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 イベントの報告
5.31 「雨宮処凛の『わくわくお楽しみ会』VOL.2」
「そうだ! 革命家に聞こう! 革命家があなたの人生相談に答えます」

2006年 6月4日

                    塩見孝也


  5月28日の「時代遅れ」に来られた人々は僕等と同じ時代、ないし若干低い世代なので非常に話しやすいのです。

 しかし、この5月31日の雨宮処凛さんが主催したイベントは、非常に手こずる話しにくい領域です。

 また、20代が中心の人々で、僕などとはある面で全然違う体験をしてきた世代です。この領域、世代に思想の領域を伸ばさねば!

 テーマは「ひきこもり」「フリーターやニート」「各種依存症」「心身障害」「いじめ」「不登校」らら若い世代の「“心”の問題とも密接に連関する極めて微妙な領域」であります。

 しかし、これは、他方では、日本現代独占資本主義の、或いは現代日本社会の失業問題、「負け組み」、「教育問題や家庭問題」、「性の問題」らが凝集しているのです。

 山田洋次監督が取り組んできた「学校シリーズ」の世界とも言えます。

 そうだ、山田洋次を引き合いに出してトークすればよかった。

 しかも、ここはある面で、本当は、最も普遍的で、具体的な政治、思想闘争の現場、修羅場であり、ここに「革命家の看板を掲げるなら、一家言をもって発言出来なければ、なんの革命家ぞや!」です。

 こういった問題の本質や大局の捉え方、基本的な解決の視点らは、多分それなりの鋭い問題提起が出来ないこともないのですが、それを、この問題の内部に踏み込み、それを、僕の解決方向に媒介的に持ってくるのは、正直、可なり僕のウイークポインントと告白せざるを得ません。

 しかし、そこで、僕は「革命家として、人生相談」を受けたわけです。

1部は、なんとか無難に乗り切ったわけですが、2部はややたじろきました。

 とは言え、この領域は僕のもっとも関心ある領域で、大いに学び、もう少し研究、調査し、場数を踏めば、この次くらいからは僕流に図太く構え、自然体で踏み込んで行ける、と思ったわけです。

 ともあれ、僕は、親しくして若い人達で暫く会わなかった連中も可なり来てくれいて、夜っぴいて話し込み、大いに飲んだわけです。
 楽しかったぞ!彼等は「塩見塾」にも顔を出すぞ!と言ってくれました。

 これは、先日の処凛ちゃんのイベントについてのメモのようなものです。

1. 市場原理至上、人と人の関係が、物と物、商品と商品、貨幣と貨幣の関係に社会の隅々まで転倒している社会、そこでの競争社会の空虚な激烈さ、受験社会の空虚な激烈さ、学校生活の無内容さ、教師にだけ責任をおっかぶせることは絶対に出来ないが、教師の不自信、家庭の崩壊情況、これらが根源にあると思う。

 ここを押し出し、回路付け切れなかった。

「拝金主義」「個人主義」「快楽主義」社会。「人間の尊厳はいずこにありや?」と。

 ゲストの市野君は、「成熟社会」といっている。

 ここでは、「勝ち組」も「負け組み」も両方とも、かつてとは違って質で、疎外されている。目的、価値の喪失、「動物性と狂気性」が社会に漲る。

「良い学校→社会的ステータス」のコースの少年、少女、青年にとっての無意義化。

 学校参加、社会参加の従来型の必要性、目的、価値の喪失。疎外感、家庭そのもの崩壊、居場所を求めて、新たな自助と共生の志向を見つけきれず閉じこもり、引きこもり、そしてそれが一定程度できる経済的余裕という皮肉。

 全般の問題として、自殺者3年連続3万人以上、50代以上、20~30代(40代は少ないらしい)、出生率が下まわる。「この国で生きる意義を見出さない」「見出せない」人々が確実に増えています。


・引きこもり→カルト思考

・各種依存症それに付け加わった医者、病院の薬漬が加わる。

・心身障害、心の病

・いじめ、不登校、親殺し、子殺し、狂気、隣人殺し、他人殺し

援助交際、出会い系、匿名のアン・ビジュアル、架空のビジュアル社会への逃避。

・「良い子ちゃん」演技、「劇場社会」での全ての人が、視線を意識しての偽善的演技。

・リストカット(自傷行為)、フリーターやニートのイメージ劣化
  外に開いてゆくことを拒絶し、社会と断絶し、ドグロをまいて内側に向かう自己完結した自己確証行為。
 資本主義的個我の外への弱肉競争戦を拒絶して、内側に生のエネルギーを放射する行為。
  唯我論の神秘主義世界、これは「滅び」「自己滅却」自殺に向かう。

