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ある批判者、「死神」君への反批判。

塩見孝也

2006年 10月 14日


掲示板への「死神」氏の書き込みは、こちらにまとめました

                    

1:君は「銃をとるな」を勘違いしてない? 

僕は、「戦争否定、戦争をしない、させない」を強調しているだけです。この観点から、支配階級が牛耳る国家権力、その暴力装置、「自衛隊に入ったりし、兵士として人を殺す戦争に加わるな」と言っているのです。

この何処が間違っているのでしょうか?

僕は、昔も今も、仲間、若い人達にそうすべきでない、と言って来ました。

これは、全く正しいし、一貫していると思うのですが、そうではないのですか。

それとも、君は、対米従属軍隊、自衛隊に入隊し、戦争をもう一度やれ、と言っているのですか。

君は対米従属の安保を認めているのですか。

或いは、戦前の帝国主義侵略戦争を肯定しているのですか?

どうも、僕にはそう思えてならないのですが、いずれにしても君の政治的・思想的立場を明らかにして、人を批判すべきでしょう。

「死神」さんよ、正体を現せ!


2:確かに、僕や、僕等の世代は、「戦争を永遠に戦争を消滅させるための、そのための戦争、革命戦争を辞さない、」立場に立っていました。

この意味では、今、僕が非暴力思想を強調し、戦術としても非暴力闘争を強調するのは、矛盾しているのかもしれません。

しかし、僕は、それは、間違いではなく、矛盾していても良いことだと思っています。叉、一貫していて、全く矛盾してないとも、答えておきます。

あの70年安保闘争から30数年がたっています。

世界と、日本の民衆は、あの横暴なアメリカ帝国主義のベトナム侵略戦争を打ち破り、世界と日本の反戦・平和闘争は勝利しました。

が、その後、時代は大きく変わり、資本制帝国主義もグローバル帝国主義の段階に至り、世界も日本の民衆も、これを攻めあぐねているのも事実です。

しかし、これは時代の転換の所為であり、ある世代とその政治潮流、指導者の所為にするとしたら、それは全くの観念論と言えます。

あの時代、60年代、70年代では、新左翼潮流とその指導者達は、限界もあるましたが、よく闘った、これが僕の評価です。

貴方の言説が、こう見てくれば、全くの歴史を個人の主観に於いて見る、観念論であることは明らか、と言えます。

であれば、70年頃、ある程度、歴史的必然性を持っていた、武装闘争路線も、この時代の変化に応じて、転換するのは当然と思います。

とりわけ、あの当時の正、反両面の教訓を活かしつつです。

このような見地に立って、僕は、70年闘争の時の、武装闘争を様々な不十分性、限界を認めるものの全般的に見れば、全く正しい行動だった、と今でも信念しています。

死神君、あの当時の武闘争路線を僕は否定、清算してないよ。



3:否定、清算しているのは、「連合赤軍」に頓(とみ)に現われた唯武器論、軍事至上主義の「同志粛清」「同志殺し」を許容する路線です。

これは、革共同両派の内ゲバと共に武装闘争における極偏向した思想と路線です。

この偏向は、民衆第一、人間中心の思想、資本主義批判,主として思想面が弱かったことから発生していること、それゆえ、人間自主思想をしっかり持ち、民衆第一で進むべき、だと僕は総括しています。

今ひとつは、非暴力思想を、民衆(自衛)武装の思想と同一方面で、対立的に捉える弱さがあったことです。

非暴力思想は、もう一段深い、レベルの問題として、当時でも、もっともっと重視されるべきであった、と思っています。

そして、30数年を経て、武装の問題で得た結論は、以下のような非暴力思想に裏打ちされた、外国侵略軍、権力者達、民間人(保守反動、反革命)のどうしても正当防衛として,対応せざるを得ないような理不尽な暴虐に対する民衆諸個人とその共同的関係性における自衛のみに限られるということです。



