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連合赤軍問題総括はどこまで来ているか


フランス人・Fさんからの質問に答えて

2007年 4月 5日

塩見孝也


以下は、先月末にフランス人で研究生のFさんからいただいた連合赤軍問題らについての質問に答えたものです。

外国人であれば、当然の質問と考えますが、とは言え、日本民衆、革命家の間にも、未だ完全には払拭されていない質問でもあり、これに、きちんと答えるのは、僕の義務と考えます。

回答は、これまで言い続けてきた僕の持論ではありますが、外国人に合わせた形、内容で、展開するのは、今回が、始めてであり、叉、最近深まってきた思想的、政治的営為を簡潔にまとめて、付け加えて、述べた部分もあり、読者には有益と考え、この際、公開に踏み切りました。

皆さんのご検討を願うものです。どうか、よろしくお願いします。 



●Fさんからの質問(要旨)

僕はFと申しまして、フランス人で研究生です。 

今、「郵政民営化と日本の労働組合の変化」について論文を書いているところです。そして活動家でもあります。

日本赤軍の事について、この間本を読んでおきました。フランス語のやつなんですけど。

日本赤軍に興味がありましたけれども、そこまでひどいことをしたなんて、赤軍のメンバーが殺しあったりして、大衆と全然関係なくテロを行ったりしてショックを受けてしまいました。 日本赤軍のやったことに対して、内ゲバとか知らない人を殺したりして反省していますよね? 知らない人をコンテクストなしで殺すなんて、またテロを行ったりするのがファシズムが強まるしかないですよ。テロは革命の道なんかじゃありません。ただ、自分の組合と大衆の間距離を作るという結果だけです。

僕はコンテキストなしでテロに反対しています。けれども、ある程度では暴力に反対していません。 今は国家、ブルジョワ階級が支配しているプロレタリアに対して無情に暴力を振るってるってのは現状だし、今の資本主義を倒すのに革命プロセスでは、やはり暴力が必要でしょう。国家とか社長たちとか警察官とかが毎日暴力を振るってますけど、その暴力は法律に認められていますから、「暴力」だと多くの人が考えていないですね。

とにかく、僕自身は日本赤軍のやってきたことにたいして、めちゃくちゃ悪いやりかただったしか考えれないし、幻滅してしまいました。一体どうやって、仲間のはずなのに、自分の組合のやつを殺せるのかなーと思いました。悲しいしか思えません。日本赤軍のやったことを観察してみると、僕は革命家を見るんじゃなくて、ただ変な宗教、セクトに過ぎない組織だったと僕は思います。  多分時間がたって、冷静に考えられて塩見さんもそういう風に思ってきたのかもしれないですが。 


●Fさんへの返答

F様

改めて、初めまして。元赤軍派議長でありました、塩見孝也です。

今、「4・28沖縄デー復活!安倍政権打倒!闘争」で多忙で、貴兄の質問に十分には、答えられないですが、時間の許す限り答えます。

先ず、貴方は(共産主義者同盟)赤軍派と「連合赤軍派」、パレスチナで活動した「日本赤軍」、よど号ハイジャック闘争をやり、朝鮮「共和国」に行った「よど号赤軍」派らが、一緒くたになり、目茶目茶に混同されています。

第2に、貴方は、僕ら赤軍派や新左翼、全共闘系活動家が、どれほど、「あのような連合赤軍事件を二度と惹起させない」 事に置いて、どれほど思想的、政治的、理論的に苦悩したか、その深刻さが殆ど捉えれきれていず、何か、僕らが、軽々しく、「もう一度テロリズムをやろうとしている(あの戦いは、テロリズムではありませんが)」といった具合に、武装闘争堅持を、全く軽く捉えていることです。

これは、全くの認識不足で、改めてもらわないと困ります。

僕は、この連合赤軍事件を、殺された遠山や山田ら赤軍派5名、革命左派7名の遺志(革命への意志)を胸に秘め、この人達を、常に胸に思い浮かべつつ、武闘教条派や武闘清算派の両思想傾向と闘いつつ、「止揚派」の立場で、研鑽と実践を続けてきたのでした。

この辺の、経緯をFさん、貴方には、是非認識して欲しい、と考えます。 

貴方の、指示されている「日本赤軍」は、永田さん、森君の自称「新党」を名乗った、“野合”「新党」の、「連合赤軍派」のことです。

僕は、これ等の、後に分派して行った、これ等の諸派の母胎であった赤軍派のリーダーですが、その後の諸派については、基本的な責任はありません。

その責任は、その諸分派のそれぞれの指導者が責任を持つべきです。

森君・永田さんの起した「連合赤軍」派の「同志粛清・インチキ“共産主義化”」とは、組織面は勿論、政治・思想的に全くといって、僕は政治、思想の両面で関係がありません。

