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安倍内閣と対決してゆくために、闘いの
陣形の重心を少し移動させてきています

ある、かつての同志、Aさんへ

2006年 11月 14日

塩見孝也


A様、 メッセージありがとうございます。

ブランキ(Louis Auguste Blanqui)について、自分の知っているブランキ像に誤りがないか、調べなおしてみました。

「私は自分の立場を絶対視する気持ちはなく、常に一つの途上と考えています。」この貴兄の態度に共感し、評価、支持します。


● 僕は、これまで展開してきた「パトリオティズム」の路線、思想を何ら修正するものでは、ありませんが、否、それを、もっと、当面の世界と日本の情勢に照らし、より一層,国と民族に責任を負う、民衆の立場にたって推し進める見地で、より一層「世界同時革命」(人類共同体、世界民衆共和国)を前面に押し出し、資本主義批判、人間中心(人間自主)、民衆中心で、「反改憲、憲法尊重、活憲法」で、「国連尊重、改革」と一体ですが、「戦争否定、常備軍否定、永世中立(非同盟)の自主日本」を当面の路線としようと思っています。

 このような、路線から、日本の実情にあった“社会主義(共同体、コンミューン)”を展望しています。

 さしずめ、ある面での「憲法軽視、利用主義」を、徹底的に反省し、「憲法」を最大限尊貴し、憲法を「社会主義への過渡的綱領」と言った具合にまで尊重し、ここからの変革の道を探ろうと思っています。

 さて、何故、このような路線転換をするのかと言えば、それは情勢の変化にあります。

 日帝支配階級は、対米従属と復古主義の異質な二つのものの折衷路線をとってきましたが、(これを執権勢力の実益・利害と「反共」で何とか、折衷しつつ)、全局は対米従属でした。

 しかし、小泉政権の後期、或いは安倍にいたって、「自立」・復古路線、超国家主義、ネオ軍国主義路線を主側面にするようになりました。

 この要が、「改憲」「軍事力強化」「核武装」であることは言うまでもありません。

 であれば、これまでの「対米従属路線打破」、“民族”の強調の路線は、より鮮明にパトリティズムの見地を押し出しつつ堅持され、戦いの矛先を、真正面から、いまや、日本支配階級の主流になりつつある安倍政権のこの路線に対してこれに照準を合わせ、反改憲、反超国家主義、反ネオ軍国主義の路線として、ここに、比重を置きなおして行くべき、と思っています。


 「反米“愛国”路線」を掲げた左右の「民族派」の連合、大同団結は、このような政治が、権力者達と民衆の真の対決軸に、追い込んで、彼等の正体を引きずり出してきた、とも言えます。

 いうなれば、「冷戦」時代の陰に隠れて、不問にされてきた、戦後の基本問題を、どうしても支配階級は浮かび上がらせざるを得ないようにさせたし、言い換えれば、真の愛国主義は何か、を突きつけていったからです。

 そして、このことは一水会ら民族派に、大きな自己否定の跳躍を強いてもいます。

 この点で、パトリオティズムとしての基調、心棒とした物に、この大同団結は、より進化されるべき、と言うことです。

 「反米を貫くべき、されど、戦前復古主義に回帰してもならない」、ここが跳ぶべきロドス島です。

 サーここで、真の愛国主義に向け、友人よ、跳んでくれ。

 一水会ら民族派は、真の民族派の見地に立ち、既に優秀で先進的なかなり多くの愛国人士が、資本主義批判、人間と民衆第一の見地で、パトリオットの立場で、安倍政権と対決しているように、対決してゆくべきではないでしょうか。

 安倍の尻押し部隊、右からの補完物に堕してはなりません。

 人間中心、民衆第一、これを侵す資本主義批判を獲得し、この見地で愛国を貫くべきです。

 こうすれば、日本人の良き伝統、文化は十分、継承止揚されます。

 決して、加藤氏宅を焼き討ちするような、テロを賛美しないようにして欲しい。ただの保守右翼に回帰してもらっては、僕は困るのです。

 僕は、個人的には、この路線の中で、思想的幅を広げてこれた、とも思っています。

 さて、この問題は、差し当たってこれまでとして、僕は、憲法制定から約4年間、「両面講和か、片面講和か」の51年当時に還り、基本的には敗戦直後に帰り、それを振り返りつつ、民衆闘争の陣形を創り直そうと思っています。