4:ところで、ここまで来て、「連合赤軍」と赤軍派の関係、僕の関係を、必要最低限で、簡潔に語っておくことが、僕にとっても、読者にとっても、話を分かりやすく、スムースに進めて行く上でも、必要不可欠と思います。

自分は、直接には、全く連合赤軍事件に関与していず、「同志粛清」の思想など持っていない人間、「粛清政治」を徹底的に批判する思想の持ち主です。

これは、物心ついてからそうですし、取り分け、民衆の変革運動を志ざした時から、そうでした。

連合赤軍事件は、永田さん、森君が、僕等赤軍派の、立場、観点、主張に、反対し、僕等赤軍派の大半の見解を無視、否定し、身勝手に行動し、隠れて分派し、インチキ「新党」を結成する中で、起した事件です。

この点で、時間的に、近接していますが、全体の赤軍派の思想、政治とは、本来、全く関係ない事件です。

世間の人々は、赤軍派も連合赤軍も、日本赤軍もよど号グループも一緒くたにしますが、しかし、これは、僕たち赤軍派には、大変、大切なことです。

連合赤軍と赤軍派を一緒くたにしてくれるな!と僕等旧赤軍派同志達は、ずっと言い続けてきたのです。

しかし、分派したとは言え、身近な人間が起したことであり、それに、赤軍派の同志達が、巻き込まれており、この意味で、こんな森君、永田さんのような「指導者」を輩出した、思想上、政治上の未熟性について、「2度とこういった事件を発生させない」という課題は、赤軍派には深刻、痛烈で、僕は、それ故に、赤軍派議長として、この課題を、生涯の課題として、自己に課し、以降30数年間、「あの塩見」と言われつつも、これに耐え、思想的,理論的、政治実践に於いて、恐めず臆せず、営為してきました。

あの、当時、こういった態度をとることは、非常にリスクを伴うもので、「全く関係なし」の態度を前面に押し出す、「賢い」対応も取れないことはありませんでした。

しかし、敢えて、僕は、このような選択をしたのでした。



5:さて、元に戻ります。

非暴力思想は、ガンジー思想のようなヒンズー的な宗教思想をベースとするものではなく、経済や政治や軍事より、もっとベーシック、エリメンタルな唯物論的、科学的な人間観を表わす思想、人間自主思想、民衆中心思想、現に今、僕等が生きている現存の社会の矛盾とその構造を批判的に分析する視点(資本主義批判)と一体のものとしてなければならないと考えています。

だから、非暴力思想は、僕の唱える、“命を最高尊貴し、それを社会的に輝かせる”人間自主の思想でもあります。

こういった、ベーシックな思想としての非暴力思想を基礎として、政治の場での人間、民衆の闘いを見た場合、次の2種が考えられます。

現実の政治の場では非暴力の闘いが通常でありますが、どうしてもやむなく非合理、野蛮で、専制的な暴力による攻撃に対して、個人としての民衆を中心とする自衛の暴力を発動せざるを得ない特別な時があると思います。

このような立場、観点からすれば、70年闘争における、武装か、非武装か、の判断は、二者択一的な絶対的判断とは言えず、二つの判断が成り立つ、相対的な問題だったと考えます。

これはこれで、両者、最善を尽くし、いがみ合わず、助け合えば良かった、と思います。

そして、僕等赤軍派やその他の武装闘争派は、限界や未熟性がありましたが、最善を尽くしたし、この事に僕は、今も誇りを持っています。



6:赤軍派は、「党」至上主義でもなく、スターリン主義の「同志粛清」の思想は持っていず、これを批判する、その反対の思想的方向を持っていました。

しかし、この武装闘争推進過程で、それでも「左」からの日和見主義も発生します。

「同志粛清」の思想は、スターリン主義」信奉の革命左派にあり、永田さんはそれを最初に実行し、その思想は、野合「新党」でっち上げの過程で森君に伝播しました。

だから、僕や赤軍派の思想上の主要面を、森君や永田さんの思想と一緒にしてもらっては、全く困ります。

このことは、思想上、理論上、当時、未熟であったが故に、今ほど、しっかりとは意識されていなかったが、今は意識され、思想化、理論化されています。

この際、このことは、はっきり言っておきます。

僕の思想も、大菩薩軍事訓練闘争、よど号闘争、リッダ闘争を闘った赤軍兵士、連続M作戦の同志達の思想も、森君や永田さんとは、本質的に全然違っていたこと、味噌と糞を一緒にするな、と言っておきます。

