寄稿・論文



自主日本の会

掲示板

コラム

イベント

リンク

 topページに戻る

 
映画「蟻の兵隊」を見に行こう

2006年 8月 13日

                    塩見孝也


 「蟻の兵隊」を、必ず、見に行こうと、と思う。

 理由は幾つもあるのです。

 僕が、mixiの「日記」で一寸触れただけなのに、沢山のこの映画のファンからのアクセスがあっただけでなく、全く不面識の、当のこの映画の監督、池谷薫氏から、応援要請のメールが来たことも理由の一つです。

 観客数が持続するか、多くなればなるほど渋谷の映画館は上映を継続してゆくという。

 最初、封切の時は、数日満杯を続け、年齢の高い層が中心であったが、徐々に年齢層は低くなってゆき、ついには20台前後がどんどん観に来ているという。

 大阪、名古屋でも上映され始め、同じく、好評であるとい言う。

 青年たちを、引き付けてゆく魅力をこの映画が持っているからであろう。  場所、予定などは、ネットで検索してくだされば、すぐ判ります。

 この映画の手法である、80数歳の奥村さんの戦場体験をきめ細かく追ってゆくリアリズムの手法が、どこか、僕が肩入れしている「戦場体験保存放映の会」のそれと良く似ているところがあり、「保存の会」も早い時期から、6月頃か?この映画を、高く評価し、推奨していたこともあれば、更には、この映画を観た、僕の友人が、強烈に推薦してくれたこともあります。

 奥村さんのような、もう余命年数いくばくも無い、80歳を越える戦場体験者で、その体験を子孫に語り継いでおかなければならないと思う使命感を感じ、老骨に鞭打って頑張っている大先輩たちを、僕は沢山知っています。

 この先輩たちは、一様に目が輝き、活発なのには「今時、こんなお年より達がいるのか」と驚かされた、ものです。

 戦争に反対し、平和を求める力は、民衆一人一人が自分の生活らの実際に照らして、戦争の悲惨を実感するところから生まれると思います。知識はこれと一体のものでなければなりません。

 この意味で、「蟻の兵隊」として、出征し、生死の境を彷徨よい、国家と国家の争いの中で、その人生を翻弄されざるを得なかった僕らの父や親族、友人、知人、爺ちゃんやその親族、その友人、知人の歴史を、正にその等身大のリアリズムに於いて、きめ細かく知ることは何よりも大切なことと思います。

 「国家に括られる国民」、と言った抽象化された、「個」ではあるが、何処までいっても、その人らしさを持たない「ワンノブゼム」の「個」ではなく、現実に命を持ち、必死で自主的に生きんとする、それぞれがどんなベストセラーの物語よりも貴重な、物語を持つ民衆、人間の一人一人の個人の生の歴史を知ること、このことが大切なのでしょう。

 つい2週間前の「硫黄島戦」のドキュメンタリ―も有益でした。

 僕は叉一つ国民的な戦争体験を表わした映画を日本民衆は生み出したのでは、と感じました。

               塩見孝也