 冷戦時代、憲法は、体制側だけでなく、左翼、革命的左翼の側からも、つまり両方からないがしろにされ、冷や飯を食わされてきました。

 利用はされましたが、その理念、精神に於いてです。

 それが、憲法民主主義を痩せ細そらせてきた、と思います。

 しかし、僕など獄中で生きられてきたのは憲法の存在のお蔭と思っています。

 左翼が、憲法を土台にして、この道筋の上に、資本主義を超えた新しい社会を展望する、といった極々真っ当な感覚から外れていった、利用主義の反省は重大な問題です。

 敗戦から50年頃まで、あの頃までは、「平和・主権在民の憲法」尊重と共に、「非同盟中立の永世中立論」は、未だ真面目に考えられていたのでした。

 この、内容は、先の戦争の国民的体験、「戦争放棄・交戦権の否定・軍事力の放棄・主権在民と民主主義」の憲法を真面目の考えていた、日本国民・民族・民衆には、中国の政治的流動を巡って、叉、朝鮮半島の熱戦を含む世界の冷戦が忍び寄ってこようと、未だ、民衆、民族、国民が現実的に手を掛けられる問題であったのでした。

 日本国民、民族、民衆がしっかりした自主性を確立しておればですが。

 ある自衛隊を離隊した友人の女性が言いました。軍事力の強化は必要だ、と。

 冷戦体制の下で、自衛隊で軍事力の必要を叩き込まれた彼女であれば、たとえ、彼女が被爆2世であっても、日米安保体制の下で、ソ連・中国に対抗するものとして、軍事力は必要と感じていたからでしょう。

 その後、亡くなるまでに、この見解について、そのままであったか、変えたのかは知りませんが、自衛隊員であった当時、彼女には、冷戦構造という前提があり、その前の時代、その構造を超脱しうる、別の進路の選択については、埒外か、保留であったからでしょう。

 仮に、憲法理念の下、全面講和で、日米安保条約を結ばず、ソ連や中国、アメリカら全ての諸国に、永世中立を宣言し、通告し、その承認を求めるようにし、日本がこの原則の下、以降の50数年を歩んで来たとしたら、どうだったでしょうか。

 冷戦体制で、日本がアメリカと組む道を歩んできたからこそ、日本は憲法を枷にする事によって、曲がりなりにも、平和を維持し、一度も戦争をせずに来たのですが、それ故に自らで敵を作り、軍事力を必要と感じる日本人を生み出して行った、と思います。

 国の進路を間違えば、作り出さなくても良い敵を作り出し、それが跳ね返って、いたちごっこのような悪無限の軍拡の蟻地獄に入り込んでゆくわけです。



● もう一つ、暴力論の問題があります。

 これは、民衆側の「人間論」の問題、哲学の問題でもあります。

 或いは、第2次世界大戦期、「冷戦期」でのそれをどう考えるか、或いは冷戦期に誕生した僕等新左翼のそれをどう考えるか、という問題でもあります。

 ブントー新左翼はスターリン主義批判を思想的バネに誕生しましたが、残念ながら、この思想的、哲学的方面が深められないまま、その思想的急進主義は、「革命的暴力論」として、軍事的急進主義に短絡されて行きました。

 ここで、国民的戦争体験、「2度と侵略戦争をしない」と言うことから、その国民的アイデンティーであった「憲法尊重、戦後民主主義」は、その初心を「マルクス・レーニン主義」に結びつけて実践してゆけば行くほど、後進的「社会主義」、スターリン主義的闇の中に没入して行き、初心は「革命戦争」(特に、革命左派の「建党・健軍遊撃戦争」路線)で忘れさられて行きました。 憲法は利用の対象にしか、扱われなくなったのでした。