孫子も言っているように、軍事、兵学は、「闘わずして勝つ」が、最高の要諦であり、暴力を使って、人を殺すより、暴力、軍事を使わないで、つまり、人を殺さないで、反対に人を活かすことで、目的を実現するのが一番良いこと思います。

軍事の分野からしても、この根底、要諦は人間自主思想、非暴力、非暴力思想だと思います。

この点が、当時の赤軍派軍事思想では、未だ、しっかりと意識的なものには、なっていなかったと思います。

このように考えまして、僕の、軍事思想の核心、要諦は、上記しましたように、民衆第一、人間中心(人間自主)、資本主義批判を踏まえた、或いはこれを総合した非暴力思想である、と今は思っています。

孫子も、非暴力思想の持ち主ではなかったのでしょうか?

要するに、軍事路線に於いて、言語矛盾のようですが、その要諦が、非暴力思想だ、ということです。

今の情勢は、政治、思想闘争、文化闘争らをやりぬき、たとえ、自衛目的であれ、武装闘争はやるべきでない、ことは明らかです。

この意味で、武装闘争の根元にある兵法の要諦中の要諦、上記、非暴力思想を磨き、その現在的形態として「監獄に入ることも辞さない、非暴力、不服従闘争」を僕が強調するのは、全く正しい、当然、と言えます。

これが、何処が間違っているのか、指摘してもらいたいものです。



7:ところで、死神君、誤解してもらっては困ります。

僕は非暴力主義者ですが、政治、軍事の面では、絶対非暴力主義者ではないということです。民衆の人民の自衛暴力を一度も否定してないのです。

「正当防衛としての個人自衛の暴力は許される」、そのような意味での、民衆中心の地域でのパトリ、自衛軍は必要な時期では、許されるし、それは研究され、準備されるべき、と今も主張しています。

 非暴力思想の強調と武装闘争の堅持、一見言語矛盾のように聞こえるでしょうが、レベルが違い、現実政治のレベルでは、非暴力の闘いが主ですが、自衛武装の闘いも、時と場合によってはある、と言うことです。

君は、武装の思想、武装闘争と非暴力思想、暴力闘争を同じ平面でのみ、捉えるから、対立的に捉えることになり、混乱した、全く疎外された批判を僕にしているのです。



8:何処で、「赤軍兵士達が泣いている」のだね。誰も泣いていない。我々は、もう泣き飽きたのだ。

この30数年間、同志達は、軍事と政治、思想の関係、その中でも非暴力思想との関係を十分会得する経験を積んできたから、君のように浅はかには捉えていないだけなのです。

君は、僕が武装の思想を、棄てたかのごとく言うが、これは君の一知半解といえます。

君は、二つの混同を行っています。

一つは非暴力の思想の問題と、「権力の暴力装置として武器を取るな、取らない」という問題を混同させ、さらに、二つは、現実の政治情勢での、政治的判断として、「武装闘争の否定」「戦術、作戦レベルの非暴力闘争」を混同させ、みんなを混乱させようとしています。

これは、重ねて言いますが、思想レベルと政治、或いは、戦術、作戦のレベルを君が混同している事に起因します。

こんな浅はかな認識では、一時、撹乱は出来ても君の方が説得力なく、運動の防害者たることを自己暴露してゆく、というものです。

「説得力ゼロ」は君の方だ。



9:「世界革命戦争」も同じ捉え方なのだ。本質的に言えば、別に僕や僕等は「世界革命戦争」路線を棄てていないよ。

僕は、昔で言えば、“世界プロレタリア独裁”、“世界共産主義”、「世界同時革命」の基本観点を全然棄てていないよ。この、言葉の誤解され易さを、取り除くべく、今は「世界人類共同体」「世界民衆共和国」と言い換えています。

