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 −書評−

「生きさせろ! 難民化する若者達」



雨宮処凛 著  太田出版

2007年 4月 2日

塩見孝也


雨宮処凛さんの、「生きさせろ!・難民化する若者達」(太田出版)、これは出色の出来の本です。

彼女の書く物は、殆ど読んでいますが、この作品は、ルポルタージュ、ドキュメンタリー風な領域で、彼女が、作家として一皮向けた、ことを知らせていますし、表現力、内容とも、この間、彼女が追い続けてきた問題意識、社会活動、作家活動を集大成した、極めて、しっかりしたものです。

何よりも非常に分かりやすいです。

「フリーター200万人、パート、派遣、請負など正社員以外の働き方をする人は、1600万人。いまや、日本で働く3人に一人が非正規雇用だ。24歳以下では、二人に一人、何故か?それは若者に「やる気がない」からでも「だらしがない」からでもなんでもない。ただ単に、単に企業が金のかかる正社員など雇いたくないからだ。好きなときに使い、いらなくなったら廃棄し、それによって人件費を安く抑え、利潤を追求したいからだ。国際競争に勝つためなら、若者の未来が奪われようと、食えない賃金であろうと不安定な働き方が原因で心を病もうとホームレスになろうとそんなことはどうでもいいからである」(P5〜6)、このような青年労働者達の労働・生活の状態が、実に分かりやすく書かれています。

この内容・本質は、かって作家・小林多喜二が「蟹工船」で描き、経済学者・川上肇が「貧乏物語」で描き、最近僕が青年達とやっている「資本論研究会」で、つい最近、読了した「資本論」第一部、第三篇の第8章「労働日」の現代的、日本的展開そのものといえます。

フリーター、ニートの不正規、不安定労働者・プレカリアート、或いは精神疾患、過労などで悩む正規社員ら、勤労青年の労働・生活の状態、その感情、要求が、いろんな分野から活写され、それは彼女の怒りでもあることが伝わってきます。

1から7章の章ごとの見出しが、彼女の言いたいことを簡約しています。

1章、「破壊された“働くこと”“生きること”」、ここでは時給1050円で働く若者や子連れで働く転々とする、カップル、管理職故に逆に7000円以下で働かざるを得ない「正社員」などの姿が描かれています。

2章、「フリ―ターの実態」では、フリーターのエキスパートの河野君へのインタビュー、そこで自己責任論や愛国心などが論究されて、妻子もちの三浦君については「フリーターと夢」などを問うています。ここを、読めば「プレカリアート」の実態が誰にでも良く分かります。
3章、「寄せ場化する都市」では、今の社会では、寄せ場が、漫画喫茶など都市全体に拡散し、ここでどのようにプレカリアートの青年達が、自己の生、労働力を再生産しているか、が語られています。この辺は、余り知られていないことです。

さらに、そこで野垂れ死に寸前に追い込まれた青年が、社会救援組織「もやい」などにSOSを送り、生活保護を受け、一時救済されたか、が書かれています。

4章「働くことと」と「生きること」、「こころの病と格差社会」、ここでは、17歳の瑠衣さん、29歳のあゆみさんのインタビューを通じ、リストカットやオーバードーンズら精神の病、そしてその極限、自殺に行きつか、がリアルに描かれています。これは、怒りが社会的に奔出されず、吐き出す方向を見失い、内側、自分に向かう構造が分析されています。メンタル系サイトの意義も説明されています。

5章「企業による殺人、過労自殺」、ここは全く、現格差社会の核心に触れ、その物語は、今の社会の矛盾の極限がどこのあるかを迫真しています。

全く、この書の圧巻部分といって良いと思います。

享年23歳の派遣社員、上段勇士さんとそのお母さん、のり子さんの裁判等闘争の物語。裁量労働制の下での正社員の過労自殺、諏訪達徳さん、享年34歳の物語と原告、そのお姉さんの物語。

6章「抵抗する人々」では、僕らのお馴染みの仲間である「フリーター全般労組」やその団体交渉の姿や「POSSE」の姿、或いは一味違う「貧乏人大反乱集団、高円寺ニート組み合い・素人の乱の人々」のインタビュウが記されています。闘う主体形成の問題として、貴重です。

7章「何故、若者は不安定化したか」、これが彼女の原因究明でありますが、それを社会学者・入江公彦氏やフリーター作家、杉田俊輔氏のインタビュウを通じて語っています。

ネオ・リベ(ネオ・リベラリズム)とフリーターとの関係、「私達はもっと怒ってよい」ことが主張されています。

ネオ・リベラリズムのグローバル資本制帝国主義と労働者階級、そこでの民衆の生活構造と変革の関連ら、については不十分な所、もっともっと深めて行かなければならぬところは、未だ多々あり、問題の設定に於いて、やっと門口に立ったと言えないこともありません。

互いに別々に行われる私的所有と私的生産、その社会的分業関係、そして、商品となっている労働力(賃労働.)、この三つの要素からなる資本制生産様式は、不可避的に貨幣の「呪物崇拝」、「剰余価値の生産・搾取」の関係、上記の事態を産み落とします。

それは、マルクスが描いた産業資本主義の段階、レーニンが描いた「帝国主義論」の時代と異なった資本制生産の第三段階、現代資本主義・グローバル資本主義 の段階ながら、本質的内容を貫徹しています。

であれば、労働者階級は、先ず何よりも、自己の生活を再生産してゆくために、労働力をなるたけたけ、高く売りつけ、その労働の良き条件を獲得しなければならないが、しかし、それを越えて、労働が資本に隷属する所有関係と生産様式の総体、つまり、賃金奴隷制そのものを廃棄する運動へと転化されねばなりません。

労働運動は、資本制生産を廃止する社会主義、共産主義の運動、それに発展する政治運動と結びつかなければならない、という立場、観点、方法の問題であります。

しかし、彼女の言う「生きさせろ」は、現在の社会問題について、全く正鵠を得たものであり、ここを、怯まず真っ直ぐに突き進めば、それは、必ず正解に達するものと思えます。

及ばずながら、この方面のことは先輩として、友達、同志として、お手伝いさせていただきます。

日本、世界のフリーター達、処凛ちゃん、共に頑張ろう。