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内ゲバ問題から「主体性哲学」

僕の「自主性」論らでのSさん達との問答。

2007年 1月 17日

塩見孝也


以下は、Zさんと僕の「改憲」を巡る議論です。政治の、今の現状では、非常に示唆的と思いますので、このホームページで取り上げることにしました。

Zさんからのメール
以下のような遣りとりが友人との間にありました。

私「北朝鮮が脅威だなどというのはデマだ。金正日はチャウシェスクやフセインになることだけは避けたいと思っているはずなので、戦争を仕掛けてくることなどあり得ない」

友人「それには全く同意する。しかし、ロシアや中国が現下の経済発展のもとに軍事大国化してきているのは事実だ。プーチンは反米発言を繰り返しており、米露間が中央アジアの利権などを巡って戦争的な対立をはらまない保障はない。それは中国然り。アメリカ自身も潜在的な最大敵は中国であると認識しているはずだ。近い将来、ロシアにとって中国は最大の原油輸出先になることは必定だし、世界における覇権争いにおいて露中が連合して米との対立を深めてゆく可能性は高い。そうなると、現下アメリカべったりの安保・外交姿勢を余儀なくされている日本は地理的にも非常な危険に置かれることになる。

つまり、ある時点で日本は露中と対立の種をもっていなかったとしても、アメリカが露中と対立した場合に、日本がアメリカの軍事拠点であるという限りにおいて、その危機に巻き込まれる危険性があるということだ。

日米安保とは、そもそも憲法にある戦力不保持を担保する目的で日米が取結んだ条約だ。したがって日本が憲法を改正して戦力を持てばその存在意義を失う。今や日本にとって、安全保障におけるアメリカ一極体制を脱することこそが上記の危機を回避する唯一の政策であると言える。日本独自の利害に基づいて露中米と対等に渡り合うためには差しあたり独自の軍事力が必要であることは当然ではないか。なぜなら露中米はすでに武装し、要求の貫徹にあたってそれを行使することを厭わぬ連中だからだ」

私「それでも戦争は民衆の利害に一致しない。過去のあらゆる戦争はそれを証明している」

友人「そんなことは分かっている。ただ、現実的な問題としてアメリカが露中と戦争を始めた場合、日本全土がミサイル攻撃によって焦土と化す恐れがあることにはどう対応すべきだと言うのか。時間に猶予はない。とにかく日米安保を廃棄することこそが日本の民衆の生命を救うためには絶対に必要な措置なのだ。別個、中国やロシアによる日本への侵略が想定されうる以上、丸腰のままでアメリカにその廃棄を通告することも自殺行為だ。したがって、憲法改正と独自軍事力の整備を急ぎ、そのうえで安保を出来うる限り早急に廃棄すべきなのだ」



Zさんへの返答

貴兄と友人との議論は、面白いですし、やや貴兄はたじたじですね。失礼。

しかし、貴兄が、あくまで、自説を堅持されているのに敬意を感じます。
以下は、僕の友人への反論です。

彼の説は
1、 米中、ないしは、米vs帝国主義〈的〉中・露ブロックの帝国主義戦争的戦争〈戦争的関係〉が前提になっています。

2、 この関係から脱却すべく、日本国は、日米安保を破棄し、憲法を廃棄し、自衛軍〈国家軍〉を持つべき、でないと米、中ロに侵略され、蹂躙されてしまう。
こうだと思います。

 これは、一皮向けば、右翼の中にある、或いは安部に本音としてある「米中への2正面対決」論と思われます。

そして、それは戦前の支配階級が、採用し、破産した政治、軍事路線でもあります。

 ●A、このような理屈、判断は、「国民国家」、つまり「資本制帝国主義国家」を前提にし、資本主義、独占資本主義の帝国主義の延命を前提にした論理です。

 独占資本主義の帝国主義を前提にすれば、必ずこういった見通し、結論となります。

 しかし、僕ら日本民衆、プロレタリアートは、こういった、前提に立つ必要は全く無く、資本主義批判、世界民衆、世界プロレタリアートの利益、平和、主権在民、民主主義要求にあくまで立脚する必要があります。

その上に立って、各国プロレタリアートは、自国の戦争推進政府、権力、体制を、世界プロレタリアートとして、同時打倒する、革命的祖国敗北主義の原則を貫き、世界(・自国)同時革命のプロレタリア革命を追求すべきです。

そして、平和憲法の基本理念を継承し、国家自衛軍ではなく、下からの民衆自衛組織〈ミリシャス〉をつくってゆけば良いと考えます。

憲法は、国家常備軍を禁止していますが、民衆一人一人の自主的自衛は否定せず、正当な民衆の権利と認めていると解釈できます。

これが、自衛論の基本原則で、これを、自民党ら執権勢力は、「自然権としての国家自衛権論」にスライドさせ、すり変えていること、社会党、共産党も、この枠に、はめ込まれ、「解釈改憲論」に対して、奇妙キテレツナ「違憲合法論」などを展開する過ちを犯して来たわけです。

