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都知事選をどう総括するか


2007年 4月 9日

塩見孝也


以下は、昨日(4月8日)おこなわれた都知事選の結果についての総括です。

1. 「現職の強み」を覆すに足るほど、民衆側の主体的成熟が未だ − 可能性をを秘めていますが − 達していない、力量が届いてない、ということではないでしょうか。

これは、仕方がない訳ですが、流動化し始め、矛盾が集中し始めてきている東京に、新しい現象が、どう起こるかだったと思います。

起こったといえば、起こった、起こらなかったといえば起こらなかった、といえます。僕は、こう考えています。

石原は、前は70%占めましたが、今回は51%です。この意味では、下降していることは確かですが、民主、共産、社民をあわせたものを上回る票を、各区で満遍なくとっています。

しかし、合わせれば接近はしています。

だから、暴走への歯止めや、彼がトチッた所で、民衆側がリコール権を発動するということもあるわけです。

叉、20代や30代の世代、無党派が前回の、小泉選挙ほど、もって行かれていず半数は、批判票を投じています。

自民党ともなれば、もっと批判的になります。

多分、半分、それ以上になるでしょう。

叉、「学会」票が、公明党に集約しきれず、散り始め、2割近く、反石原に回っているのも注目しておくべきです。

浅野陣営の準備不足、共産党のセクト主義により候補者を一本に絞れなかったこと、等が直接の原因として挙げられます。



2. 主体的に見れば、以下のことではないでしょうか。

執権勢力に対決する直接民主主義の大衆運動の爆発を背景にし切れていないこと、大衆運動は去年頃に比べれば、比べ物にならないくらい、起こっていますし、労働運動、春闘、プレカリアートの運動、反改憲や教育に対する政治闘争ら、どんどん起こってき始めていますが、まだまだ未熟で力強さ、ダイナミズムがありません。

この量と質を、グレードアップすることだと思います。

その為には、運動の基本理念が必要で、ここから市民運動や民族運動の中にある渾然さ、玉石混交を振り分けつつ、徐々に一つの方向に、まとめてゆくことだと思います。

こうすれば、力強さと運動のダイナミズムが出てきます。

民衆の選挙への対応原則は、大衆闘争の爆発→民衆権力樹立〈コンミューン樹立)であり、この大方向の下での、選挙・議会闘争でなければなりません。

この大方向抜きに、選挙に一元化すのは、完全に間違いで、向こうの思う壺です。

金、組織、広報網、暴力らを持った陣営に、同じ手法で勝てるわけがありません。

「議会を通じた平和革命」ではなく、「大衆運動を通じた民衆権力の樹立」、それを「最大限平和的にやる〈命の大切さをしっかり自覚した革命的暴力、自衛武装、ミリシャス=民兵思想を堅持する)」、この基本路線の一環で、選挙もやる、のです。

民衆が出来ることは、直接民主主義の各種の大衆運動です。

ここでは、みんな自主的、創造的にに闘えます。

これからの、民衆の闘いの理念は、「資本主義に矛盾の根源がある」、資本主義批判、「資本主義とは全く異質の(世界)社会主義に於いてのみの打開の方向あり」、といった「世界同時革命の理念、原則」だと思います。

これを、意識的に押し出し、資本主義を前提にした民衆の覚醒運動が袋小路に落ちいっていること、このことを明確にしてゆくことだと思います。

スターリン主義によって「社会主義」は汚され、手垢が付いてついてしまいましたが、新しい社会主義のコンミューンのイメージこそ、積極的に打ち出すべきです。

この、観点で、民主主義や民族愛着を、止揚し、民衆中心の者として再生すべきです。

民衆の世界に開かれた、情報革命を逆利用した直接的な民主主義、或いは「愛国家主義」ではなく、「世界に開かれた、愛郷主義〈パトリオティズム)」によってです。

この中に、資本家を出来るだけ巻き込み、味方につけること、そのために、職場闘争を労働組合再生、自主管理、経営の民主化、協同組合化などを通じた生産の社会化、経営の民主化の方向で闘うこと。

これを追及すること、ヤマトが中心だが、他外国人を排除せず、共存を追及する、地域コンミューンと職場、企業,工場との結合してゆくことだと思います。

僕はこのような、民衆の思想・政治・文化の面での革命、覚醒を、今後の闘いの中でやりきって行くことだと思っています。



3. ところで、注意しておくべきことが一つあります。

石原の選対本部長が、佐々淳行 元内閣安全保障室長だったことです。

彼は、自民党の長老で、見識、実力ともにあった、僕も「敵」ながら天晴れと思う後藤田正晴氏の直弟子です。

そして、70年大会戦の際の、権力側の前線指揮官とし、後藤田と組みつつ、東大闘争、浅間山荘攻略を指揮した人物です。

彼が「反省しろよ、慎太郎。だけどやっぱり、慎太郎。」のキャッチコピーを発案し、これを石原に承認させ、陣頭指揮をしたのです。

彼の基本政治認識は、「この闘い、今後の戦いは、戦前を継承した戦中派と戦後の団塊、全共闘世代の戦いであり、いずれがその後の30代、20代と結合するか」だと、鮮やかに、問題の核心を言い当てています。

僕もそう思います。

60年から70年の攻防は、今、改憲をめぐりつつ、反改憲と改憲の攻防として世代的に受け継がれています。

こう見てきますと、60年安保世代、70年安保世代を結集しつつある「9条改憲阻止の会」と「佐々−安倍の連合」は、今後対決の基本軸となって浮かび上がってきます。

僕らは、この意味で、60年、70年闘争を復権しつつ、戦後民主主義派を正しく復権し、それを今、資本の棄民政策の下で苦吟するマルティチュード、プレカリアートの20代、30年代の青年労働者階級の「生きさせろ!」の要求の運動と結合させ、政治闘争と経済闘争を結合させ、老、中、青の三世代結合を図ってゆく、ことが戦略的に最重要と考えます。

塩見らの「4・28沖縄デー復活、安倍政権打倒行動」実行委員会はこれを結合させるべく、今奮闘しているわけです。

これを、結合させ、その合流、成果で、6・15闘争を爆発させてゆくのです。

このためには、新左翼運動の再生、ブント運動と革共同運動、とりわけ中核派の「内ゲバ」の自己批判が、ねばり強い共闘と原則的討論の積み上げの中で、実現されていかなければなりません。

このことは、別の機会に述べます。