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朝鮮のミサイル発射について

2006年 7月 6日

                    塩見孝也



1. 誠に阿呆な事をやらかすものだ。

 朝鮮国の、飢餓ら内部社会矛盾が、激化しているから、その矛盾を外に排外化し、国民統合を図る、権力者達、この場合は独裁特権支配階級、が使う常套手段だ。その政治を絵に描いたようにやらかしている。 

 自己の不安定極まる独裁権力を、固めるために「国威を上げる」と称して、本当は、「自己の権威」を上げたいわけだ。

 その権威など、せいぜい「お山の大将」「サル山のボス」の類で、世界では、最早、隠れも無き物として、そう認知されている類の代物なのです。

 そのためには、隣邦の民衆、近隣の迷惑など、委細お構いなし、自国民衆が、軍事の為に、如何に苦しむか、飢えるか、戦争の犠牲にされるか、お構い無しなのだ。

 軍事思想としても、最低。

 軍事を弄ぶ唯軍事主義、これが「百戦百勝」「鋼鉄の霊蒋」、中国古代、「史記」に記される暴君、桀紂おも凌駕する「将軍様」の「先軍政治」というものです。

 ミサイルで脅して、みやげ物を引き出そうと、といった類の駆引きは、2~3度は成功するかも知れない、がもう手の内を、帝国主義者に読まれきってしまったのではないか?

 しかし、外国の民衆に嫌われてしまっていること、多分、国内の民衆にも、それが一番問題なのです。

何処に、この行動やこれまでの政治に、民衆への想いが込められていると思われたであろうか。全く、見えてきません。 そういった、政治がも問題なのです。

 指導者本位、エゴしか見えて来ません。

 近くでは、60〜70年代のアフリカ・コンゴーの動乱時代のチョンベやモブツを思い出します。

 このために、いかほどの民衆が死に、粛清されたことだろう。

 戦争情勢が、醸されれば、醸されるほど、民衆支配に好都合、というわけだ。

 独裁者の保命に収斂する自己利害絶対、個人利己主義、自己中心主義の権化のような政治は断じて許されてはなりません!



2. だが、これに対して日本民衆、アメリカ民衆、或いは韓国民衆等が、戦争を対置し、冷静さを失い、軍事的熱狂のヒステリー的好戦主義に走るのには徹底的に警戒すべきです。


 これこそ、アメリカ帝国主義支配階級や日本従属帝国主義支配階級の思う壺なのだ。

 彼等の心底は「肉弾が欲しい」ということです。しかし、民衆はなかなか動かない。

 だから「それ見たことか!」「だから、自衛軍が必要なのだ!」と。

 それで、これを機会に、政治や文化、経済で日朝関係解決の勝負をすることなくその反対に、手っ取り早い軍事制裁、軍事力強化、憲法改悪、とりわけ、「9条改憲」に民衆を動員しようとします。

 この政治とは、徹底的に闘う必要があります。

 アメリカは、中東軍事戦略で手一杯、トテモ対朝鮮、対中国の極東、中国大陸方面の二正面配置をやる政治・軍事力量はありません。

 かっての第二次世界大戦の時のように、対ヨーロッパ(独、伊)、対アジア・太平洋(日本)二正面配置は、トテモ無理なのです。

 軍事能力はあるが、トテモではないが、アメリカ民衆のかつてのような政治結集力はないのです。

 だから、「不沈空母」日本を、対朝鮮、対中国の先鋒、盾として利用することが、彼等には、絶対的に必要になってきています。ただし、あくまで、「忠犬」ポチとして、です。

 折りしも、日本では、経済格差全面露呈、政治では「国家百年の大計」の理念も道義もなく、みみっちーエゴ丸出しの政治が跋扈し、対米従属政治、資本主義政治に対する怨嗟の声は野に満ちています。

 だから、日本執権勢力は、その矛盾を、他国、他民族に排外化、戦争に持ち込み、逃げ切ろうとするわけです。

 そのために、日本為政者にとっても従属的であろうと、日米同盟、安保は必要要不可欠なのです。

 これは、朝鮮国政治と全く同じ質、手法の政治ではないでしょうか。

 その違いは、正に「目糞が鼻糞を笑う類」に過ぎません。

 違うのは、日米の方が明かに余裕があり、鷹揚で、朝鮮の方は切羽詰まっている、違いだけです。それは、戦前の米英と日本の関係のようなものです。


3. そういう点では、今回のミサイル発射は、いろんな配慮をしつつ為した、フシは窺われますが、その政治、軍事自身が駄目なのです、そしてその底が見えてきたように思えてなりません。