 連合赤軍問題は、赤軍派の政治・思想路線から生まれたものではなく、革命左派のスターリン主義に、直接の因がありますが、もっとマクロの広い視野から見れば、冷戦時代の「反スタ」を掲げてはおれ,左翼反対派を越えていなかった、――それでも、赤軍派が、ゲバラ・カストロ路線と連帯し、“世界革命の第三の道”を創出しよう、と奮闘していたことは忘れてもらいたくありませんが――赤軍派、新左翼、ひいては全般的なマルキストの「哲学の弱さ」、人間的、階級的未熟さに根源があるとおもいます。

 人間は、愛、信頼、理性に立脚し、諸問題を解決でき、関係性を変革してゆける、そのような可能性を持った偉大な存在なこと、判りやすく言えば「万物の霊長」で、世界・宇宙の命、声、摂理を社会性を通じ、汲み取ってゆける、世界の主宰者、主人になりえる自主を目指す存在なこと、言い換えれば、暴力、生命の恐怖に、関係性の変革の中で、打ち勝ちえる存在なこと、この意味で、ガンジーとは違って、唯物論に立脚し、資本主義批判、民衆中心主義、人間中心主義で「人を殺さないこと」、「非暴力」をその本性として培ってきている社会的、歴史的存在なこと。

 この意味で、これまでの「不正義な戦争」と「正義の戦争」と言う分類は間違いで、「正義の戦争」などなく、「全ゆる戦争は否定されるべき」なこと。

 ただ、「正義」ではないが、民衆の個人とその関係性を非合理な暴力が襲い掛かる時、それから自衛する暴力は許される、ということだと思います。

 この意味で、僕は、連合赤軍問題の総括で、資本主義批判、民衆中心主義の段階から、人間自主論と一体に命と自主の最高尊貴性、非暴力主義を自覚するようになりました。「幸福論」でも、このことは書いています。

 民族論もこの人間自主論や非暴力主義が、民衆中心主義と共に思想的土台になっています。

 しかし、絶対非暴力主義(特に、宗教主義的な)ではなく、叉70年闘争の頃の、僕等の闘いを止揚の対象とはすれ、決して否定、清算したりするつもりもありません。僕は、あの当時の戦いに誇りを持ってもいます。

 生命の尊貴、非暴力の哲学、思想を踏まえた暴力、軍事は許される、と言う意味で“在る”ということです。軍事から見れば、“超暴力としての非暴力”の軍事です。

 資本主義批判、民衆中心主義、人間中心主義を踏まえた、自衛の暴力は 許される、と言う倫理的規範の上で承認する立場です。

 ミリシャスの容認、必要な場合の常備軍でない、臨時のミリシャスの連合体、下からの民衆自衛軍を容認します。

 軍事路線は、あくまで攻勢でなく防御を主とし、「積極的防御(毛沢東)」であり、孫子の「闘わずして、勝つ」だと思っています。

 しかし、基調は、暴力、軍事ではなく人間中心、民衆中心の政治、文化を推し進める見地です。

 日頃、思っていることを書きました。



● 追信です。

 僕は、1941年生まれで、幼年期の40年代、二つの事に憧れたものでした。

 一つはブラジルに移民する夢でした。近所の洟垂れの餓鬼どもと、一緒に行こうと語らったものでした。

 もう一つは、スイスは「永世中立国」で、第2次世界大戦中「中立を守り」戦争をはしなかった国、としての憧憬でした。

 「永世中立国」という言葉は、その後、僕の耳底に、出たり、引っ込んだりしつつ、ずっと残ってきました。

 日本は、そうなる、そうなったらいいなー、とその内容など、全く知らず、単純に思っていたわけです。

 しかし、このような憧憬も、日本が「全面講和か、片面講和か」の論争で民衆側が押し切られ、対米従属の「片面講和路線」を採用するに及んで、忘れ去られてゆきました。

 そして、大学に入り、民衆運動を始めるに際し、「2度と侵略戦争はしない。戦争否定」で初心を築きながら、「世界革命」「プロレタリ独裁」「暴力革命」の道を歩み始め、「正義の戦争と不正義の戦争の区分け」をするにおよび、徐々に「全面講和―永世中立国」論はおろか、憲法尊重の気風、イメージは無意識界に封じ込まれてゆきました。

