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「第5回・塩見塾」 の報告

2006年 6月14日

                    塩見孝也


[写真提供:ムキンポ氏]


 
 6/11(日)にロフトプラスワンでおこなわれた第5回「塩見塾」。

 賑やかに、格調高く、それで居て、「引きこもり」、「フリーター」、「ニート」ら若い人達の課題も包含し、足が地についた形で、楽しくやったぞ!

 二次会はいつの飲み屋で、ワイワイがやがや楽しんだぞ!



 パネラーは71歳になりかかかった塩川貴信先生、雨宮処凛ちゃん、「イディオスの会」主催の早見さん、逮捕され、留置場でそつなく処遇改善を闘った留置渋谷24号のYさん、翌日教授会処分が出されんとしていた法大生の友部さん、彼の先輩で法大OBの重鎮、中川さん、「ジャコバン」亭の矢部さん、元赤軍兵士の金廣志さん、フランス帰りで、NGOらやられている井形さん、詩人で連合赤軍問題研究家の黒田さん、「白船平和義士団」を闘い長崎市長からの支持と朝鮮労働党へのメッセージを引き出した細木さん、それに「主権在民の会」世話人、「アジアプレス」代表の野中さん、「共謀罪に反対する表現者の会」の林さん(氏は、「戦争体験保存・放映の会」のメンバーでもあります)ら13名、現政治情勢を映し出そうとしたなら、これくらいのメンバーが必要なのですが、それにしても、よく参加してくださいました。

 心から感謝します。

 何しろ、共謀法、弾圧、九条改憲情勢と全共闘・新左翼系「反改憲論」の内容と行動方針を問う、といった3部構成の4時間トーク、普通なら参加者は音を上げて退散するわけだが、結構皆さん、聞き入ってくださって、最後には、壇上と会場は心が一つになり、一体化したわけです。

 嬉しい、ことです。

 正直、始めた時は、パネラーと参加者が五分五分ぐらいだったのですが、参加者が80名近くになって行ったのです。

 雨をおして来て下さって本当にありがトウです。

 渋谷24号はデモと弾圧の状況のビデオを上映し、「自由と生存のメーデー」が如何なる感性、質のものであるかを、彼の留置場体験と合わせて説明しました。

 会場は、それを映像で感知したようです。

 友部さん、中川さんは、法大当局の不当弾圧とハンストによる抵抗の姿らを語り、明日(12日)、教授会処分が出ることを報告しました。

 しかし、被処分の危機にある友部君もそれを助ける中川さんも、ヘルメット、白衣姿で登場したが、これがなんと悲壮感などかけらも見せず、のんびりでユーモアたっぷりなのです。

 友部君などピュアーでおっとりし、とつとつと喋っていましたが、大物の風格が感じられました。風雪を越えてきた良き先輩、OBの中川さんのような人がいらっしゃったからでしょうか。

 ちなみに、法政大学教授会は、友部君への処分決定を12日出せず、先送りとなりました。一安心。

 「共謀法」情勢については、野中さん、林さんらがその政治内容、狙いや国会攻防の過程、国内的、国際的背景ら語られました。

 民衆側が、闘う意志を前提にしてですが、インターネットによる民衆のコミュニケ―ション能力の向上のモメントが、法案採決を断念させる大きな力となっていることが指摘されました。

 正にその通り。

 このことを、敷衍すれば、確固たるマスコミに匹敵する全国的、全世界的に波及効果を持つ、媒体を民衆の側が持てば、権力側は、嘘ばっかりのペテンだけですから、それに与党は、小泉は死に体で、自民党内部は後継問題らガタガタ、ごたごたで、見かけは虎のようだが、よく見ると張りぼての見掛け倒し、文字通り「張子の虎」で、味方の民衆側ももたもた、よたよたしているが、確固たる波及力ある普遍性と道理ある陣形が組まれれば、空中分解するような事態になっていること、この動揺、流動性、激動必至の情勢をかろうじて官僚が昔ながらのお上性に、アメリカ仕込みの民衆操作術を合わせて、かろうじて持たせていること、これが僕の現状認識です。