僕が、強調しているのは、この路線は依然正しく、堅持していますが、一つは上記したような、思想的脆弱、未熟さがあったこと、今ひとつは、これを平板化してゆく傾向に流されていたこと、この基本総括点を踏まえた上で、問題を「世界から」捉えつつも、しかし、世界を流浪したり、拡散したりすることにそれを短絡してしまわず、基本的には、日本を主戦場にして、日本民衆に立脚しながら、日本から、主体的にアプローチしてゆく視座が必要なことを、反省して来たのです。

哲学的に言えば、実念論としては「世界同時革命」を志向しつつ、実際論としては、日本から、それを実現してゆく唯名論で行くべきだと、言っているのです。

このような内容に於いて、「世界―一国同時革命」だとも言っています。

このような視座に立つ事によって、民族論やパトリオティズムの意義が、きちんと僕の思想、政治思想の系の中で、しっかり位置づけられてきています。



10:小泉から安倍政権へ、今の日本は悪くなる一方で、そればかりか、憲法を改「悪」し、日本を「戦争のできる国家」にしようとしています。

貴方は、このような情況を肯定しているのですか、否定、批判しているのですか?

君は、「覚悟」の問題を言っていますが、こういった危険な情勢で、「覚悟を固めて」、反安倍で闘う決意を固めることが、一体、何処で間違っているのですか。

君は、安倍政権をどう考えているか、聞かせて欲しいものです。

「いい加減、自分が何様だか、自覚して欲しい」、何様もかに様、もないです。

この言葉を、そっくりそのまま、「君は、大きなことを言って僕、僕等を度外れに、目茶目茶に批判、中傷しますが、その君自身、何様なのか!」とそっくりそのまま返したいです。

批判するに値する資格、君の歴史を示して欲しいものです。

そもそも、人を批判するのであれば、自分の姓名、職業、経歴、基本的な思想的、政治的立場を明らかにして行うべきでしょう。

僕は、世間に公然と「店」を出し、殆ど全部を明らかにして、自分の信ずるところを述べているのです。

であれば、真面目な批判者であれば、このような礼儀を尽くすのは当然のことです。
ところで、君のハンドルネームは「死神」と言うことですが、「死神」!人を死に追いやる」「死に誘う」ナント、愚劣でふざけた、病的な名前でしょう。

ソモソモ、貴方は自分を「神」」と思っているのでしょうか。

そうであれば、ナント傲慢で、イカレタ人か、と思います。



11:自分は、直接には、全く連合赤軍事件に関与していず、「同志粛清」の思想など持っていない人間、「粛清政治」を徹底的に批判する思想の持ち主です。

これは、物心ついてからそうですし、取り分け、民衆の変革運動を志ざした時から、そうでした。

連合赤軍事件は、永田さん、森君が、僕等赤軍派の、立場、観点、主張に、反対し、僕等赤軍派の大半の見解を無視、否定し、身勝手に行動し、分派、インチキ「新党」を結成する中で、起した事件です。

この点で、時間的に、近接していますが、全体の赤軍派の思想、政治とは、本来関係ない事件です。

しかし、分派したとは言え、身近な人間が起したことであり、それに、赤軍派の同志達が、巻き込まれており、この意味で、こんな森君、永田さんのような「指導者」を輩出した、思想上、政治上の未熟性について、「2度とこういった事件を発生させない」という課題は、赤軍派には深刻、痛烈で、僕は、それ故に、僕は赤軍派議長として、この課題を、生涯の課題として、自己に課し、以降30数年間、「あの塩見」といわれつつも、これに耐え、思想的,理論的、政治実践に於いて、恐めず臆せず、営為してきました。