この辺は、外国人のコミュニスト(アナーキスト?)である、貴方には大変分かりにくい、と思いますが、僕の著書「赤軍派始末記」「監獄記」「幸福論」、或いは「リハビリ終了宣言」など、お読みになれば、お分かり願えると思います。

僕は、獄中にあり、物理的に関与し得ない条件にありましたが、基本的なことは、赤軍派の思想・政治路線とこの「同志粛清」とは、当時20代の青年で、僕にも、未熟性はありましたが、本質的には、何の共通性、関係性もないこと、このことは、はっきり申し上げておかなければなりません。

理由は、この「同志殺し」は、「毛沢東思想派」の、「革命左派」、通称「京浜安保共闘」派から、非合法に分派した、永田さん達と他方、赤軍派から分派した、赤軍派の一部、森派の「軍治至上主義」を名文とする、野合から生じていること。

そして、僕ら赤軍派は、この野合の「新党に」結成には、始めから、強く反対していた、ということです。

赤軍派は,通称新左翼系の「トロッキズム」、革命左派は毛沢東思想派で、粛清を肯定するスターリン主義でした。

前者は「一段階社会主義革命」派、後者は「二段階革命の民族民主主義革命から社会主義革命の連続革命」の路線です。

このように、政治・思想路線の全く違う両分派は、本来、合流して「新党」など創れるはずがありませんが、二人の政治判断の過ちとエゴイズムから、それをなしたが故に、野合に反対する、外の獄中両主流派を支持するグループを、山岳に召集して、騙して「新党」をでっち上げようとしましたが、まとめきれず、その部分を粛清・抹殺した、これが、連合赤軍問題の真相です。

しかも、これを思想的・政治的に主導したのは、スターリン主義者の永田さんで、森君はそれに、違和感を持ちつつも、その強引さに屈服、引き摺られた関係です。

スターリン主義は、日本毛沢東派の中に、肯定的に継承され、それが、日本,70年安保闘争の中で、復活していった、という関係です。

だから、ブント思想の流れの行き着く果てが、連合赤軍事件と考えてはなりません。

ブント思想は、未熟性を持っていましたが、本質的に、粛清の思想は持っていませんから。

この事件は、粛清思想を肯定する革命左派、それを悪く凝縮した永田さんからもたらされました。

ですから、「粛清」の「同志殺し」は、外国の毛沢東思想を教条主義的に持ち込んだ革命左派に因があり、誰かが、いみじくも申しましたが、我々、ブント系から見れば、全く「突然変異」的現象であったのでした。

もっとも、花園君のように、赤軍派でありながら、革命左派に乗り移り、野合「新党」を、肯定、推進した軍事至上主義,盲動主義、匹夫の勇の人も居ましたが。

彼は、このことを未だ、自己批判していませんし、今度は、中国派ではなく、朝鮮スターリン主義を担ぎ、同じ事を2度やろうとしています。

叉松平君のように、「武装闘争はやるべきでなかった」という、プレハーノフの様な清算主義の日和見主義者もいます。  この二人は、連合赤軍に於いて、いなお居り主義と清算主義で、間違った総括の両翼をなし、相補しつつ、連合赤軍事件を混乱させてて来ました。

これに、僕の弟子筋の、ブント内革マル主義の荒君たちが介入し、さらに混乱を深めさせようとしました。

しかし、荒君は、本気で連赤問題を総括する姿勢は、もともとなく、息が切れて、いまやマルクス主義、革命闘争の戦線から、破産し、脱落してしまいました。

二人は、これからの闘いを共にやる中で、その立場、方法、観点を改めてゆくべきです。

新左翼の主流、ブント(塩見もその指導部の一部であった)やその最前衛、赤軍派(塩見が指導者であった)は、粛清を肯定せず、スターリン主義の批判を思想的バネに、誕生した潮流です。

重信さんら「日本赤軍」はその赤軍派の継承者の位置にありましたが、「マルクス主義の本当の超克・止揚」をなせず、弾圧の中で、テロリズムに陥り、一時、破産しましたが、今獄中で、不屈に和光さん、丸岡さん、重信さんらは闘っていす。

「よど号赤軍派」は後に、スターリン主義の朝鮮労働党に屈服し、スターリン主義に転向しました。

その後、朝鮮労働党の指揮の下、意義あることもやれば、大きな過ちも犯し、現在に至っております。

20年の非転向の監獄闘争の後、塩見が出獄した1990年(精確には1989年12月29日)の時期は、外は、赤軍派、ブント、新左翼潮流は、ばらばらで分解していました。