新左翼は、資本制と「国民国家否定」から、始めは、憲法を尊重しながら、「プロレタリ独裁論・常備軍としての「赤軍」容認」という矛盾した、憲法利用主義に陥る、プラグチズムに陥ってしまったのです。

 この点の深い意味での、人間論、非暴力論らを踏まえた総括が必要で、僕は、それを「ぱとり」でやっています。

利潤追及第一の資本主義を廃止する方向で、資本主義に轡をはめ、資本主義の宿命としての膨張、覇権争いから脱却すれば、そして、世界平和のための世界同時革命の根拠地に、日本国が変わって行けば、その影響は世界に広がり、世界の覇権主義国家、好戦主義支配階級は、世界・各国の人民大衆によって打倒されてゆきます。

ここにこそ、日本民衆、日本民族、世界民衆、人類の戦争阻止、可避の脱出口があります。
アメリカ、中国、ロシア、日本のプロレタリアートはこのような基本的原則の下、プロレタリア国際主義を貫き、強固な国際連帯をやり、国際反戦闘争、諸民衆闘争を闘ってゆくべきです。そして、自国の戦争推進政府、権力、体制を打倒すべきです。

 彼は、民衆、プロレタリアートの利益、要求に立脚する基本観点がなく、資本家、支配階級の要求、利益を擁護する見地で、それを前提にして、お相伴的に民衆の利益を考える立場です。か、この点が、極めて曖昧です。

 そして、「前回は負けたが、今度は負けないぞ」といったヒットラー張りの民族復讐主義が仄見えます。

●B, 叉、彼は現代、現代資本主義に関する変化の認識が薄く、レーニンの古典的帝国主義義論的認識が基本となっています。

 このような、「国民国家間の戦争」の危険性は、完全には消滅していませんが、その危険性は、著しく減少している、と見るべきです。

 第一に、資本主義はグローバリズム資本主義の段階に到達し、相互依存関係が強く、国境を越えた資本制生産の社会的分業の発展、協業の発展、工場内分業の世界化が進展し、最早、戦前のブロック経済のような閉鎖経済に後戻り出来ない状態に至っています。
 そして、これまでの人類史に例を見ない単一の世界市場が現出し、この世界市場抜きに各国資本主義は存立し得ないところまで来ています。

 貴兄の友人の指摘は、現象論、あるいはその断片的事態で、グローバル経済、世界単一市場、グローバル資本主義を、前提とした、帝国主義の闘争と結託、覇権争いの特質と言えます。

 従って、その現代帝国主義の不均等発展の矛盾は、かつての30年代のように、ストレートに帝国主義間戦争に発現しない可能性が高く,その矛盾を、第3世界、発展途上国に向けて、ねじくれて発現していると見るべきです。

 この対「南」戦争、つまり「南北戦争」の継続、この意味での、「国境を越えた、グローバルな戦争」が、現代帝国主義の矛盾の基本発現形態と言えます。

 第二に、核兵器による軍拡競争、核戦争は、帝国主義者、帝国主義の共倒れ、自己消滅、彼等が搾取すべきプロレタリアートの消滅、つまり、資本制生産の自滅を意味し、一般に指摘されているような環境破壊を伴う人類、地球の破滅の危険を確実化している、ことも基本原因です。

 第三に、このような、利潤追求第一、つまり我慾、煩悩のままに自己の欲望を発現することが、その欲望の凝集としての国家間戦争を招き、自己の消滅に至るような人類史の段階に到達している、認識、教訓を与えてくれているわけですが、そこから引き出せる、更なる教訓は次のことです。

 人類は、資本主義とその政治的存在形態、国民国家を廃止、超克し、自己の欲望をコントロールし、生産力主義思想と訣別し、自足・自得し、循環的な自然のいのちと一体化するような、哲学、倫理を持った、単一の民衆中心の人類共同体〈世界民衆共和国〉を創出し、真の意味での「ポスト・モダン」の世界を創出しなければ、自己消滅してしまう人類史の段階に至り始めている、という教訓です。

 つまり、戦争の根源であり、その手段であった資本主義と資本制国民国家の頸木から、人間、民衆、民族、人類は脱却してゆかない限り、ニッチもサッチモ立ち行かない歴史的段階に至りつつあるわけです。

 貴兄の友人には、このような認識は、残念ながら、全く見られず、石原莞爾の「世界永久戦争」のような、古ぼけた、一国主義的認識しか見受けられません。

●C、この観点から、日本国憲法の歴史的意義を見据えて見ますと、その歴史的で、偉大な意義が鮮明に捉えられます。

 日本国憲法は、先の戦争、日本近代の戦争の悲惨、非人間性、反民衆性を国民的体験として、国家規範として定着させたものであり、憲法前文、憲法第9条の平和理念、主権在民、民主主義の条項はすばらしいものです。
 とりわけ、9条が交戦権の否定、国家の軍事力保持を否定し、常備軍の不保持を宣言したことは、素晴らしいことです。