 ですから、日本左翼の中でも一番開放的で、自由で、権威主義を拒否するブント潮流すら、「反スターリン主義」を掲げているとは言え、ちゃんと「敵の敵は味方」の観点に立ちつつも、知らず、知らず、独自な自主性、新種な気性、創造力、想像力が狭くなり、冷戦構造下での「左翼反対派」の域を越え切れなかった、といえます。

 このことは、前回語ったことです。

 ブントは「反帝反スターリン主義の世界革命路線」(反帝を第一とする反スターリン主義)でしたが、「冷戦構造」、現象的な「体制間矛盾」に対して、「帝国主義と民族・植民地問題」が主要矛盾として捉え、「世界同時革命」「3ブロックの階級闘争の結合」の基本観点の下、第三世界の民族独立闘争を支援することを第一の義務としました。

 これは、今でも正しいのですが、「人類危機と世界平和」の問題、日本人、日本国民としての国民的戦争体験に基づく「ナショナルアイデンティティー(日本人、日本民衆としての自主性)」をどう定めてゆくか」、或いは、「人間主義と民主主義の問題」は「正義の戦争」論の前に、軽視されてゆきました。

 しかし、日本社会は、徐々に高度成長・安定成長の過程で「市民社会」を創出し、70年闘争は、「搾取―観念的階級闘争至上−暴力・軍事的急進主義」の政治思想が、最後の段階で試され、最後の晩鐘を打ち鳴らす時代の闘いと言えます。

 その後は「市民社会が成熟過程」に入り、階級闘争とは言え、もっともっと、人間の自主性を尊重する、或いは、それぞれの諸国民国家が、グローバリズムの進展の過程で「脱国家化」を、早め、民衆中心を押えつつも、ナショナルアイデンティーの問題もより底の深い、開かれた問題となってゆきました。

 一方でのグローバリゼーション、新自由主義の進展のなかでの「新しい質の貧困、階層分化」、他方での、各国毎のそれと、相反・相補する内容での「国益確保」、それに伴う「ナショナルアイデンティー」、それを越えて行くパトリオティズムの問題です。

 こうなってくるに及んで、民衆の側からの「国連中心主義」に収斂してゆく世界各国の民衆の貧困のグローバルな解決、植民地体制の頸木から解放されつつも、尚続く南北問題、世界平和とグローバル民主主義、世界革命の関連と脱国民国家化―開かれたナショナルアイデンティーの新しい質の措定、こういった情勢展開の中で、非同盟中立・常備軍なき「永世中立国」化路線や憲法9条―憲法の捉えなおし、復権が、主客の情勢を捉える、決定的コンテクストになってきつつあると思います。

 何故なら、これ等が、世界民衆共和国への回路をなしているからです。

 ここで、一つ問題提起をします。

 60年代、70年代に思想的に活躍された新左翼系の(前史)ともいえる、突出した惑星、平田清明さんの「市民社会と社会主義」(岩波書店,1969年)を起点とする一連の60年代での問題提起です。

 これは、資本論第一巻24章第七節の「資本主義的蓄積の歴史的傾向」の中の「私的所有の否定の否定を通した、個人的・共同体的所有としての再建」という文言を持っての、市民社会をブルジョア社会と区別される意味合いを内包する(?)面を押えつつ、「市民社会から社会主義への道」を回路付けようとした議論なのですが、いろんな問題提起もあれば、たくさんの議論を決着付けられないまま残した問題提起なのですが、----僕はマルクス「資本論」を前提にしないと始まらない、とおもっていますが、---検討してみるに値する議論です。

 こういった問題と憲法、「永世中立論」は、今じっくり考えるべき問題であり、叉、これと連関し、組織論におけるこれまでの組織論の脱組織化、アソシエ的、ネットワーク型、ポストモダン流に言えばリゾーム型の組織論も叉検討すべき課題だと思います。
いろいろと、勝手なことを述べました。悪しからず、です。


               塩見孝也