連合赤軍問題は、貴方が権力と同じ水準で考えるような、ただただ「残虐」なだけの事件ではなく、その総括を、正しくやりきれば、大きな成果が引き出せる事件でしたし、戦前から含めた民衆運動の普遍性を持った、負の面を集大成的に孕んだ、非常に底が深く、広い問題を孕んでおり、このことを、ただ「残虐」で切って棄てるなら、仮に貴方を含め、武装闘争をやった場合、叉同じ性質の過ちを犯すだろう、といえるほどの深刻な過ちです。

であれば、僕は、人生をかけた、政治・思想上、理論上のテーマとするに値すると考えたのです。

それを、僕は「僕が責任を負う」とも言いました。

しかし、その意味合いは、上記であり、それ以上でも、それ以下でもありません。

しかし、世間の人々には、こういった僕の「責任を取る」と言う言葉は、十分に理解されず、事件が、僕の「責任指導下」で、僕の「直接指示」で、起こった、と権力やメディアの宣伝も手伝って、誤解したり、はなはだしきは、僕がそれを「自認している」かの如く、捻じ曲げて誤解したり、僕が「同志粛清」の思想を持っていたかのごとく考えたりし、予断や偏見を持って見る人が沢山いらっしゃいます。

これは、全く困ったことです。

この問題は、第一に、倦まずたゆまず、あらゆる方面、分野、方法、形態で誤解を解き、理解を得る努力をすること、第二に、最終的には、連合赤軍問題とは、全く違った、これを完全に克服した、地平、内容の闘いを実現する以外にない、と思っています。

この見地で、今も闘っています。

そして、「お前は何様か」と問われれば、最後に一言、この日本と世界の民衆運動の一番深くて、広い普遍的で、歴史的な負の遺産の基本的な解決方向、一定の回答を獲得した人間だとも、僭越ながら、自負を持って答えておきます。

「貴方に言われて、未来を切り開いた青年がいますか?地獄に落ちた兵士達は一杯いますが、ね」

僕等を含めた、ベトナム民衆を中心とする、世界と日本の民衆の反ベトナム侵略戦の闘いは、遂には、米軍をインドシナ半島から、叩き出し、インドシナ3国を独立せしめ、ひいては、最終的に世界の植民地体制を瓦解させました。

日本では、戦争に反対し平和を守る闘い、反改憲の闘いを前進させました。

連合赤軍事件の教訓に学び、赤軍派は、革共同や社青同解放派はと違い、いち早く路線転換をなし、武装闘争に伴う犠牲を最小限に食い止めました。

貴方が、これほどまでに、悪し様に、70年闘争と僕等の世代、僕を罵倒するのであれば、当時、僕も青年でしたが、当時の青年たちは、逆説的ですが、未来を切り開いた、と駁論します。

「僕に命令されて、武装闘争に走った人はひとりもいない」と思います。

赤軍派は、そんな権力を持っていませんし、叉、そのような権力を持って,同志、兵士を募りませんでした。

当時の青年たちは、皆、自主的に判断し、赤軍派に参加し、兵士を志願したのです。

幾度も強調しますが、赤軍派は、それほど、どの党派よりも、諸個人の自主・自立が尊重されていたことを忘れないで欲しい。

叉、そういった「兵士」、青年を輩出する時代でもあったのです。

「党至上主義」の革共同と一緒にしないで欲しい。

マー、あれこれ考えて総合すれば「未来を切り開いた青年は居ないわけでもないが、こんな論議はアホらしいこと、結果は未だ出てないわけで、これからだと思いますし、早急に結論を出すべきでない」と、だけ最後に答えておきます。

「地獄に落ちた兵士達は一杯居る」と言うが、その「一杯」の10人ぐらいだけでも具体的に挙げて欲しいものです。

貴方の文章は、具体例が殆どなく、論理もあるようで殆どなく、言葉の繋ぎ合わせの、非常に扇情的性質を持つが、民衆の立場に立つ、民衆の自己解放の見地での、革命的内容などは殆どありません。


塩見孝也