 この小役人たちは、ピンポイント弾圧を設定し、この二つの弾圧や自衛隊官舎へのポスティング事件,鹿砦社「紙の弾丸」弾圧事件、関西生コン労組弾圧事件、重信さん無期求刑、20年一審判決等々を仕掛けてきていることも指摘されました。

 だから、闘い方は、決してハードでなくソフトに、情報力を駆使し、知的道徳的、志、気概において、権力を圧倒すること、だと思います。
 一体、庶民の誰が、主権在民の原理をひっくり返し、国家第一の社会原理、「思想、信条、言論、表現,結社の自由」のその上に「国家至上」の原理を置くような法案を求めるでしょうか。

 民衆、人間の内心にまで国家がずけ々と入り込んで、正邪を認定するような悪法を認めるでしょうか?「瞬(まばたき)きも出来ない共謀法、冗談も言えない共謀法」など、絶対に許してはならないのです。

 この分別は、会場からの発言を求めた際の「引きこもりの社会理論」(新風社)を上梓し、引きこもりを卒業した、若き文筆家、思索家のI君など、現場で苦闘する青年たちの「自分達の自主自立、自助は前提だが、それを社会、政治から捉えて行くべき」といった発言でもいみじくも裏付けられています。

 グローバリズムの弱肉強食社会、「勝ち組」「負け組み」の階層分化が激化する社会にあっては「“異端”が“正系”」であり、青年たちが、インチキ公教育や模範社会システムに異議申し立てをし、「引きこもり」の「社会的、政治的籠城戦を演ずるのはあたりまえのこと」なのです。

 I君ら「引きこもり」「フリーター」「ニート」、あるいは依存症、援交ギャル、リスト・カッター組み青年達は、がんじがらめのしがらみの閉塞状況を打ち破り、雨宮処凛ちゃんを「新しき神様」にして、理論的基礎を構築しつつ、社会的政治的行動を徐々に開始し始めているのです。

 この青年たちにとって、「共謀法」や「九条改憲」などに加担することは、屋上屋を重ねるアホな事だと、判りすぎるほど判っているのです。

 この人達こそ渋谷24号諸氏達が主張する「プレカリアート」といえます。

 このような「プレカリアート」と反基地、反原発、反公害闘争、そして、反開発・反公害らの住民闘争の結合が必要とされています。
 この点で、下北沢で展開されている住民闘争、その牽引車の一人、ロフト席亭にして僕の肝胆合い照らす仲の平野悠が、あれこれの政治的思惑ばかり気にし、僕との固い約束にも関わらず、約束を反故にして形勢探望を決め込むのは情けないことなのです。

 我が平野大先輩!利害の利,理外の理の境地に立ってくれ!自己を無念無想の境地に放下せよ!喝!これでこそ、朝日新聞で「若者は何故怒らないのか!」と言えた資格ではないのですか!

 さて、3部です。

 塩川先輩は、ハンガリー暴動に因むことら新左翼黎明期の興味深い話をされ、当時の日共と新左翼が未だ共存していた最後の全学連委員長時代(その後、唐牛健太郎、北小路敏とブント系全学連委員長時代が続く)、島さんやマルマルさんらと和気藹々と交流していたこと、島さんや樺美智子さんのエピソードら話してくださいました。

 興味深い「歴史の証言」というところでした。

 氏の専門の経済学の話では、経済学は、自然科学と違って、人間の主体的要素が入り込むもので、「物化された経済関係」を「科学として捉えるのは間違い」だとか有益なことを言われ、「歴史から真剣に学んで欲しい」とも話されました。