 被爆体験を頂点とする戦争の超悲惨性の国民的体験が、このような、世界のどの国家の憲法にも見られない、20世紀を越え、21世紀に於いて、より普遍性を持ってますます輝いてゆくようなこのような憲法を産み落とした、ということです。

 日本国憲法は、21世紀に於いてこそ決定的意義を持って輝いてゆく、人類の魁的叡智を具現していたのです。

 彼は、全然このような、憲法の世界史的意義がわかっていません。

 戦争を無くすには、国民国家の支柱である国家常備軍を、諸民族、諸国民が否定することが、先ず先決の最重要事項として、何よりもその要件となります。

 そのことを、日本国民、民衆は、この憲法において、はっきりと宣言したわけです。
 このことは、世界の資本主義、列強が未だ、国家の論理に呪縛され、覇権主義、軍拡競争に明け暮れている情況で、このような論理とは全く違う、21世紀の人類の道義を、世界に先駆けて宣言したことを意味します。

日本民衆、国民、このヤポネシア日本列島に住む日本人(ヤマト)を始めとする諸民族は、この憲法の世界史的意義を理解し、世界に魁(さきがけ)する道義性を世界に発信してゆくべきです。

 勿論、私有財産制、営業の自由が憲法には規定され、プロレタリア人民大衆の社会の基幹的生産的役割は指摘されず、その生存の保障は、僅かに「生存権」、人間としての「最低の文化的生活保証」らに留められ、「主権在民、民主主義」と矛盾する側面をこの憲法が、有していることに於いて限界性を持っていることは言うまでもありません。

 とは言え、この憲法が、さし当たって、日本民衆、国民の規範とするに値することは明らかであり、これを起点にして、日本民衆は、より高い一国主義を脱皮した社会、それを「世界コンミューン社会」、「世界人類共同体」、「世界社会主義」と言うかは、別にして、この世界平和、主権在民、基本的人権をガイストとする憲法を、その良きところ伸ばし、悪しき限界あるところを改めて行けば良いと思います。

 一方で、僕らは、憲法を尊重しつつ、反改憲闘争を闘いつつ、主権在民と民主主義を真に民衆のものとしてゆく中で、資本家と経営者を分離せしめ、経営、経営者を変革してゆき、プロレタリアートは、経営を民主化しつつ、自主管理を目指し、資本主義、資本の専制を批判し、生産の社会化、協同組合化を利潤追求第一の方向ではなく、ストレートな生産の社会化の方向に、生産関係を構造的に改革してことだと思います。

 それを、地域の、民衆自衛軍、ミリシャス(民兵)を持ったパトリ・コンミューンと結合させ、資本主義権力の対極に民衆権力を創出して行くことではないでしょうか。
これが、民主主義から社会主義への道、回路だと考えます。

●D, 貴方の友人は、徹底した一国主義の国家主義的民族主義者のような気がします。少なくとも、彼の主張を純化してゆくとそうなります。

 この点で、対米従属、民族独立の「安全保障」に敏感なようですが、対米従属の打破は重要にしても、真に民族が自主的であるためには、覇権主義と民衆抑圧を本性とする、資本主義、資本制帝国主義を廃止すること、プロレタリア人民大衆の安寧、福祉が第一に置かれなければならず、アメリカから自立しても、資本家、資本主義を強化し、民衆の自由、福祉を行わず、その反対のことを、資本家、資本主義第一で行うなら、全くの虻八取らずとなります。

 日本は、世界から孤立し、核武装ら軍事至上主義で破産してしまいます。

 反米愛国を、世界同時革命の資本主義の廃止、プロレタリア革命と結びつけ、これを、優先させつつ、全世界のプロレタリアートの国際主義的団結の下、一個二重に推進してゆく視点が全く欠けています。

このこととこそが、国民国家に集約されない、開かれた、僕の唱えるパトリオティズム〈愛郷主義〉です。
が、友人の説は、これでは、安部や、独占資本主義の尻押しをするようなものです。
 民族の良き伝統や文化を愛することと世界同時革命、社会主義は全く矛盾せず、反対にこの道に於いてこそ、日本人の良き文化,伝統は保全され、世界文化と個性を持ちつつ融合されてゆきます。

 友人は、先の戦争の根源が資本制帝国主義の利潤追求第一から発生しているとは考えず、従って資本主義を廃止する方向で考えず、「人種戦争」と考えたり、「アメリカ帝国主義らと上手くやれば、戦争は避けられた」、或いは、「中途で手打ちが出来た」、「組む相手を間違えた」と考えているのではないでしょうか。

 いわゆる、「敗戦責任は考える」が、「戦争責任はとらない」と考えているのではないでしょうか。

 僕は、戦争の前段階で、戦争発生を阻止することは、30年代、総合的に考えれば、困難だったと考えていますが、戦争を阻止する道は、プロレタリアートの立場にたって、資本主義、帝国主義と闘う以外にないことは確かと、考えています。

 友人は、戦争の根源をナント考えているのでしょうか。




               塩見孝也