或いは、ブント思想とは違う、黒田寛一の思想を根元とする革共同系は、連合赤軍問題と並ぶ新左翼系のもう一つの宿痾の問題、内ゲバ主義を脱却していませんでした。

叉、資本とその権力は、この問題についての、われわれ赤軍派の、このような、思想的弱、反スターリン主義闘争の脆弱さ、つまり、思想的にも、政治的にも、組織的にも全く関係ないが、森派を出してしまった、という事の未熟性の克服、そのその真摯な自己批判に最大限付け込んで、反マルク主義宣伝をやり、左翼を1972年〜73年の「粛清と銃撃戦」の連合赤軍事件以来、あれから、約30年間の長きに渡って、解体の危機に陥らさせ続けて来ました。

僕についても、様々な予断と偏見、デマが蔓延し、この、僕の政治的、思想的、理論的抹殺の包囲網との敵、味方両面での戦線での、思想的、政治的死闘が僕の主要な闘いであったともいえます。

僕も、上記したような、解析を当初は完全には、やり切れず、やっと、この10年間、それをやり遂げ、完全化し、この5〜6年、反撃に出て、これを、梃子、原動力に、民衆運動と革命運動は再建、攻勢の緒に着いた、というのが僕の現状認識です。
 この総括の順序は

A,マルクス資本主義批判をしっかり学び、労働者階級の革命的能力、地位、役割をしっかり掴み取ること。

 叉、この資本主義批判をベースにして、マルクス、赤軍派の「世界同時革命」論を基礎付けました。

B,次に労働者も人間であり、そうであれば、人間の本性を哲学的に、解明、獲得し、Aの階級性に加え、プロレタリアートの主体形成、構築の思想的基礎付けと主体形成の論理を獲得することでした。

それを、僕は「命を再高尊貴し、それを社会的に輝かせる能力としての自主性」に措定しました。

これが、未熟性克服の第2段階でした。

C,次にBと一体に、「階級性と民族性」の関連、「階級性と民主主義」の関連を解明、措定し、左翼の混乱に基本方向を打ち出しました。
D,この上で、最近、第4段階として、資本主義の第3段階、グローバル資本主義を解明し、そここら、現代の最新の革命の政治路線、戦略―戦術、新しい社会主義、共産主義像を確立しつつあります。

こういった、具合に総括を進めてきたのでした。

僕ら、赤軍派は、不完全であれ、武装闘争を先進資本主義国で追及した、という点では、全く正しく、画期的、革命的で、日本民衆の最前衛であった、と自負しますが、いかんせん、沢山の未熟性を抱え、これを克服し、成熟してゆくのに、この30年間、四苦八苦してきた、というのが、率直な、僕の偽らぬ、あけすけな、感想です。

しかし、僕は、この過程で、以下3点に要約される教訓、政治思想的深まりを、上述の総括進展と一体に、獲得しました。

1、マルクス資本主義批判(「資本論」)を我が物とし、これを武器に、一方では、現代資本主義・帝国主義のグロ―バル資本主義を正しく、批判できるようになり、他方では、赤軍派の綱領的機軸、「世界同時革命」をきっちりと唯物論的、経済(学)的基礎から位置づけられるようになり、現代世界と日本のプロレタリアートの階級意識を、科学的に捉えられるようになったこと。

2、この「資本主義批判、世界同時革命」を基本世界観としつつ、プロレタリアートの主体形成として、「人間論」を、「人間の自主性」として確立し、思想、哲学、世界観の領域で、人間観を確立し、愛や信頼、信義その他の倫理の領域、或いは、社会主義、共産主義の未来社会の構造、特質、そして、それに向けての戦略、戦術、路線も展望できるようになり、この人間認識、思想の一番深い分野での諸問題を解決してきたこと。
3、この、1と2の領域、解決の下で、「階級性と民族、人類の関係性」「階級性と民主主義の関連」を整理し、革命の世界性と一国性、そこでのナショナル民族アイデンティーを越える、世界に開かれた、諸民族性が、個性を持ちつつ融合するパトリオティズム・アイデンティーの立場、方法、観点を確立したこと、また、男女の生、性の関係も解明してきたこと。

これ等の諸点に置いて、かつての、赤軍派の未熟性はほぼ完全に克服されてきていること。

軍事における政治と軍事の関係、非暴力と暴力の関係も、基本的な解決を見つつあります。

赤軍派は武装闘争を主張、実行しましたが、決してテロリストではなく、もともとから、テロリズム、テロリストではありません。

マルキスト、レーニン主義者でした。

マルクス思想、レーニン思想にはテロリズムはなく、反対に、両思想は、これと闘ってきた、歴史的由来があります。

長たらしい説明は、賢明なる貴方を当て込んで、省きました。

どうか、ご賢察を。

それにしても、貴方の日本語の堪能さには驚き、敬意を評しています。

元赤軍派議長  塩見孝也(2007年3月31日、35年前のよど号ハイジャック闘争の開始の日に記す。)