆくことを、しっかりと洞察してゆくべきです。

しかし、この闘いの性格で留意しておくべき事柄が以下二つあると思います。

一つは、例え“権力を巡る”戦いであるにしても、民衆側からすれば、<平和と民主義とより良き生活>、つまり、「いのちと人間の自主性、そのための労働を最高尊貴」する「世界平和と主権在民、民主主義、より良き生活」といった、憲法理念とそこからの基本法規にどこまでも忠実となって、追及されてゆかなければならないこと。 

あるいは、現憲法の足らざる所、限界性は、それを資本主義批判、民衆中心、人間中心の観点で、点検しなおし、読み替えて、より実質的な内容にしてゆく観点、方法が必要なこと。

このように、社会を憲法の基本理念に沿って改革、変革してゆくか、否か、かが肝心なことと思います。

これまで、ないがしろにされ、空洞化されてきた憲法理念とそこから導かれた基本法規を、如何に実質的に実態化、実現しなおしてゆくか、の観点・方法が重要です。

どこまでも憲法理念に忠実に、進めて行くこと、その線に沿って、社会主義を内実化してゆかなければならないこと。
決して、憲法理念やその基本法規と対立するような視角で、<プロレタリア独裁〉や<社会主義>を、観念的に唱え、その教義から出発し、憲法やその闘争を、政治利用主義的に扱ってはならないこと。

逆に、憲法理念やその基本法規から<プロレタリア独裁>や<社会主義>を、内実化、豊富化してゆくべきこと。 

以上を踏まえるなら、9条改憲阻止の闘いは、かかる管制高地、“権力を巡る闘い”、“全民衆的課題”、“全民衆的政治闘争”、政治・軍事上では“大会戦”大戦役“”として、はっきりと位置づけて良いし、否、位置づけるべきである、と思います。

今ひとつは、(3)の「会」の4つの教訓、組織上の立脚点、基準を、どこまでも忠実にじっこうしてゆくことです。これは繰り返しませんが、この教訓をしっかりと守り、推し進めてゆけば、この憲法大会戦を必ず勝利的に推進してゆけます。

以上3点を、しっかりと洞察してゆくべきです。

しかし、この闘いの性格で留意しておくべき事柄が以下二つあると思います。

一つは、例え“権力を巡る”戦いであるにしても、民衆側からすれば、<平和と民主義とより良き生活>、つまり、「いのちと人間の自主性、そのための労働を最高尊貴」する立場、思想から、「世界平和と主権在民、民主主義、より良き生活」といった、憲法理念とそこからの基本法規にどこまでも忠実となって、追及されてゆかなければならないこと。 

あるいは、現憲法の足らざる所、限界性は、それを資本主義批判、民衆中心、人間中心の観点で、点検しなおし、読み替えて、より実質的な内容にしてゆく観点、方法が必要なこと。

このように、社会を憲法の基本理念に沿って改革、変革してゆくか、否か、かが肝心なことと思います。

それゆえ、これまで、ないがしろにされ、空洞化されてきた 憲法理念とそこから導かれた基本法規を、如何に実質的に実態化、実現しなおしてゆくか、の観点・方法が重要です。

どこまでも憲法理念に忠実に、進めて行くこと、その線に沿って、社会主義を内実化してゆかなければならないこと。

決して、憲法理念やその基本法規と対立するような視角で、<プロレタリア独裁〉や<社会主義>を、観念的に唱え、その教義から出発し、憲法やその闘争を、政治利用主義的に扱ってはならないこと。

逆に、憲法理念やその基本法規から<プロレタリア独裁>や<社会主義>を、内実化、豊富化してゆくべきこと。 

以上を踏まえるなら、9条改憲阻止の闘いは、かかる管制高地、“権力を巡る闘い”、“全民衆的課題”、“全民衆的政治闘争”、政治・軍事上では“大会戦”大戦役“”として、はっきりと位置づけて良いし、否、位置づけるべきである、と思います。

今ひとつは、先述した(3)の「会」の4つの教訓、組織上の立脚点、基準を、どこまでも忠実にじっこうしてゆくことです。

これは繰り返しませんが、この教訓をしっかりと守り、推し進めてゆけば、この憲法大会戦を必ず勝利的に推進してゆけます。

反改憲闘争の持久戦的な総力戦的、総合陣形とは?そこでの、留意すべき重要環とは?

戦略的管制高地としての憲法攻防は、それ故、闘いの主要基盤を労働者等民衆にしっかりと定め、先述した、4つの教訓、理念、組織原理に沿いつつ、その諸課題と緊密に結びつき、その諸課題を包含し、集大成するものとして、諸戦線との結合関係を強めてゆかなければなりません。

他方、諸戦線の民衆は、解釈改憲論−憲法空洞化戦略で奪われた80年代以降の諸民衆の「平和と民主主義、より良き生活」の民主主義の諸高地を、この管制高地としての反改憲闘争と融合、一体化しつつ、憲法の理念とその定める法規を基準にして奪還して行かなければなりません。

このような管制高地を巡る大会戦的闘いと民衆の諸戦線の闘いが結合される中で、持久戦的な民衆側の総力戦的、総合陣形を構築して行く認識がしっかり、自覚されなければなりません。

このようにして、三世代結合、全民衆的、全国民的な総合の攻防陣形が獲得されてゆかなければなりません。

そして、その要が、次代を確実に担う位置にありながら、“戦争を実感として知らない(と強制されてきた)”、青年層に据えられなければならないことは明らかです。

青年層は、戦争を実感として知らないにしても、他面ではグローバリゼーション、ネオリラリズム攻撃に遭って、労働、生活面で目茶目茶にされ、現体制、現執権勢力と決定的に対決せざるを得ない運命にあり、私達、反改憲勢力は、この青年層の労働、生活面での闘いを、この青年達の置かれている状態の認識、そこで生まれてきている要求や感性、言語ら文化をしっかりと研究して、的確に、掴み、徹頭徹尾、青年達の闘いを、誠実に支持、支援し、信頼を獲得して行かなければなりません。

その中で、反改憲闘争の意義を倦まずたゆまず、あらゆる方策を駆使し、訴えて、この意義の理解を得るように努力し、反改憲闘争と青年の諸運動をしっかり戦略的方向を見据えつつ、結合させてゆくべきです。



5. 結語、防御から対峙に、布陣を敷きなおし、出征しよう。

これまでの、執権勢力の攻勢に迫られての、付け焼刃的、“とりあえず抵抗”、“とりあえずの反撃”の自然発生的な防御的対応を私達は、卒業しよう。

我々、日本民衆は意識的、能動的な、かかる大会戦勝利に向けた戦略の下、出征を開始しなければなりません。

昨年に続く、本年の第2回「6・15」闘争は、この大戦役的攻防への、防御から攻勢への出征の最初の第一歩でした。

皆さん、共に闘いましょう。いざ、闘わん。


塩見孝也