ともあれ、日米帝国主義支配階級は全く「得たり」なのです。

 彼等は、己の政治の非には口を閉ざし、他の非をあげつらうことに熱中します。

 であれば、日米支配階級と金正日独裁者勢力、このどっちがマシか、の上記「目糞、鼻糞を笑う」類の次元に、日本民衆を引き込もうとします。

 この、低次元の民衆の利害とは関係ない世界、次元に日本民衆、民族は絶対に迷い込んではなりません。

 これは、全く、愚かしいことです。

 「経済格差はしょうがない」と小泉は言いました。

 そうしたら、この経済格差で、失業している労働者の青年が「経済格差はしょうがないのでは」と如何にも政治が判っている、風に言いました。

 自分が犠牲になって、苦しんでいるのに、こうテレビ・インタビュウ―に答えるのです。

 ここまで、頭の構造がイカレルぐらい、権力の政治、マスコミの力は大きいのです。

 こんな、イカレ方と同じ対応で、「朝鮮ミサイルは怪しからん。日本国家、政府の軍事力強化、戦争準備に協力しよう」といった発想、姿勢は、どこかで決定的にヅレているのです。

 そもそも、「消費税はあがり、年金は削られ」「賃金は上がらず、苛酷な労働条件で、残業代はもらえず、、自分も家族も生活危機」に陥りながら、お国の為に軍事力強化に協力すし、鉄砲も担ぎます、命を落としてもいいです」なんて、完全におかしい、イカレタ対応といえます。

 何故、こうヅレテ、オカシイかといえば、自分と自分の足元に照らして、政治を捉えていない、自主・自立した思考とは程遠く、国家が提出するマニュアルどおりにしか発想できていないからです。

 我々は、我々民衆自身の利害、自分たちの命とそれを保障、輝かす自主性実現の利害、これと連関する政治、経済、文化に立脚する、全く別の世界、次元から、この問題をとらえるべきです。

 上記の人々は、自主的発想、自主的政治が全くないのです。

 我々は、米中、米朝、日朝、日中の戦争に徹頭徹尾反対する。全ての戦争に反対する、このことこそ原則とすべきです。

 戦争関係に展開して行く、一切の軍事力強化、戦争推進策動に、たとえ弾圧があろうと、一時、ショービニズムに駆られている民衆、メディア、様々な社会的諸関係から孤立しようと―――僕はそんことは今でもないと思っていますが――、監獄にぶち込まれようと、一切加担すべきではありません。

 全ての国や民族の民衆は、戦争を推進しようとする自国政府、自国権力の打倒、この点で、民衆と民族を最も愛しているが故に、戦争が民衆や民族の福祉にとって最大の災禍をもたらすが故に、「そうすれば祖国が敗北する」「売国奴」「非国民」と言われようと、断固、戦争を推進しようとしている自国政府(日本政府や朝鮮国双方の政府)の打倒を追求すべきです。

 この態度は「革命的祖国敗北主義」と言っても良いのです。

 一切の戦争推進動向に非協力でこれと闘う、この陣形こそが、パトリ・コンミューンの樹立の道でもあります。

 日本は、革命的に改造、維新されるべきなのです。その為の文化、思想、社会革命が起こされてゆくべきなのです。

 この観点で、朝鮮国民衆に戦争を肯定し、戦争推進で度を越し始めている朝鮮国政権に対しては、そろそろ、朝鮮民衆に政権打倒を呼びかけてもいいように思います。

 朝鮮国にも、必ずやこのような独裁と戦争、民衆抑圧の政治と闘う革命家が輩出し、革命的民衆運動が起こるでしょう。

 だが、それは、朝鮮国民衆のこと、その興廃は、そう簡単には日本民衆には今の現状では、わからないかも知れません。

 だから、僕等日本民衆は、その動向に一喜一憂せず、執権勢力と朝鮮国民衆を区別して対応する原則を、しっかり踏まえ、この朝鮮民衆との国際主義的連帯の態度を堅持し、この動向には「委細構わず」位な構えで、己の為すべきこと、自国の戦争推進政府と真一文字に、真っ向から闘うことです。

 罷り間違っても、“愛国主義”の何たるかを錯誤し、自国政府の戦争推進に加担してはなりません。

 結局、「世界同時革命」、「三ブロック同時革命」こそ、あれからの30数年の間の、様々な総括を加え、円熟させ、蘇らせるべきではないでしょうか?

               塩見孝也