2. 社会への回路――――この現状を踏まえ、社会に回路付ける道筋を指し示しえなかった、しかし、若い人が共生、協動のルートを示唆し始めていた。随分と参考になった。

・ 社会参加、政治参加―――この回路へのノウハウ、システム、例えば

今回のイベントゲストの表現行為、表現への挑戦、これは、書くことが自己の取り戻しの基本方途であることを示している。

・書くことは、自己対象化、自己確証、自己表現の行為である。表現行為は自己の他者、隣人への訴え、共感の獲得という社会的存在としての人間の基本行為。

 それが上手く行けば、無数の未知の人々とのコミュニケーション、場の獲得、ベストセラーはそういうことだ。

 ここで、叉、物象化、利潤追求第一の社会とぶっつかるのだが。

別にここに拘らなくても良い。とにかく、書き、自己表現することが、自己再建の基本ベースなのだ。ここは、己を試す、精神の荒業の世界なのだ。

僕の獄中体験での動きのない3畳のまでの、読書だけでは、精神が高揚せず、読んだ本を批評する行為、様々なことを書き留め、自己の生を記録すること、外に向けて発信することは、それ自体が僕の自己確証、自己実現の行為、結果も必要だが、そうすること自体が、僕にとって“生”であった。

・革命、社会革命の質的変化―――なんの後ろ盾、権威、拠るべき教義もない。そんなものはとっくに消失した。

「終わりなき日常」の“共生”を通じた脱構築の継続、積み上げ、こういった参加型になってゆく。

   ゴールが無い(あっても判然としない)。

  確かに、経済面からの生活不安はある。こういった、忍び寄り方の経済不

安が、負け組みには加重されてきている。しかし、これを、単純に職場闘争や労働運動ら経済闘争に短絡してはならない。むしろ、地域。

 むしろ、それよりももっと根本的、基底的な市場原理至上―自由競争―物象化社会という本質的、原理的な社会構造から来る不安、生きずらさが根源と把握すべき。
 ハードな平和、環境、人権らの政治とその政治の基底にあるソフトな精神的、

思想的、実存の精神病理レベル、具体的な関係性の問題の深刻さと回答の無さ――-―ここのノーハウを捜さなければ。

 若い体験者自身が体験を見つけ出さねば、そしてそれを意識化してノーハウ化する。現に様々に試みられている。いろんな人にコミュニケートすること。

 そして、ロフトでもその他でも体験を出し合い、体験を共有してゆく。そして、個的な問題と社会的な問題を区別しつつも統一し綜合化してゆく。

 各種の駆け込み寺的出会い、交流の場を無数に作る。

3. ゲストの市野善弥君「ひきこもりの社会理論」、ゲーデル哲学「不確定性定理」を通じて理論化されている。よく考え抜かれ、傾聴に値する。現状を上手く、すっきりと分析、説明している。この解析力、思索能力、思考能力は立派なものである。

「伝統社会」「近代社会」「成熟社会」の発展過程で捉える。

家庭は「情緒、癒しと人材育成」と規定する。

生きる場から、社会の構造的変化に論及し、「引きこもり」を、「正常な若者の異議申し立て行為」と論証している。

4. 席亭平野悠の言は「おじさん」族の体験の押し付け的面を持ち、半分は噛み合っていないはず。「リストカットの問題」の質問や良し。武者修行的世界漫遊の勧めやよし。挑戦の精神も良いのだが!?

5. 現在の「自由化」、「(構造)改革」の幻想の解体、こういった、インチキな軽い方策に若者は絶対に騙されてはならない。
矛盾のあからさまな排外化、国家主義、「愛国心の押し付け」、強制的集団主義では何の解決にもならない。

 基本は人間の尊厳、自主・自由の奪還、“居場所”の自助努力での獲得、他方での社会からのその援助。

この努力を「共生、協働、協同→共同社会(パトリ、共同体)の実現」へ方向付けてゆく。

こういったベース付けから反安保、反改憲に上向付けてゆく。

 限りなき欲望実現ではなく、“自足”・“自得”生き方、このことの意義をもっと考えてゆくべし。

「確実に約束されたカナンの地」などは何処にも無い。

 それを充たす「虎の巻」のような公式、教義も何処にもない無い。

日々を自主、共生、愛と信頼、徳涵養で生きる。社会革命を生きる。

関係性の充実、ここを攻め取るのです。

「自助、しこうして互助」、出藍の誉れ=先輩を敬う、自分のけじめは自分でつける、自分の最後のけじめは自分しかつけなければならない。

いつでも、人生は厳しく、生きることの悲しみがつき纏う。だれも、この生きる悲しみを引き摺っている。

これに耐え、自分が定めた目標を達成する時に生きる喜びが生まれる、創り出せる。

このような意味で、「一身の独立無くしては、国の独立自主なし(福沢諭吉“学問の進め”)」「志高ければ意気高し(吉田松陰)」
「嘘を言って他人は騙せても、自分は騙せない。自分に誠実に。」

宗教などに頼るな!自分と向かい合うべし。

6. 禅師のように、「おかしい」「ずれている」と心に響けば思ったら、間髪入れず、切り込む精神のしなやかさ、もののふ、ガンマンの覚悟こそ養おう。

2006年 6月 4日                    塩見孝也