 黒田さんは連合赤軍問題に絡めつつ「自己差別からの脱却」を指摘され、一つの論点となりましたし、矢部さんは「我々は失うべき何者もない存在」とも言われました。

 九条改憲問題では、金廣志さんが、“「国民国家を前提とする」「一国主義の」の「護憲論」では、敗北してしまう。”「グローバリズムの時代、世界主義、つまり国際主義の見地、世界史的、人類史的視野から、民衆側のグローバリズムの観点に立って、九条を位置づけ直し、そこから攻撃的に改憲論を批判すべき」と主張されました。

 全く同感です。

 僕の、「世界平和」、「世界福祉」、その政治表現としての「人類共同体」「世界民衆共和国」創建の見地、実際的にはパレスチナ連帯や「世界社会フォーラム」との連帯らら、国際連帯」の見地は反改憲闘争の基本見地と言ってよいと思います。

 これに向けての「常備軍を廃止したコンミューン国家」こそが、憲法が目指すべき方向と捉えられるべきです。

 憲法は、本来「総論」や「9条1項、2項」はこのような基本方向を内包しつつ、戦争否定、恒久平和を追求していたわけです。

 この意味で、決して日本は「普通の国」を目指していたわけではなく、極めて破格の、世界でも稀な程、ラジカルな憲法であったこと。

 この見地に立てば、「自然権」としての「自衛権」は、「国家の自衛権」ではなく、国家おも歴史的には構成することもあるが、根本的には、主権を持つ民衆、民衆主権の尊厳ある自主・自立した個人が本来持つ権利以外の何者でもなく、これは、決して「国家自衛権」に混同されたり、すりかえられたり、還元されたりしてはならない、ことは明らかです。

 僕は、これを、アメリカ・フロンティア時代に発する「ガン・デモクラシー」に原型を見、それを引き継いだ、1871年のテールマン等フランス支配階級の逃亡、屈服になって行った、プロシャ軍のパリ・フランス侵略に抗したパリ市民の蜂起の過程で生まれた「パリ・コンミューン」の「コンミューン4原則」の内の「全民衆の武装」に見出します。

  矢部さんは、これを「ミリシア思想」と言っているようです。

 結局、受動的な「1国主義の護憲論」ではなく、攻勢的な新しい民衆憲法への現憲法止揚の道には、自主・自立した民衆の自己と自己が愛する人々を自衛する武装権の措定となり、これを要とした、民衆の地域の自衛権、自治権の措定となり、それはパトリ共同体、パトリ・コンミューンの実現となってゆくわけです。

 パトリ共同体、パトリ・コンミューンは、あくまで民衆本位、国家主義を否定する世界民衆共和国に繋がる国際主義を本義とする「役人のリコール権、役人の労働者並み報酬、国家常備軍ではなく、民衆自身の自衛武装としての全民衆の武装、資本家独裁を隠す欺瞞的三権分立論を超えた立法、司法、行政を一体的に総合する権力」のコンミューン4原則となるわけだが、アメリカ建国史は、「ガン・デモクラシー」の原理を、あくまでも生活の平場、地域、地方自治に据えていることを物語っています。

 あくまで、直接民主主義なのです。現在の大統領選などや政治の「中央集権化」とインチキな間接民主主義たる代議制民主制度は後になって、資本が歪曲して作り変えていったのです。

 コンピューターの発達した情報社会では、理想的な直接民主主義。地方自治、コンミューン方式が可能なのです。
 パトリ・コンミューンは可能なのです。

 このような、パトリ・コンミューンの原型を、僕等は70年闘争の過程で産み出された全共闘を参考にしつつ、大学に限定されたそれを、日本列島の全地域、全都道府県に、地域の民衆を主体としつつ、諸民衆運動を地域全共闘として総合し、民衆の社会政治権力を創出へと、展開させてゆくべきと思いました。

 それにしても、第5回塩見塾はこのような極めて多岐に渡る現実的で、諸問題が提出され、それへの一定の解決方向、対応策を生み出しつつ進行したことは、自画自賛の面も持つが、極めて内容ある刺激的なトーク集会であったことが確認されて良いと思います。

2006年 6月 14日                    塩見孝也